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だいじなもの(pixiv_2015年12月19日投稿)

自宅に帰る途中に公園がある。
夜もそこそこ更けている時間に人など居るはずもなく、疲れたと思いながら通り過ぎるのが日課。
しかし今日はブランコに誰か座って居て、その前には黒猫がちょこんと座ってまるで会話をしているように向かい合っていた。
何かどこかで見たことがあるなとぼんやり思って、記憶を辿ってみるが思い出せない。
じっとよく見ればそれは見知った姿で、足を止めて更に良く見れば知り合いだった。
「…」
ふと、俺の視線に気付いたのか猫に向かっていた視線が自分に向いた。
「…おぉ!?」
一度離れて猫に戻った視線は直ぐに自分に戻って、缶チューハイを持っている手が俺を指さす。
それは間違いなく見知った顔。
高校の同級生。
互いに大勢でつるむのが苦手で、食の好みも、見るテレビも映画も小説も、笑いの好みも一緒で付き合いやすくていつも一緒に居た。
馬鹿話をして、馬鹿騒ぎして、馬鹿みたいに笑いながら毎日を過ごしていた。
そいつが。
「久し振り!!」
その相手が、今目の前に現れて。
何も言えぬままただその姿を見た。
無視して歩き出すことも、ブランコに近付いて行くことも出来ず、体が固まった。
それに気付いているのか居ないのか久し振りに見る笑顔は無遠慮に近付いて来て、腕を取られてブランコまで移動した。
どうぞどうぞと座らされ、その隣に座る音がする。
「飲む?」
ほれ、と缶を見せられるが、頷くことも首を振ることも出来ぬままその顔をじっと見た。
「…」
差し出して来た腕がゆっくりと下がって行く。
「久し振りー…、元気?」
今度は控えめに、少し歯切れ悪くそう切り出して来る。
そして一口缶チューハイを飲み下して、未だそこに居た猫を見下ろした。
「ここら辺通ってるってことは、まだあのアパートに住んでんの?」
「…住んでる」
「マジか。長いね、もう何年になんだ? 6年ぐらい?」
「…そう」
「ここら辺も変わったね。マンション増えた」
そう言って周りを見渡す姿を見た。
声も聞こえなくなって、音は全て遠くに聞こえる。
「………彼女とか、出来た?」
それには答えず、笑顔で質問してくるその顔をただじっと見た。
キィ、とブランコが動く音がたまに響く。
猫は相変わらずそこに居て、たまに気まぐれに俺を見る。
だがすぐ視線は隣に戻って、また何事もなかったかのようにじっと前を見ていた。
「この猫、お前の?」
「…え、あ、いや…今日会ったばっかり、」
です、と歯切れ悪く話す。
俺はふと、昔何かで見た映画を思い出す。
昔別れた恋人が急に戻って来て、久し振りと笑って何事もなかったかのように楽しく話をする。
話が尽きた頃、ベッドに縺れ込んで、「会いたかった」と繰り返してなく彼女を、男は愛しそうに、宥めるように髪を梳いて撫でていた。
あの話は、どんな結末だったっけ。
「猫苦手だっけ」
「可もなく不可もない感じ、」
「俺も」
そう呟いて、空になった缶チューハイを握り潰してビニール袋に入れるのが見えた。
また音がしなくなって、静かな空間だけが広がる。
無言も沈黙も苦じゃない相手は楽でいい。
尤もそんなに友人も居ない自分にとっては、貴重な存在だ。
また記憶の中でいつか見た昔の映画が再生される。
「ずっと愛していた」と、女は泣きながら腕に抱かれていた。
抱き慣れた筈の体は少し違って、でもあの時と同じくらい大切で、気持よくて。
一晩中抱き合って、眠った男を確認して女はベッドから立ち上がる。
窓を開ければそこに黒猫が居て、黄色い目がキラリと光った。
「満足か?」
「…えぇ、ありがとう」
喋る猫に女は涙を落として、目を閉じるとその体は霧のように消える。
翌日ベッドに居ないことに気付いた男は部屋中を探して回るけどどこにも姿はない。
その時電話が鳴って、出てみれば昨日一緒に居た彼女が死んだという知らせを受けた。
長いこと病気で外国に渡っていた彼女は、今日の朝方亡くなったと。
「…――、」
昨日一緒に居た筈なのにとパニックになるが、部屋に戻ってベッドに座るといい香りに気付く。
そこには花の香りがして、昔プレゼントした花束を思い出す。
窓の外では猫が歩き去って、その映画は終わった。
何でかそんな記憶が戻った。

高校の同級生。
互いに大勢でつるむのが苦手で、食の好みも、見るテレビも映画も小説も、笑いの好みも一緒で付き合いやすくていつも一緒に居た。
馬鹿話をして、馬鹿騒ぎして、馬鹿みたいに笑いながら毎日を過ごしていた。
仲が良いなぁとみんなに言われるぐらい無駄にくっついて、無駄に一緒にいて、いつだったか戯れでキスをした。
それで関係は何も変わらなかった。
いつも通り、いつも一緒。
最初はそれだけだった。

二人きりの時にキスをするのが普通になった。
照れもなくなって、話すようにキスをした。
寄り添って、抱き合って、引っ付いて、キスをして。
気持ちよかった。
体温も、抱き締められる腕も、繋いだ手も、息遣いも。
それでも専らの興味は女の子で、テレビや映画や雑誌を見てはどの子が好みと言い合って笑った。
そんなことをしている間に高校生活は終わった。

直接肌に触れたのは、意図してだった。
どちらかともなく服の中に差し込んだ手を振り払うことなくその先を促した。
キスの延長だと、深く考えずに踏み込んだ。
どうしたらいいのかと携帯片手に調べて、その通りにやってみる。
色々準備して、色々な意見を読んで。
最初は挿れる立場で触れた。
しかし指一本だけで苦しそうな顔がずっとそこにあって、それ以上続けることが怖くなってやめた。
違う日に今度は立場を交代して触れてみたもののそれも上手くいかず、それ以上踏み込めずにやめた。
それでも関係は変りなくずっと一緒にいて、馬鹿みたいに無駄に時間を過ごす。
また調べて、慣らして、自分の指も何本か入るようになって、受け入れてみたけど気持ちよさより違和感の方が勝って。
ふざけて、喘いでみれば気持ちよくなるのかと思ってしてみたけど、大して変わらなかった。
それはあいつも同じだったようで、そんな顔をしていた。
逆でも快楽には程遠くて、ベッドの上で見る顔はいつも困ったような、申し訳ないようなそんな顔をしていた。

食の好みも、見るテレビも映画も小説も、笑いの好みも一緒で付き合いやすくていつも一緒に居て。
馬鹿話をして、馬鹿騒ぎして、馬鹿みたいに笑いながら毎日を過ごしていて。
無駄にくっついて、無駄に一緒にいて。
性格も空気感も人柄も誰よりも何よりも好きだった。
大事にしたい。
離れたくないし、離れてほしくない。
それなのにあの日もセックスとは言えないセックスをして、腕の中で苦しそうにしている顔を拭い去ってやれないまま眠りについた。
向けられた背中はこちらを振り返ることもなく、ただ一言「ごめん」という弱々しい声だけが聞こえたのを夢現の間で聞いた。
明日起きればまたきっと馬鹿みたいに一緒に居るんだろうなと信じて疑うことなく朝を迎えれば、それはとある日、なくなってしまった。

連絡がとれなくなった。
家を訪ねたら引っ越しをした後で、途端に何も考えられなくなった。
大事な人が居なくなった、と、日に日にその思いが募って、虚無感だけが体中を占めて行った。
他の誰かを求めるでもない。
他の何かを求めるでもない。
あいつが目の前から居なくなって、追っていいのかすら解らず、どこにも行けずいつも通りの生活を送った。
起きて、食べて、仕事して、帰って、寝て、また起きる。
笑うことがなくなった。
楽しくて好きだったものが面白くなくなって、そこに居た筈の体温を思って苦しくなった。
手を伸ばせばそこに居てくれた筈の体温が消えて、冷たいシーツがあるのに気付きたくなくて蹲るように眠った。
あれから誰かと肌を合わせることも、触れたいと思うことも、キスすることも、寄り添うことも、誰かを思うことすらなくなった。
枯れ果てた感情は未だに枯れていて、そこに潤いが訪れることもなかった。

数年振りに会うのに、感情が沸き起こらないものだなと冷めた心でそう思った。
会えばもっと何か沸き起こるものもあるのだろうと考えては居たものの、どうやらそれすら何も感じなくなっているようだと他人事のように思って足元に目を落とす。
「…お前のせいじゃないよ」
「?」
急に発された言葉に、蘇っていた昔の記憶がふと消える。
隣を見ると俯いたまま、膝の上で手が握られているのが見えた。
「俺と、…して、気持よくなかったの。お前のせいじゃない」
「…」
はぁ、と深く吐き出される息が聞こえる。
視線を外せずにじっと見ていると、静かな声がまた聞こえた。
「お前と一緒に居るのやめた後、色んな人と、…寝てみた。挿れたり、挿れられたり、」
その言葉にも何の感情も湧かず、ただ次の言葉を待つ。
「でも全然気持ちよくねえの。それより気持ち悪くて何か……怖ぇの、」
「…」
「いつか気持いいって思える時来たら、お前としても大丈夫だって、思って」
「…」
「でも全然、気持ちいいことなかった」
声が、震えて、萎んでいくように体が蹲る。
「俺が、悪いから。お前のせいじゃないから」
そう言ってまた深く吐き出される息が聞こえた。

「…離れなきゃよかった」

「上手く出来なくても、気持よくなくても、離れなきゃよかったって」

「でもお前のこと気持よくしてやりたいし、俺も気持ちよくなりたいし、でも、…でも、」

「何で駄目なんだろ。お前にされるの全然嫌じゃなかったのに」

「むしろお前じゃないと嫌なのに、」

「今日も会いに行こうとして、行けなくて、ここで飲んでた」

「何度も部屋の前に行った。インターホン押そうとして、出来なくて」

「お前にあんな辛そうな顔、またさせるぐらいなら、」

「俺は一緒に居ちゃいけないって、」

ぽつりぽつりと聞こえる言葉は掠れたり上擦ったり吃ったりを繰り返して吐き出されて行く。
それを聞きながらまた昔のことを考えていた。
それと共に映画も思い出す。
黒猫がじっとそこに居るのが気になって、もしかしたらこいつをまたどこかに連れて行くんじゃないかと考えが過り、ぞくりと、背筋が震える。
それを拭い去るように、隣で笑ってキスして来るその顔を思い出して、どこか自分の奥の方が震えたように感じた。
辛そうな苦しそうなベッドでの顔を思い出す。
――ごめん、
その呟きを思い出す。
大丈夫と、出来なくても構わないからとあの時抱きしめてやれば、居なくならずに隣に居てくれたのだろうか。
ごめん何て言わなくていいと、言ってやりたかったのに。
「…ずっと会いたかった…」
その震える言葉に、思わず、腕が伸びた。
触れられたことに少し驚いて、ほっとして、掴む腕に力を込めた。
「俺はそれでもいい」
思わず強く引き寄せると驚いた顔が見上げて来た。
泣きそうな顔がまた俯いて、表情が見えなくなる。
「セックスもしたいけど、でもそれ以外のことも大事だから」
ゆっくりと、視線が合う。
「側に居て」
顔が徐々に歪むのが見え、自分の感情もせり上がってくるのを感じた。
何だこれ、と思うより先に言葉が出た。
「たのむ、」
「――」
「…俺お前が居ないと人生が全然楽しくない」
「…、」
「お願いだから、」
掠れるその声に、ブランコから降りて抱き締められた。
感情が渦巻く。
何だこれ、とまた思って、腕の中で泣いているその声に自分の声も震えているのに気付いた。
「もう勝手に居なくなんな…」
きつく抱きしめると懐かしい匂いがした。
堪らず胸一杯に吸い込む。
何だこれと思ってきつく目を閉じると、後から後から涙が溢れた。

キスをして、抱き合って眠った。
泣きながら笑う顔を見ながら眠った。
いつもより早めに目覚めて、そこにある顔に酷くほっとした。
鼻のあたりまでかぶっている布団をそっとずらして、頬に手を伸ばしてみようとしてやめる。
穏やかな寝息はそのままで、薄ぼんやりと明るい部屋の中に聞こえるその音に何でか泣きそうになる。
恋愛感情なのかどうかもわからない。
どうなりたいかなんてわからない。
でも側に居たいし、側に居て欲しい人はこいつ以外には居なくて。
その絶対的な存在にまた失う怖さを思って背筋が凍る思いがした。
「…なぁ、」
返事はない。
その穏やかな寝息が乱れることもなく、瞼が開くこともない。
「…この関係にどんな名前がついたら、お前は俺の側に居てくれんの?」
家族でも、恋人でも、友人でもない、この関係は何と言ったらいいのだろう。
名前を付けなきゃいけないような関係は、欲していないのに。
側に居てくれるだけでいい。
それだけでいい。
大きく息を吸って目の前の体を抱きしめる。
足元では黒い塊が静かに体を上下させて居るのが見えた。
目覚めた時どうか居なくなっていませんようにと祈りながら、夢に引き戻された。

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