初めてのクエスト
宿屋を出て、集会所に向かう。壁に掛けられた掲示板から、難易度Fのクエストを探す。一番簡単なクエストだ。大丈夫、僕ならできる。学校で一通りの魔術は覚えたし、多分だけど、難易度Fくらいなら僕だってできるはず。成績は中の下だったけど、僕より成績の悪かった先輩ができたんだから、僕だってできるよね……。
僕は淡い期待を抱き、依頼の書かれている木札を掲示板から外すと、受付に持っていく。
「初めまして。新人さん?組合への登録はまだかしら?はじめに加入証に記載して頂戴ね。初めてのクエストはこれでいい?『東の森の洞窟でゴブリン退治10匹』。あなた一人?ギルドのメンバーはいるのかしら?」
受付の若い女性は終始にこやかに話しかけるが、最後のところで僕は答えに窮する。僕に友達はいなかった。学生時代も一貫して僕は一人ぼっちで、いつも講義室の隅で突っ伏していた。何も言えずもごもごしていると、そんな僕の心の内を察してか、受付の女性はにこやかに次のような提案をしてきた。
「大丈夫。はじめはなかなかメンバーが見つからず、1人で苦労する冒険者が最近は多くなっていますから。貴方だけじゃないわ。当組合は、そういった最近の事情も鑑みて、なかなかメンバーを見つけられない初心者の冒険者に対して、こちらで冒険者同士を斡旋してギルド結成を援助する制度を用意しております。貴方もこちらの制度を利用されますか?当組合も精一杯サポート致しますので、きっとすぐ仲良くなれると思いますよ。」
僕は何も言えず、ただこくんと頷く。女性は僕の意志を確かめると満足そうにうなずき、追加の記入用紙を用意し、オプション利用料として追加で4000クローネを要求してきた。僕は一瞬クラっとした。それは毎月の親からの仕送りの半分程度の金額だった。つまりそれは僕にとって少なくない金額だった。しかし、僕は自分から仲間を呼びかける勇気もなく、と言って一人で依頼を受ける自信もなかったので、泣く泣く書類に記入し、金を支払った。これらはすべて機械的にやったのだが、書類に記載している最中も、僕は馬鹿だと、半ば自嘲的に自分を意識した。しかし、そう思ったところでどうしようもなかったで、すべて僕の意志とは関係がないのだと、なるように任せた。学校の同級生が、楽しげにギルドメンバーと会話し集会所を飛び出して行くのを尻目に、僕は受付の女性の案内で別室へと移動した。
別室には、僕と同じような境遇の、冴えない顔立ちをした若者が、曖昧な表情を浮かべたまま右往左往していた。僕が最後の人間らしかった。僕をここまで案内した女性は手をポンッと叩くと、学校の先生が生徒に対するように、全員の注意を自分に集め、それから集まった一同を整列させ始めた。
冒険者にはそれぞれ職業があり、前衛の盾《シールド》と剣士《セイバー》、中衛の弓使い《アーチャー》、後衛の魔導士《キャスター》と治癒術士《ヒーラー》に分けられる。正確に言えば、他にも色々と職業はあるのだが、初心者冒険者は以上に述べた職業だけで事足りる。ギルドメンバーは上記の構成を中心として、最低5名から最大200名程度の大規模なものまで、様々な規模で組織される。
初心者ギルドならば大規模である必要はない。5名程度で十分である。案内役の女性は一同に指示をして、僕たちを職業別に一列に並べ、それぞれ5つの列を作り、横の列と同じになるように前後の間隔を調整すると、全部の職業が含まれるように水平に、行列でいうところの『行』で区切って、一つのパーティーを組成した。列の最後の方で人数が足りない職業がある場合は、余っている職業の人員で補填した。しかし、不思議なほどそれぞれの職業は均衡しており、それほど修正は必要なかった。ひどく散文的なやり方だったが、特に不満はないようだった。お互いあぶれもの同士、いい加減に扱われたからと言って、特に反対する理由もなかったのだ。
案内役の女性は一通り仕事を終えると、僕たちに自己紹介をするよう提案し、問題がなければギルド結成の書類に記入するよう連絡した。それで僕らは仲間になるのだった。気に入らなければ、再度メンバーの調整も行えるようであったが、見たところ名乗り出る者はいなかった。
僕はメンバーを見渡した。どの顔もこれと言って印象に残らない、野暮ったくて不細工な顔だった。皆一同に、遠慮がちに声を発するタイミングを伺っている。ここで最初に名乗りを上げたものが、その後、ギルドのまとめ役となり、リーダーとなるのだ。どの顔もそれだけは御免といった様子で、横目を使って互いに相手を牽制しあっていた。その時だった。おどおどと気持ち悪く身をくねらせている男達を尻目に、彼女が第一声をあげた。
「私、クルミ。職業は盾《シールド》。冒険者だった兄から盾の使い方を教わったの。兄みたいになりたくて、物心ついた頃から冒険に出るのが夢だったわ。私がいれば防御は完璧なんだから、みんな心してついてきなさいっ。」
煮え切らない態度の男達と反対に、彼女の存在は生命感にあふれ、溌溂としていた。それはどこか場違いな印象を与えた。彼女のような真っ当な存在が、こんな陰気な落伍者の間にいていいはずはないのだ。彼女以外のメンバーは全員男だった。彼女の圧倒的な存在に照らされて、僕たち男は己の劣等性を認識し、もじもじと恥ずかしそうに自己紹介した。彼女は可愛かっただろうか?わからない。客観的に見て、それほど可愛いとまでは言えなかったろう。しかし、それでも、彼女は僕らの間では絶対的に可愛かったのだ。ふっくらした頬、平べったい鼻、黒目がちな大きな目、あどけない眉、むちっとした手。そのどれもが、僕らの間では神々しい意味を持った。僕らは彼女を恐れると同時に憧れた。僕らはまた横目を使いお互いを牽制しはじめた。
部屋の出入り口に設置された机でギルド結成の手続きを済ませると、僕らは最初のクエスト『東の森の洞窟でゴブリン退治10匹』を行うべく、集会所を後にした。目的地に向かうまでに、彼女はとりとめもなく自分の故郷のこと、家族のこと、兄妹のこと、受けてきた訓練のことを話した。僕らは彼女の後ろで押しのけあいながら、話のお相手になろうとするのだが、そのくせ出てくる言葉は、てんで的外れの愚にもつかないセリフであった。彼女はそんな僕らの馬鹿騒ぎも意に介さず、淡々と語りながり目的地までの道のりを歩み続けた。
「クルミちゃん、オレ、ドルニエ村第5ギルド組合の養成所で剣術を習ってたんだ。成績はいつもクラス上位10位以内だったし、今度良かったら剣術を教えてやるよ。」
彼らは、学校に通っていない彼女に向かって、口々に己の学校名を名乗り、如何に自分が成績優秀であったかを説明するのであった。彼らは己の権威を笠に着て、彼女を眩惑しようとするのだが、その実彼らの在籍していた学校は大したものではなく、星の数ほどある冒険者養成所の中では下の下で、ほとんど言うのも恥ずかしいくらいの位置のものだった。僕は心の中でこんな奴らと一緒になのは、自分の実力からしたらほんとに不本意だと思い、そのうち折りさえつけばクルミちゃんと一緒にギルドを抜けてやろうと思った。男たちのつまらない自慢話を尻目に彼女は『へー、すごいねー。』と相槌を入れるものの、ほとんど興味のない仕方で受け流しているのだった。
そうこうするうちに目的地に着いた。低ランクのクエストということで僕たちは慢心していたし、また己の実力にも自信を持っていたので、ほとんどピクニック気分で洞窟の入口へと入っていった。彼女だけが怯えるような眼つきで洞窟へと消える彼らを見つめていた。
松明の明かりを頼りに洞窟を進んでゆく。水の滴り落ちる、ぴとっ、ぴとっ、という音に静寂が倍加され、本能的な恐怖が心の底から湧きおこる。最初はあれだけ陽気だった男たちも、今では無言で肩を緊張させながら洞窟の中を奥へ奥へと進む。しばらく行くと道は二又に分かれていた。どちらに行こうという話になり、とりあえず剣の鞘で地面に印をつけて右に行くことにする。しばらく行くとまた二又の分岐路がある。同様にして今度は左に行くことにする。すると今度は三又の分岐路に出る。
そんなことを繰り返しているうちに僕らはだんだんと訳が分からなり、いったい前に進んでいるのか、それとも同じところをぐるぐると回っているのか、判然としなくなる。もう前々からヤバいんじゃないかといった考えがお互い頭に浮んでいるに違いないが、明白な事実を認められず黙って同じことを続ける。そろそろ歩き疲れて、一旦休憩を提案しようとした時だった。
前方の暗がりからすすり泣くような声が聞こえる。一同の顔にさっと緊張の色が走る。すると、体長1mくらいで、僕の臍の辺りまでしか身長のない、全身ライムグリーンの、長いとがった耳と、ひん曲がった鍵鼻と、爬虫類を思わせる目を持った、筋張った体に頭部だけが嫌に大きい、小鬼のような生き物が、棍棒を手にこちらに二足歩行で近づいてきた。『ゴブリンだ』と誰かがつぶやいた。
本能的な恐怖が全身を駆け抜ける。余裕だと思っていたのに、いざ敵を目の前にすると恐怖で足がすくんで何もできなくなる。ゴブリンはなぜか一匹でトボトボとこちらに近づいてくる。剣士《セイバー》の男は半ば機械的にぎこちなく剣を振り下ろすと、そのまま壁面にあちこちあたって音が反響しながら、剣先はゴブリンの頭部に直撃した。頭を割られたゴブリンは漿液を飛び散らせながらその場に仰向けに斃れる。
「ッハ!やっぱり大したことね―じゃねーか。」
自分より何倍も小さい敵を倒して男は得意になる。しかし、それも一瞬のことだった。奥の暗がりからいくつもの目が爛々と輝いているのに気づく。僕たちは恐怖に言葉を失う。一瞬の間をおいて、ものすごい奇声が洞窟内に轟き、ゴブリンの群れが突進してくる。少なくとも20匹はいるだろうか。僕たちは矢も楯もたまらず、一目散に逃げだした。すると後方でガンッ、と鈍い音とともに切断されたゴブリンの腕がこちらに飛んできた。
「コイツらは私が食い止めるから、アンタたちは後ろから支援をお願い!」
彼女はそういうと、身の丈ほどもある盾を軽々と一閃し、突進するゴブリンの群れをまとめて薙ぎ払う。彼女は戦う気でいるのだ。その事実に僕たちは驚愕した。彼女は迫りくるゴブリンの群れを食い止めながら、チラチラとこちらを伺う。いつ反撃の準備が整うか待っているのだ。僕らは互いに顔を見交わす。そこにあるのは奇妙に歪んだ顔ばかりだ。僕たちは己の無力さを再確認した。そしてお互い頷くと、一目散に走りだした。
「あっ、ちょっとアンタたち!待ちなさいよ!見捨つもりなの!?」
振り返ると、クルミは迫りくるゴブリンの群れに押しつぶされ、滅茶苦茶にされていた。真っ二つに切断された身体からは内臓が飛び出し、そこかしこに、嘗て人間だったものの一部が転がっていた。ごめんクルミ、僕にはこうするしかないんだ。こんなことは学校で習わなかったし、仕方ないよね。僕は都合のいい自己弁護を心の中で繰り返す。
逃げる途中、セイバーの男が岩に蹴躓いて転倒する。僕らはこんな愚図は信じられないといった面持ちで顔を見交わす。ほっといて逃げようとするのだが、男は『オイッ!助けろよ!俺たち仲間だろ!オイッ!ヒーラー!』とうるさく叫ぶ。すると、ヒーラーは何を思ったのか突然仕事する気を起こし、セイバーの傍に跪き呪文を唱えようとする。ゴブリンはもうすぐそこまで迫っていた。
その他2名は彼らなど信じられないかのように見捨てて逃げ出す。何の気なしに放ったアーチャーの矢がセイバーの頭頂に刺さり、端無くも最期のとどめを刺した。
それからしばらく逃げたが、日ごろの運動不足の所為か、直ぐに息が上がりもうこれ以上走れなくなる。後ろからはまだゴブリンの追手の声が聞こえる。ゼイゼイ言いながら広いところに出ると、道は二手に分かれていた。俺は右に行くから、お前は左に行けと、アーチャーは僕に告げる。右は確か行き止まりになっていたけど、僕はそんな事はおくびにも出さず、首を縦に振りアーチャーの提案に賛成の意を示す。アーチャーは頷くと右のほうに消えていった。僕は左に向かった。
僕は体をくの字に曲げ、痛むわき腹を押さえながらずるずると前進していた。当然前進スピートが遅いのだから、ゴブリンの群れはもうすぐそこまで迫っていた。助からないのは明白だった。そこで僕は意を決して、ゴブリン共に最期の反撃を喰らわしてやる気になる。
「ち、地に満ちる水の聖霊よ」
(くっ、こんなギルドじゃなければ、もっと運が良ければ、僕はもっと上に行けたんだがなぁ……そうだ、僕はもっと上にいるべき人間なんだ)
「湿度と冷たさをもたらすものであり、万物流転のエレメントよ」
ゴブリンは僕の2歩手前で涎を垂らしながら、純粋な破壊の衝動に駆られて僕の首を掻き切ろうとしていた。
「幾千幾万の氷柱となって彼らを刺し貫き給え『氷雨の投擲《アイスブリザード》』!!」
呪文の絶叫とともに、杖からは一寸程の光の塊が放たれた。光の球は、ポンッとゴブリンの肩にあたると、そのまま宙に浮かんで淡く消えた。それは意図した効果ではなかった。では、何もかも駄目だったのだ。ゴブリンの群れは僕の上に折り重なり僕の喉笛を嚙み切った。彼らは僕の内臓を引きちぎり、切り取った肢体で図形を描いて遊んだ。薄れてゆく意識の中で、僕は僕の結末が最初からこのようなものであったことを判然と理解した。