7.30
中途覚醒してしまったのでこの文章を書いている。
最近はよく本を読んでいる。大学に行けなくなったからだ。正確に言えば、授業にだけ行けなくなった。大学の図書館には行っている。私は神経症傾向にあって、不安を感じやすい。初めての大学に戸惑いを隠せず、行けなくなってしまった。オンライン授業しか受けられない現状。でも後期からは行かなくてはいけない。どうやって克服したら良いのだろう。怖い。全てが怖い。どうして私はこんなに不安や恐怖を感じるのだろう。生きるのも怖くなってくる。こんな私を、誰も受け入れてはくれない。ずっと遠くを見つめて、ふと自分を見ると、体が崩れ落ちていく。そこに感情があったのだろうか。私は一体何者なのだろう。ずっと子供の私から抜け出せず、大人になれない。幼いままの私を、私は嫌悪する。私はどうしてこんな出来損ないなのだろう。誰かに認めてもらえなければ、生きている意味などない。私の価値を決めるのは、いつだって周りの人間だ。きっと、自分で決めなければならないのだろう。でも、今の私には無理。だから死にたくなる。現実と理想の間に落ちていく。自分に対して完璧を求めるのに、完璧になれるほどの器用さがない。そして一貫して物事に取り組めない。そして自己嫌悪になる。この繰り返し。人生が辛い。人生は地獄。いつも私の書く詩には地獄についてが書いてある。さまざまな、地獄。地獄、じごく、ジゴク。言葉の響きが面白い。でも、地獄には行きたくない。もうどこにも、私は行きたくない。ここにいたい。だけど生きていくことはこんなにも辛い。苦しい。苦しい。苦しい。こんなにも苦しいだなんて、思わなかった。神様は、あまりにも残酷だ。苦しみを養分にした種から花が咲いた。詩的に言うとこんな感じだ。詩的に生きていきたい。誰も傷つけず、ただ言葉を生み出すロボットになりたい。私にはこれしかない。私には、これしか、ないのだ。だから書いていく。どんなに認められなくても、どんなに受け入れられなくても、書いていくしかないのだ。突き進むしかないのだ。そんな現実が、私を動かす。衝動的でありながら、考えている。馬鹿な私でも、ここで負けてはいけないことだけは分かる。だからまだ死ねない。
何の変化もない生活。そんな生活を愛おしく思う。私にはこれで十分だった。激動な生活を今まで送ってきた。それがとても辛かった。だけど、今の私をつくりあげているのは、その激動な生活だった。生きてて良かったのかもしれない。まだそれを、証明することはできないけれど。