業界(ごうかい)

これ、普通に読むと「ぎょうかい」ですよね。でも、仏教用語としては「ごうかい」と読むそうです。

ひとことでいうと、各個人が持つ自分の世界です。

業 = 行い、はそれぞれが人生を通して「見た」「聞いた」「話した」「考えた」ことになります。人はそれぞれ業によりできた世界(業界)に住んでおり、常に別の見方をしています。ですので、人は同じものを見聞きしても、同じようには捉え映しません。あくまで部分部分での共感はできますが、どの個人に対してもこれだけは言えない、あるいは伝えることができないという範囲があるもので、心の底から分かり合える魂の連れはいないことになります。

経験や学習、環境や得意が違うと、受け取り方が異なってくるので、分かり合えないことは出てきます。むしろ、分かり合えない方が当然です。不思議なもので、「孤独は山になく、街にある」(三木清)そうです。周りに人がいることにより分かってくれる人がいることを期待し、余計に孤独を感じてしまうのでしょうか?

もちろん、素の自分をだし、最も楽にしている状態で、弱い部分や悪い部分を見せた自分をなお受け入れてくれる人がいたら幸せです。それでもその人は個性を受け入れているだけで、完全に理解しているわけではないはずです。

一方で、完全に分かり合うことができないと知ることで、自我を必要以上に押し付けずに、お互いを認め合うというスタイルができあがります。前提を分かり合えるにすると、分かってもらえないことへのストレスがたまります。ネガティブな面が強調されるので相手に腹を立て、分かることを強要します。しかし、分かり合えない前提に立てば、分かってもらえないことに苛立つことよりも少しでも伝えるためにはどうすればいいかに注力するでしょう。その時、少しでも通じたならば、その事実にむしろ嬉しさを感んじることでしょう。相手が自分の思いに共感してくれた、歩み寄ってくれたことへの感謝も生まれるでしょう。それぞれが「分かり合えない」という前提に立てれば、お互いの立場(業界)を尊重し歩み寄ることで理解を深め、それはより良い人間関係の構築を手助けするでしょう。

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