家に帰るのに理由なんかいらないさ(気配を感じるとき)
どこかで見た映画だったか、あるいは、何かで読んだ物語だったのか、
思い出せないでいるが、僕はこんなストーリーに触れたことがあります。
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都会で颯爽とお仕事に勤しむ男性。
上昇していくことしか考えていない。
だが、ある日突然に、不本意な異動を命ぜられる。それは全く予期していなかった田舎街でのお仕事。自身の身の上を呪いつつも、遠い街に移り、お仕事を始めるのだった。
クラシックだが太いルート沿いに商店が並び、あっちでは乾いた風に小麦の穂波が広がり、こっちでは時々バタバタと大仰な音を立てて車が行き過ぎる。彼の生まれ育った東部の都会とはまるで違う時間が流れている。
少しずつ、街のみんなにも顔と名前を覚えられ、カフェに行けばおはようと声がかかり、調子はどうだい?とガソリンスタンドのオフィスから挨拶が飛んできて、日が暮れればこっち来いよとパブで椅子を勧められる。
お仕事終わりにはあいつと笑い合いたくっていつものダイナーに入ったり、休みにはみんなで連れ立ってスタジアムに向かったり、最初は嫌だったこの街での暮らしもいつの間にか日常になっていったのだった。
さて、この街での任期を終えた彼。
もといた都会のヘッドオフィスに戻る。田舎にいたことなんか忘れてしまったように、テンポの早い打ち合わせをいくつもこなし、資料に目を通しているうちに、いつの間にか窓の外で季節が移っていくのだった。
そんな、ある夜更けのこと。帰宅して明かりをともす。ソファと窓の間に置いた静かな明かりをひとつだけ。おもむろに受話器をとって、番号をプッシュする。コールが始まる。
虫の声がコロコロなっている。秋の草が乾いた星空を見上げながら夜の風になびいている。常夜灯が煌々と、誰もいないガソリンスタンドの片隅を照らしている。あっちの隅で公衆電話が、たったひとり、鳴っている。
誰も出るはずのないコールを聞きながら、彼はふっと口許を緩める。
あの街の、あのスタンドの、あそこにある、あの公衆電話を鳴らしている。
あの街であの電話が鳴っている気配を、いま、ここにいて感じている。
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ここまで読んでくださってありがとうございます。
学生の頃、手当たり次第に文学作品を読んだり映画を観たりしていて触れたストーリーなのか、あるいは僕がふるさとを思うあまりに心の中で勝手に創作してしまっているのか、、もう今となっては定かではありません。
僕も都会へ出て仕事を得て、結婚して子どもを授かって。いつの間にか、何かしらの理由がないと帰省できなくなりました。そのことを思うたび、ふるさとの気配がここにあるように感じるのです。