「人の心が難しい」。


人を怒らせてしまった時がある。


後から考えてみれば
その人がなんで怒ったのかは察しがつく。


でもその時僕が発した言葉が
その人の怒りに触れるものかどうかは人による。

その発言が我慢できる人が多いかどうかの話ではなくて、



その人の今のコンプレックスや
どうしようもなく敏感になっている感情、



そういうものに時々触れてしまうことがある。



「悪気は無い」


そういうと安い言い訳のような感じがして
普段から人よりモラルがないよう人間に思えてしまう。



でもそういう表現しか出てこない自分が虚しい。



僕の普段からする無意識の会話の中の発言で
その人を傷つけてしまったことは事実で


その人が嫌いなわけでも、遠ざけたいわけでもなくて、



もうこれ以上言い訳をするのは
悲しくなるのでやめる。



でもそうだからこそ
傷つけるような事はしたくないし
傷ついてほしくない。


こんな相手を想うようなこと言ってても

傷ついたその人が僕と距離を取りたがっているのに

その距離が僕にとってはすごく不安で
謝ったり事情を聴いたりして一方的にその距離を
縮めようとしてしまう。



傷ついてほしくないと言いながらも
自分の不安な気持ちを取り除きたいだけの
なかなかの独り善がり。



きっとその人は傷ついて、
僕はぽっかり穴が開いた感じだ。



「相手の気持ちを考える」というのは 
どういうことをいうのだろうか。


もっと大人になれば相手を想うことができるのだろうか。


でも5年後も、10年後も
自分の不安を優先しそうな気がしてならない。


自分の子どもができたら
家族はなんでも話せる間柄がいいといって

ズケズケと今は親に言いたくないようなことを
なんでも聞き出そうとしそうだ。
自分の子どもの知らない部分があることが不安で
相手を想っているようなフリをして。




距離をとる。

待つ。

聞かない。




そんなことも思い遣りのひとつなんだろう。


その今の相手の感情との適切な距離が分からないのだけれど
適切な距離を図ろうとすることが間違っているのかもしれない。



きっと相手を信じるしかないのかもしれない。


傷付けたのに、

傷付けたのに、



そのひらいた距離を相手に任せるしかないのかもしれない。




この信じる気持ちも、時間と共に風化してしまうんじゃないかって

それも怖くて、それにこの信じている気持ちが
綺麗ものだと自分で思ってしまっていることも気持ち悪くて、
傷付けたことにどう向き合ったらいいか分からない。


自然に出てくる欲が憎い。



いっそなにも考えない方が
良い方向へことを運びそう。


なのに、そのなにも考えないことが人の心を傷付ける


傷をつけたのに、その傷の深さを知ることができない。



相手の傷と自分の穴を埋める方法が

「時の流れ」であってほしくない。




人の心が難しい。



あなたはそういうとき
どうされますか?


ここまで読んで頂いて、本当にありがとうございます! コメントやシャアも大歓迎です!気軽にあなたの「スキ」な気持ちを伝えて頂ければ!未だサポートはされた事はありませんがきっと気が狂った様に喜びます。他の記事も是非!!