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塾高の系譜

今回の部員日記は法学部法律学科4年の新田凌平が担当させていただきます。

早いもので私が部員日記を書くのは今回が最後となります。
塾高時代から7年間、下田のコートにはとても長い時間お世話になりました。
7年間ご指導していただいた監督・コーチの皆様やOBの先輩方、最後までご支援していただき、ありがとうございました。


さて、最後の部員日記は私が体育会に入った理由についてお話ししたいと思います。

入部を決めた時期

私が体育会に入ると決めたのはいつかは定かではありません。

塾高ソフトテニス部で先輩方が引退し、自分が最上級生となった時から
「ただもう少し先輩方と同じチームで戦っていたかった」という願望はずっと持っていました。
この気持ちが体育会へ入りたいという気持ちの火種でした。
そのため、いつ入部を決心したとか何がきっかけで入部したかといわれるとはっきりと言えるものはありません。
しかし、強いて取り上げる事柄があるとするなら私の中で何か特別な感情を抱いた出来事が2つあります。

高1の六大学附属高校大会の帰り道

高一の夏の六大学附属高校の大会の帰り道、尾崎先輩と2人で帰る機会がありました。その時の頃にはもうすでに憧れていました。
何故かはわからないですが、直感というか本能的にこの人との出会いは人生を大きく左右するような感覚を持ったのは今でも覚えています。(実際、体育会でもずっとお世話になりその感覚は間違っていませんでした。)
当初は同じ神奈川県出身でテニスが強くてかっこいいという至ってシンプルな憧れでした。その後フリー練習を一緒にやってくださった中で、努力を怠らない真剣さとストイックさ、ソフトテニスにかける情熱の大きさなどに触れ、憧れの気持ちは大きくなっていきました。
私が高2の夏に尾崎先輩含め、先輩方が引退し心細さが残りました。先輩に頼ってばかりだった自分は、今度は自分がその立場になれるかと非常に不安でした。
そんな不安な感情を残しながらも時は過ぎ、高3の春には体育会に入部して隣のコートで練習している尾崎先輩がいました。少し安心した心持ちで部活に臨むようになりました。
おそらくこの頃から私は体育会に入りたいと無意識に思っていたんでしょう。

高1の六大学前日あたりのフリー練習での懐かしい写真があったので載せてみました

竜希先輩の入部

その後、高校3年の夏に塾高ソフトテニス部を引退しました。しかし、ソフトテニスへの熱は冷めず、下田で同期を誘って頻繁にテニスをしていたのを覚えています。
納会で現役塾高生に負けずにがんばろうと闘志を燃やしていたり、3月のOB対抗戦でもただでは負けないぞと何故か引退した後も燃えていました。

そんな中、竜希先輩が体育会に入部するという情報を耳にしました。
竜希さんは同じ神奈川県出身で、1つ年上の代ですが強くて有名だったため、中学の頃から噂を聞くことが多かったです。そんな有名な人と同じチームで戦えることにずっと喜びと憧れを感じていました。
そんな竜希さんが12月から体育会に入るという話を聞いた時、心が躍りました。
その時、塾高の先輩方ともう一度同じチームで戦いたいという思いが強く大きなものに変わったのを覚えています。この出来事が僕が体育会に絶対に入るという気持ちを揺るがないものに変えた出来事でした。

高2の六大学の集合写真。この写真、塾高時代の中で1番のお気に入りです。

体育会に入った理由

結局、私が体育会に入った理由はなんだったのか。体育会に入った理由は何かと考える機会が何回もありました。
それはただソフトテニスが好きだっただけではなく、尾崎先輩や竜希先輩ともう一度同じチームで戦いたいという思いが大きかったからだったと後々になって気づきました。

そう考えると僕が塾高一年の時にソフトテニス部に入って憧れを持った時点で、僕の体育会の入部は運命的に決定されていたのでしょう。
実際、不思議と自分は体育会に入ること以外に選択肢を考えていませんでした。(今思うと視野が狭すぎて危険な状況でしたね)

今更、思うこと。

私は塾高時代に先輩方にたくさんお世話になりました。その中で、体育会へ入りたいという気持ちを養っていくことができました。
本来ならそういう思いを後輩にも持ってもらえるように努めるべきだったと思います。ですが、塾高時代の私はそんな思考に行き着きませんでした。塾高時代での1番の悔いです。

しかし、そんな中でも後に続いてくれる後輩は少なからずいました!
中川、小杉、梁、森田、小板橋、北川、入部してくれてありがとう!
これからの活躍に期待しています。塾高の後輩が活躍してくれたら泣きます。

もちろん塾高出身に限らず、後輩のみんな、最後まで応援しています!

最後に…

最後の最後で、今話題の三点リーダー症候群を発症させていただきました…
そんなしょうもないネタはさておき……

体育会ソフトテニス部の関係者の皆様、4年間ありがとうございました。
私はこの部が好きです。
「部室の民」と呼ばれる程、部室に居座ってきましたが、それはいつも誰かしら居る部室が好きで、そこで生まれる平和で和やかで意味のない、中身のないような適当な会話とか無駄に見えるような時間が大好きだったからです。
これからもたまにいるかもですので、その時は温かく接してくださると嬉しいです。

戦績として部に貢献できなかったことは本当に情けなく、申し訳ないです。
それでも最後までやり切れたのはこの部を好きであり続けられた結果でした。先輩方にも優しくしていただき、後輩も私によく付き合ってもらい、そして同期にも支えてもらえたというこの環境の一つ一つの要素があって、最後まで楽しくやれたと実感しています。

勧誘や広報をはじめ、早慶戦の企画だったり、ソフメモ甲子園だったり、多くの貴重な経験をさせてくださったこの部にはいくら感謝しても足りないくらいです。

全ての経験、1つ1つが一生の宝となる時間でした。

技術指導や活動の支援、サポートをしてくださった先輩方、7年間本当にありがとうございました。
これからは私もサポートできる部分があれば、先輩方からしていただいた恩を後輩に返していくという形で恩返しができればと思います。
そして一緒にチームで戦ってくれたチームメイトの皆様、最後まで本当にお世話になりました。
そしてそして、下田テニスコートさんも7年間ありがとうございました。

引退してから思ったことを羅列してきましたが、あの時、あの出来事があって今があると実感することが最近増えました。
私の今までの人生を形作ってるものの中で、1番色の濃い4年間でした。
まだまだ長生きするつもりですが(あと77年は生きたい)この4年間が礎となり糧となり、今後の自分にパワーをくれると信じて生きてまいります。

拙い文章でしたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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