形而上学を隠れ蓑にして、自己の自我「分析」で終わるということ
画像は、今日、もりGさんの「個人セッション」を
受けている時の私のスカイプ画像です。
表題は、まさに、私が癒されるまでのプロセスの
「ほら、私、また、やってるよ(笑)」です。
私は、自我の思考体系を選び、その出来事や
あの出来事を見ることで、
繰り返し、繰り返し
「私のこの思い込み(パラダイム、信念など)だけは、間違っていない!100%、正しい!」
と、自分で自分に証明してみせて
教え続けてきた
ある思い込みを手放していくプロセスで
もりGさんに手取り足取り導いてもらいながら
別の視点から一緒に見ていくことで
その、私が私を苦しめている信念、
私が私をこの世界に縛りつけるために使っている思い込み、
信念体系を崩していっている時に
頑張ってガンバッて、
その信念体系だけは後生大事にしていたいという
自我の目的のために
「私がしていたこと」
なのですが、
「ヒーラーよ、癒されなさい」とは
よくいってくれたもので(イエスに対しても、上からですか?w)
癒されていないヒーラーは、誰のことも癒せないと思うし、
間違った方向へと導いてしまうことになる。
実際に、そのような苦い体験もしてきましたから、
それは、避けたい。
私は、余談ですが、ヨガ講師だった頃も
本業が母親だった頃も(死ぬまで母親であることは私のアイデンティティの一つなので、そう書きます)
その道のプロだな!実践者だな!今知りうる尊敬に値する方だな!という方に
常々、師事をして、教えを乞うてきました。
本物の師は、必ず、こういってくれます。
「あなたも、実践すれば、必ず、できる」
当然と言えば、当然なのですが、
「あなたと私は同じだよ!」
と見做している視点から
当然に、相手にもそれが可能なこととして
愛の表現で、導いてくれます。
できるようになった時
「強くなったね!」
「自分を信頼しているね!」
など、その時その時に生徒にとって必要な、
フィードバックが、あります。
これから私は、相手の愛をどれほど拒絶していたのか、、、
私は赦しの実践相手を通して
それに気づいていくことになるだろう、と
今日は伝えてもらいましたが、、、
本当に、、、
そのようになっていくのだろうと
心底思うのです。
神との関係、そして、本当は、本当の自分との関係を
恐れ、怒り、罪悪感を直視していくことで
「形而上学」というランプで
自我を照らして見ていくことで、
心としてのあなたと私を癒していくことを
真の癒しを、私は、望みます。
追記:
『赦すけど忘れない』ケネス・ワプニック[著]
翻訳:加藤美代子、澤井美子 JACIM事務局による出版
の中に、
『奇跡講座』を学んでいて、かなり完璧な形而上学への理解があったとしても
実践していないで
「浅はかな形而上学マニア」のようになってしまう
ことがある、ということが書かれています。
とても優れものの本です。
良かったら、読んでみてくださいね。
また、文字はアレルギーという方には(そんな方は、この文章さえ読んでいないでしょうか(笑))
コミックになっている
『この世界は夢なんだ』解き明かされる生存の秘密
アレクサンダー・マルシャーン [著]翻訳:加藤美代子
原題 "The Universe Is A Dream" 日本語版
は、とてもおすすめです。
この世界は夢なんだけれど
どんな夢なのか?
神への攻撃として「小さな狂った考え」によって
作られた夢の世界であり
まがいもの、パロディであり、、、と、散々です。
その世界は
混沌の法則と束縛の法則によって成っていて
一切皆苦なのが、わかり、
この本を真に理解したなら
「夢の主人公」ではなく
赦しの実践を通し「夢を見ているもの」としての
在り方をしたい、という
「意欲」になると、確信しています。