職場で「なんとなく」嫌われても気にしない
なんとなく嫌われてしまう、ということはあります。
特にきっかけはなく、相手が嫌がることをした記憶もなく(本当はしているのかもしれないけど)、自分としては原因が判らない。
はっきり嫌いだと言われたり、明確に意地悪をされたりすることもない。
それでも、「ああ、この人、私のこと嫌いだな」と感じる。
友達づきあいであれば、まず相手が近づいてこないので、関係がそこで終わるだけで済みます。
でも、職場ではそうはいきません。
相手も子どもではないのでそうそう態度に表しませんが、逆にこちらも子どもではないのである程度感じ取ってしまいます。ちょっとした言葉の端々、仕草、目線。厄介なことに、年齢とともに洞察力は鋭くなります。
仕事に支障をきたすのなら解決する必要がありますが、そうでない場合は逆に悩ましい事態になります。解決してもしなくてもいいからです。
社会人になって初めてそういう事態に直面したときは、どうしていいか判らなくてうろたえました。
原因が判らないので対処のしようもない。そもそも、嫌いだと言われたわけでもないから正面切って対峙することもできない。
それでどうしたかというと、放置しました。
「それなら私のことを好きにさせてやる!」という前向きな質ではまったくなく、むしろ本来の気性としては「それならこっちも嫌いになってやる!」だったのですが、仕事の忙しさに気力と体力を奪われすぎて、それどころではなかったのです。
ただ、自分を嫌いな人と接することはうれしくはないので、できるだけ関わりを避けていました。
職場の人間関係で恐ろしいのは、一定の状態が何年でも十何年でも続くことです。
ただ、その間にお互い大人になるという現実もあります。
年を経るにつれて、避けるのではなく普通に接することができるようになりました。(余分なことに使える気力がますます減ったこともありますが)
もともと職場で特別な仲良しをつくるタイプでもないので、「誰にでもだいたい同じように、フラットに接する」という中にその人たちも入っている、という状態でした。それが何年も続きました。
すると、突然、かれらの態度が変わりました。
これも、特定のきっかけはありません。
ただ、いつのまにか、「なんとなく嫌われている」感じがなくなりました。
相手がより大人になってそれを感じさせないだけ、という可能性もありますが、こちらも同じだけ成長していますから、少しでも違和感があれば察知しそうなものです。むしろ友達のように接してくれるようになった人もいます。
こちらとしては拍子抜けですが、ポジティブな方向に変わったのならまあいいか、と単純に喜んでいます。
今思うのは、「売られた喧嘩」を買わなくてよかった、ということです。(表立って売られてはいませんが)
買ってしまっていたら、関係性の変化を受け入れることに躊躇があったはずです。あるいは「受け入れてやるよ」という気負いが。
それはどちらも相手に伝わり、さらにややこしい冷戦を招きかねません。
相手の変化をすんなり受け入れられるのは、自分の側に感情的な障壁がないからです。むしろ、自分はこれまでのまま変わらなくていい、という余裕があります。
こちらとしてはわだかまりは何もないので、堂々と握手できます。
ちなみに、最近(つまりこちらもそういう悟りの境地?に入ってから)、私の発言自体を拒否する上司にあたりました。
もちろんその瞬間はムッとしますし、悔しくも悲しくもありましたが、面倒なので表向きはフラットに徹していたところ、やはりある時から普通に話を聞いてくれるようになりました。
これについては相手の思惑は判りませんが、こちらとしては変化を受け入れるのが楽、という点は同じでした。
明確な理由のない、「なんとなく」レベルの人間関係にはあまり気力を割く必要がないのかな、という話でした。