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「なんで自分ばっかり」は、あきらめた

なんか自分ばっかり仕事が多い気がする。
なんか自分ばっかり残業してる気がする。
なんか自分ばっかり損してる気がする。

なんで自分ばっかり?

毎日忙しくて大変でいくらやっても終わらない。
そんな状況にある
責任感が強くて真面目な人、
あるいは気が弱くて不器用な人が
職場で一度は思うことではないでしょうか。
(家庭での家事分担でもあるかもしれません)

新しい仕事を振られるたびにもやもやする。
暇そうな人を見ると苛々する。
「真面目だよね」と言われてカチンとくる。
そして、他の人に恨みがましい思いを抱く。

ストレスには
短期的なストレスと長期的なストレスがあって、
軽いストレスでも、何度も繰り返したりずるずる続くと
深く心を蝕むのだそうです。

私もやられていました。

実際に、仕事をしたがらない、楽することだけ考える
トンデモ社員と一緒になったこともありますが、
周囲にそんな人がいなくても、やたらと
「なんか私ばっかり」が頭をよぎる。
それはもう、社会人になってからずっとです。

今も完全にふっきれたわけではありませんが
ある考え方で、かなり気持ちが楽になりました。

「私は、私の矜持のためにこうしている」

仕事を抱え込んでしまう人というのは、得てして
(能力ややる気、マネジメントの問題もありますが)
実際に振られる仕事が多いか
一つひとつに時間がかかるか
であることが多いです。

振られる仕事が多いのは、(別の意図がない限り)
信頼されていることの表れでもあります。
仕事がスタックしたら、それを振った人も困ります。
だから、絶対にできない相手には仕事を振りません。
むしろ、安心して任せられるから振りたいのです。

一つひとつの仕事に時間がかかるのは、
そこに完成度を求めるからです。
ミスがないようとことん確認するのかもしれないし
より美しく見やすく、といったこだわりかもしれないし
あらゆる可能性を考えて先に手を打っているのかもしれない。
もしかしたら、相手を喜ばせたくて
言われた以上のものを返したいからかもしれない。

信頼されている。
完成度を追求する。
どちらも、自分を誇っていいことです。
他人が同じかどうかなんて、気にする必要はないはずです。
ならば、何故もやもやするのでしょうか。

心の声が
「あいつ仕事しないな」ではなく
「なんで自分ばっかり」なのは、
他人に腹を立てているように見えて、実は
自分の中で、ないものねだりをしているのです。

理想を言えば、信頼されて完成度の高い仕事をして
なおかつ余裕のある状態でいたい。
本当に優秀な人、器用な人はそれもできるでしょう。
でも、凡人にとってはほとんどトレードオフです。

ないものねだりの「ないもの」は何かというと、
上に書いたような理想の状態、だけでなく
今と違う自分、もです。
他人の要領のいいふるまいは、自分の中にはないのです。
その証拠に、
「仕事しないあいつ」と同じことを
自分がしたいか?と考えると
それはそれで肯定しがたい。
というか、したくない。

それに気づいた私は、自分の仕事のしかたは
これしかないんだと、あきらめました。
自分の中にないものを断念すると同時に
明らかにして認める、というあきらめです。

もし同じように感じるのなら、あきらめてください。
要領よく、ラクして少しの仕事でごまかすことは
あなたにはできません。
というより、それは
本当にあなたがしたいことではありません。

あなたは、信頼を受けて、完成度の高い仕事をしています。
それは何のためでしょうか。
何を求めて、何を守るために、頑張っているのでしょうか。

私の答えは、「自分の仕事に納得できること」でした。
それが向上心なのか負けず嫌いなのか見栄なのかはさておき
自分で自分に胸を張れるように、というのが
本音でしっくりくる理由でした。

ならば、思うべきことは
「なんで私ばっかり」ではなく
「私は自分のためにこうしている」です。

前者は他人と自分を責めますが、
後者では周囲は関係ありません。
自分だけで完結するからです。
また、自分の要領の悪さも関係ありません。
矜持が求めているのはそこではないからです。

この考え方は、私をずいぶん楽にしてくれました。

いまだに「なんで私ばっかり」は
ふとした時に顔を出しますが、
そこは崇高な表情で胸に手を当てて
「いえ、これは自分がしたくてしていることなのです」
……とまでは達観できないので、
「あーもう疲れる、でも性分だから仕方ない、
やらないと自分が納得できないしさ~」
とぼやくようにしています。
これでも、自分と他人を責める
「なんで私ばっかり」
よりは、だいぶ消耗が少ない気がします。