楽しそうに生きるには
楽しそうに生きてる人って魅力的である
自分にはできないことって少なからず存在する。そういうできないことをスッとできる人は目につきやすいというか、自分の中で注目度が高い。
ないものねだりだと思う。
自分には自分のいいところがあるとも思うが、できれば自分の手でやれることは増やしたいと思うのは当たり前だと思う。
だからこそ自分のもってないものを持っている人を見ると、関心を向け、感心し、うらやましくなる。
羨んだそのあと
僻むのか、諦めるのか、手を伸ばすのか
僻み妬み嫉み、この感情が悪だとは言わない。自分はもっとできるはずだ、あいつに負けてられない、そういったデカくてつよい感情は人を動かす大きなエネルギーになると思うから。それで頑張れる人もいると思うから否定はしたくない。ただ、私の場合、いつまでも僻んでると、いつしか実力不足な自分の力量を責めるようになって多分ものすごくしんどい思いをする。なんであの子にできて私には出来ないのだろう、自分が無能なんじゃないか、って。
だから私は「うわそれ出来るんだ、すご、いいなー」のあと、自分がその人の良いと思ったところをどうすれば自分もできるようになるかを分析するようにしている。
後輩の接客の仕方とか見て、しっかり周りを見れていてすごい、私はああやって出来てないなと気付かされることもある。そういうときに自分とどう違うんだろうと観察を繰り返し、ここか!って気づいたらちゃんと伝えてこうと思う。「接客すっごく丁寧で親切ですごいね。私はまだそれが出来てないから見習うわ、いつも丁寧な接客してくれてありがとう」って。
言葉で伝えられるともしかしたらそこからコツが聞けるかもしれないし。目で見て仕事を盗むのは大事だけどそれどうやってやってるんすか?って下手に秘訣を聞くのもまた大事
また、自分が尊敬してる人に尊敬してます、こんなところが好きです、と伝えることで
私も相手もなんか良い気分になれたら
私のいきる環境は多分いつかすごく息のしやすい環境になるんじゃないかなって思います。
わたしの世界は私が関わる人でできていると思うから、私の周りにいる人を大事にすることは、私自身と私の人生を大事にすることだと思います。
私の言葉が心の支えになりうるのであれば
1000回伝えてそのうちの1個でも誰かの心の支えになれたら
まわりまわっていつか私を支えてくれる気がする
私が羨んだあの人のいいところを、私が手に入れることができたなら
最初に述べた、「楽しそうに生きる人」に一歩近づけるのではないかと考えながら生きてみる