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直島の「南寺」で感じたこと。

4年の大学生活が、終わる。

ということで、友達と2人で卒業旅行に行くことにした。お互いアートが好き、ということで直島へ。

直島といえば草間彌生のかぼちゃが有名だが、「家プロジェクト」という直島の本村地区で展開されるアートプロジェクトがある。

「南寺」はそこで公開されている7軒のうちの一つだ。

ベネッセアートサイト直島の「南寺」の作品ページには以下の説明が添えられている。

「南寺」は、ジェームズ・タレルの作品のサイズにあわせ、安藤忠雄が設計を担当した新築の建物です。元来この近辺には5つの社寺と城址が集まっており、直島の歴史的、文化的な中心地になっています。「南寺」は、かつてここに実在していたお寺が人々の精神的な拠り所であったという記憶をとどめようとしています。

作品は15分ごとの入れ替え制で、外で並んで順番を待つ。一度に入ることのできる鑑賞者の数は限られていた。

建物に入るとまず、その暗さに驚いた。一歩進むにつれて視界が黒に包まれていく。歩くことさえままならなくなっていき、手で触れながら壁に沿って進んだ。そしてガイドの方の指示でベンチ(と思われるもの)に全員横並びに座り、ただ前を見つめ、じっと静かに目が慣れるのを待つ。

完全な闇。
これほどまでの暗闇に包まれるのは恐らく生まれて初めてだった。次第に自分が目を開けているのか、閉じているのかすらわからなくなり、時折両手で自分の目を触って確認したほどだった。

「不安」が襲う。自分がわからなくなることへの恐怖。自らの存在が曖昧になり、暗闇に溶けてなくなってしまうような感覚。

その時私は鷲田清一が著書「ちぐはぐな身体-ファッションって何?」の中で語っていたことを思い出した。

ぼくの身体でぼくがじかに見たり触れたりして確認できるのは、つねにその断片でしかないとすると、このぼくの身体って離れて見ればこんなふうに見えるんだろうな……という想像のなかでしか、ぼくの身体はその全体像をあらわさないと言っていいはずだ。つまり、ぼくの身体とはぼくが想像するもの、つまり<像(イメージ)>でしかありえないことになる。

身体はその意味で想像の産物、解釈の産物でしかないからこそ、もろいもの、壊れやすいものなのだ。

つまり、自分の目で直接見ることのできる自分の身体の部分は限られていて、例えば、顔や背中などは永遠に見ることはできない。そういった部分は自分のイメージで形作るしかなく、そのイメージのパッチワークでできあがる自らの身体は <像> であるためにもろく、簡単に壊れてしまうということだ。

完全な闇に包まれ、私は確かに自分の <像> が崩れていくのを感じた。そして必死に取り戻そうと、自分の右手で左手を触り、自分の存在を確かめたりもした。それでも目の前の闇は深く、不安は増していくばかりだった。


それは突然のことだった。

目の前にうっすら、「何か」が見えた気がした。そして徐々に確信に変わっていく。「光」が見える、と。

失いかけた自分を、一瞬にして取り戻せた気がした。そして、光を認識したことで「目を開けている自分」を再び感じることができた。

希望の光とはよく言ったもので、それ以外の表現はないと思った。その光には、瀕死の状態から救われたような、そんな「有り難み」があった。

ガイドの方に光のほうに歩いてみてください、と声をかけられる。近づいてみると奥には光に包まれたもうひとつの部屋があり、横に長いスクリーンのように見えた光は、こちらとあちらの部屋の間の壁にあけられた長方形の穴であることがわかった。

そしてさらに驚くべきことは、その光の強さは私たちが建物に入った時から終始変わっていないということだ。私たちの目が暗闇に慣れることによって、徐々に奥の部屋の光を認識できるようになったのだという。

繰り返しになるが、作品の紹介ページには「南寺」は、かつてそこに実在していたお寺が人々の精神的な拠り所であったという記憶をとどめようとしている、とあった。あの瞬間、光が見えた瞬間、私は確かに救われたような気持ちになった。ずっとそこにあるだけで希望となる「光」があることを知った。

かつてそこに存在し、人々の拠り所であったお寺は確かに今はない。だが、ジェームズ・タレルの作品と安藤忠雄の建築によって島の人々の記憶が「光」で再現される。そして私はそこに足を踏み入れることで、身をもって知ることができた。自分の身体の「もろさ」と、それを救ってくれる「光」、そして同じようにこの場所で救われてきた島の人々の「記憶」を。

#アート #直島 #南寺

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