余裕のなさがまろび出る
余裕がない。
そう思う時は、だいたい誰かを傷つけた後だ。
お腹が空いているとか、夜更かしして睡眠不足だとか。
そういうことが重なると、人はとても危うい状態になる。
それは、単純にフィジカル・体力面としての危うさというのもある。
しかし、ここで肝心なのは付随するメンタル面での危うさであり、それはすなわち「余裕のなさ」と同義である。
例えば、あなたがご飯もろくに食べられずに三日も徹夜をしていたとしよう。
なんとか目をこじ開けて覚醒こそすれど立って歩けばふらふらだし、頭はもやがかかったようにぼうっとしている。ほとんど意識朦朧の状態だ。
そんな時に、友人から「おまえなんか今日元気なくね?笑」というようなテンション・温度感で来られたら、一体どうだろう。
いつものような顔に声色で、「そんなことないよ」とか「ちょっと忙しくてさ」なんて、言えるだろうか。
私は、できっこない。
そういった余裕のない時に、平静を装うことがどうにもできないのだ。
大抵、すこぶる悪い機嫌を如実に反映させたような返答しかできない。
そのような感情の元に出力された言葉というのは、案の定、誰かを傷つけ、関係にもヒビを入れてしまう。
やってしまった。
言ってから、人を傷つけ関係を壊した後で、「あぁ、やはり私は今、余裕がないんだな」とやっと自分の状態を俯瞰して見ることができる。
なにもかも遅いのに、何回も繰り返しているのに、私は学ばない。
そのせいで失ったものもたくさんたくさん、あるというのに。
未だに、余裕がなくとも虚勢を張って素知らぬ顔していつも通りにしてみせることも、余裕がすり減らないように管理することもできないでいる。
そしてこのまま、私はまた誰かやその誰かとの関係性を犠牲にしていくんだと思う。
最後に残るものは希望なのだろうか。はたまた何もないのだろうか。
どうしようもないこの身の残滓に幸多からんことを。
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