バイタリティーと自活力を取り戻す
バイタリティー…生命力、活気、元気を表す。現代社会で雇用労働を約10年経て、これが大いに減退した気がする。
そして金でなんでも解決してきた結果、金が稼げなくなったり金で人が動いてくれなくなったら、私は住処や食べる物にありつけず何も出来ずに耐えるしかないだろう。
しかし、人間は本来もっとイキイキしていて、もう少し強いはずだと考えている。
バイタリティーを発生させる環境
バイタリティー豊かにイキイキと生きていくにはいくつかの要素が必要だと思う。
まずは裁量。誰かの支配下に置かれ、どうでもいいもののために無心で働かされていては心が死ぬのも当然だ。つまり、雇用労働で長時間誰かのコマとして働くことがバイタリティーを殺すのだ。
自分の欲しいものを得るために自分の裁量で動く…これがバイタリティーを育んでくれると見ている。
次に、適度な自然。やっぱり自然はあるだけで違う。自然のある所に滞在する機会がないとなかなか気付けないが、建物だらけのコンクリートジャングルは常に圧迫感がある。その中で大量の車が絶えず走り続けているから空気もよどんでいる。
自然がない環境だと活力がみなぎりにくいように感じる。
最後に、生の実感だ。何かの目的のために身体をよく動かすことや命の取り合い。最も低いレイヤーのものでいうと人との交流などが挙げられると思う。こういった刺激はきっと生活にハリを持たせてくれる。
雇用され金で生活を繋ぐのが当たり前の現代において、生を実感できる機会が少ない人も多い。比較的多いとしたら登山が趣味の人。私も以前は登山の何が楽しいのか分からない一人だったが、今はその良さが理論的に理解できる。
また、命の取り合いになりかねない状況の中で人はドキドキし、高揚し、それ以上なく真剣に物事へ取り組む。
このような過ごし方は人間の動物としてのバイタリティーを呼び起こしてくれるのではないだろうか。様々な技術がめまぐるしく発展しても、人間の身体や本能は狩猟採集していた頃とそう違わないはずだ。
だから私は自然豊かな土地へ赴き、雇用の世話になるのを最小限に留め、人とよく関わり、肉や素材を求めて生き物と対峙し、身体をよく動かす暮らしをしてみたい。
自活力を取り戻す
現代ではありとあらゆるものが便利で、それらを金で利用するのがスタンダードになっている。しかし、それらに依存するほど自分で解決することが難しくなる。「いつもスーパーで買うお肉、自分で調達できる?」と聞かれてできる人は少ない。
そうやって依存しきったものをバッと取り上げられたらどうなるのか。金さえ払えばなんとかしてもらえたから自分で対処できる能がない。
私はそうなりたくないのだ。自分が必要とするものは自分でなんとかできる、出来るだけそういう人間でありたい。古の人はきっとそれができていたのだから。
自活力を取り戻すのに金への依存を減らしていくのは有効だ。金で解決=人任せということだから。何かに困った時、自分自身で対処することを増やせば当然できることが増えていく…それの繰り返しで、昔の人のような自活力を取り戻していける。支出も減って一石二鳥。
強くなればなるほど、金を稼がなくても、物を買わなくても間に合うようになる。すなわち理不尽な要求を飲まなくてもやっていけるようになる。私は屈するのが超キライなので、これは最高の利点なのだ。
ちなみにそういう考えのもとで自分の財布を作ってみたりしていたら友人が「私にも作ってほしい」と頼んでくれた。自分の能力を頼ってくれるのは嬉しくて気分が良いものだ。また、自分の活動に興味関心を持ってくれる人がいるのも嬉しい。もっと自活力を磨き、自由でハリのある暮らしを楽しみ、人に頼られたいと思う。
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