ギュースクル物語 第二話

新学期、中学三年生クラス振分けで自分は1組、虹郎は2組だったから体育の時間は男女別の1組2組合同だったから虹郎と同じになった。 虹郎はトランクスが派手な人気者になっていきます。

それである時ユニコーンのファイナリーの話で盛り上がったようです。 その後部活が激しくなりバレーボール部は躍進し表彰され、熱い青春を過ごした夏は終わりました。 

 理由なき反抗へ 

 秋〜卒業 なんだかんだで虹郎とは毎日遊んでいました。 携帯が無い時代、電話しながらTV見て笑ってました。日曜日の昼にやっていた音楽番組、MTV、5時SATマガジン。 自転車で街を徘徊、雑貨屋クリエイト21、雑貨屋52番街、レンタルCDのdanなど良く行ってました。 その内にカラオケボックスが出現、恐る恐る行って真っ先に歌った筈。 

 文化祭 

美術のS先生が教室でツェッペリンの胸いっぱいの愛をのギター弾いた時には何てカッコイイんだろうと思いました。 さぁ文化祭、勿論虹郎を誘いメンバー探し集めて練習、放課後残って音を出すんだけど何をどうすればいいのか、他にもバンドやる人達がいて見に行くと、上手い、これは練習しか無い。 実は、最初voにと思っていたのですが、自分よりもシンボリックな友人がいたのでギターを手にしました。 そこはすんなりギターへ、 

今思えばそれが芸術への運命だったんだと。 

 しかし全然下手、毎日部屋で同じフレーズを練習、母親も口ずさむ程に繰り返し本当に不器用なんです。 指先が痛いし上手く弾けない、その内コードを押さえられて、ある程度弾けるようになりました。 指の痛さは明日のロックン!

努力根気忍耐我慢

小学生の時にトロンボーン吹いていた音楽とは違う、虹郎の方が弾けるし、兄貴がギターを持ってたからズルイよね。それでも我々はチューニングそこそこに文化祭に出たのでした。盛り上がったなぁ 曲はジュンスカ、ブルーハーツ。 それが自身のバンド成功体験。文化祭後は虹郎とはオリジナルソングを作ってました。夢中でカセットデッキの録音ボタンを押して、後から聴く事が楽しいと言うわけです。 借りていたショルキー(キーボード)のエディットにパターン音源が入っていてそれで歌を歌ってましたね。プスムス、タータン、アドリブで歌ってましたね。

crazy voice tone 

それは今だにやってますね。 今思えばその行為がギュースクルだったのかも知れないです。 

即興録音===ギュースクル

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