DBT48~あらすじ

西暦20XX年、日本は、異常気象や天災に絶え間なく見舞われていた。
有史以来まれに見るこの国の危機である。奇しくも翌年、改元が予定されていることも踏まえ、時の政府は、ある決断をする。
それは、「大仏建立」であった。
 この国は、政治…つまりまつりごとと言う概念が生まれた頃からずっと、いつだってそうだった。異常気象による異常高温にも負けず打ち水政策を打ち出し、秘密裏には有力な霊能者の末裔を結集させ雨乞いを行っていたとの情報すら出てくるほどである。
 そんなこの国の政府の最後の切り札、古来より伝わる最も強力なまつりごと…それが、大仏建立である。
 「詔」と銘打って宮内庁まで担ぎ出したはいいが、実はその裏では秘密裏に、この国を挙げたまじないごとが執り行われていたことを、人々はまだ知らない。
 天災により中止となった東京オリンピックの代わりとでも言うように、東京大仏建立事業は人々に熱狂的な大歓迎とともに受け入れられた。むしろオリンピックを凌駕する勢いといえ、建立のための財源施策、所謂増税も大きな反対意見なく実施され、募ってもいないのに建築やそれに関わるボランティアは殺到した。天災により衰えたこの国は、東京の盛り上がりがまるで波及するように全国に広まり、盛り返していった。大仏バブルとそれを呼ぶ向きもあったが、時の政府も国民も、この大成功に酔いしれた。
 奈良の大仏の建立には7年を要したが、果たして、東京新大仏(公募による愛称:涅槃ネオ)の開眼供養は、天皇の発願から約3年で執り行われた。
 事件は、東京新大仏の開眼供養式典の終わった、その夜に、まず奈良県で起こった。
 人々はまず、「ふるえ」を感じた。その「ふるえ」は、めまいとなり、そして、数秒の間にそれは「地鳴り」となった。新大仏の開眼供養式典の夜に天災か?!と、人々は思った。そして、それは予想を遙かに超えた、天災、いやそれは神のめざめと言えるだろうか、そういった光景を目にすることになる。
 けたたましく鳴き声を上げながら逃げ惑う鹿たち、不気味な光を放つ博物館、そして宝物庫たち。宝物庫やそして奈良という地のそこかしこから、出土品たちが復元されていく…奇跡ではあるがそれはとてもまがまがしい…災いの気配に人々は見えたのだ。
 そしてその奇蹟の中心、東大寺大仏殿で、轟音とともに立ち上がった、盧舎那仏がいた。立ち上がっただけではなく、その表情は、明らかに魂が宿った者の表情であったし、そして声を発したのである。
「都さえ奈良に戻せば、全国の大仏の力を集め、この国を再び救おう。」

それは、始まりに過ぎなかった。

 この地に根差す大仏たちを、私たちは果たして幾つ知っているだろうか。そもそも大仏とは何メートルあれば「大きい」とされるのであろうか。答えはおよそ釈迦の身長の2倍スケール以上からが「大仏」なのである。意外と小ぶりと思うかも知れないが、想像をしてみていただきたい、場所に困ることには変わりない、目を覚ましていただきたい。