命の今際
先日、猪の止め差し(致命傷を与えて死に至らしめること)を初めて目の当たりにすることができた。
とても新鮮で刺激的なこの体験で感じたこと・発見したことはいくつかあるが、ひとまず「外傷によるリアルな死に際」を知って感じたことを記しておきたい。
致命傷を受けた猪は
猪は首元に入った刃からおそらく動脈に傷を負い、その瞬間から死ぬことが確定した。致命傷であることは大量の血が流れ出していることから素人目にも明らかだ。
しかし猪は勢いのよい突進を繰り返す。動脈を切られこれほど流血してもこんなに動くことが出来るのかと、驚くばかりだ。
見入ってしまって、そして致命傷が入ったらあっという間に死んでしまうものだと思っていたから時間を測ったりしていないけれど、2〜3分は結構な勢いで動けていたのではないだろうか。
さすがにしばらくしたら立っているのも辛くなって倒れ込んだが、人が近づくとまた立ち上がり向かってくる力はある。
さらに時間が経過すると人が近づいても動けなくなったが、地面が血溜まりになっていても息絶えてはいない。ここまでどれだけの時間が経ったか分からない。10分か、それ以上か…
やがて声が途絶え、絶命したことを確認できた。
すぐに死なない
猪だったから特段生命力が強いというのはそうかもしれない。しかし、ゲームやマンガでよく見る「首を切った瞬間に脱力して死ぬ」「心臓を撃ち抜いた瞬間に脱力して死ぬ」というのは幻だというのが分かった。
正直、そういった致命傷を受けたら即とはいかずとも数秒で脱力し動けなくなり、意識が遠のいていくイメージでいた。
でも、つい先日草刈り機で自分の首を切って亡くなってしまった人がいたのを思い出した。「草刈り機で自分の首を切った」と自ら通報していたそうだ。
猪でも人でも、動脈を切ったくらいで簡単に意識はなくならないのだ。草刈り機を止めて携帯で110番かけて自身の状況を説明できるほど明瞭に意識があり、体も動いた訳で。
自分を終わらせる時どうするか
私は自分に限界が来たら自分で自分を終わらせたいと思っている。それも、なるべく苦しくない方法で。
自然に身を任せても医療に身を任せてもその先はいつ終わるのか分からない長く苦しい時間が続くだけ…ならば、自らが「これこそは」と思う最良の終わりを追求し、それによって生涯を閉じたい。死に際も含めて人生のQOLなのだ。そして、もし最愛の人を残して死ぬのなら負担を残したくもない。
首に致命傷を負ってもなお生き続ける者を見て改めて自分の終わらせ方に考えを巡らせる。やはり狙うべくは脳であり、意識を飛ばすのが肝要だと。
もともとそういう方針なので変わった訳ではないけれど、今回の猪の死に際を見て自分の方針を再肯定した。そして「首や心臓を狙うのはNG」が追加された。これまでは「自分に刃を突き立てるのが怖かったから」だけれど、そこを狙っても痛み苦しみの発生から終了までが長いことが分かったからだ。
人生最大の負のイベントである「死」、これを出来るだけ快適に通過したいものだ。