弟がヒーローになった日。
2023年1月21日。
「日本武道館でライブをします」とマイクを通して伝えたあの日から1年。
この1年間、何度武道館に足を運んだだろう。
大きな玉ねぎを遠くから見て
あと何日だねという会話をして
「こうしてこの曲が流れてくるのやばくない?」とわくわくした顔で演出プランを話す様子を眺めて。
なんて幸せな1年だったんだろう。
2018年12月5日。
はじめて自分たちだけでライブをした日は多分この日。はじめてKOTA君と一緒にライブをした日。
表参道から渋谷に向かって歩く道を少し行って、右に曲がったところ。夜になると人通りも少ないそこに、公開収録の為のガラス張りのスタジオがあった。
その日来たのは、私やマネージャーさんを入れて数人。
人数こそ少ないけれど、当時、弟の作った曲を口ずさみながら、嬉しそうに聴いているその人たちを見るのが嬉しかった。
だから今でも私は、ライブ中に会場を必ず見回す。
人数は確かに変わったけれど、弟のライブを観ている人たちの表情はあの日と同じ。楽しそうで、嬉しそうで。
「ライブを楽しみに生きてきました!」
と声をかけてくれる人がいるように、そう言ってくれる人たちの表情をこの目で見る為に、私は会場に行く。
これがきっと
弟が作ってきた1番大切なものだと思う。
2024年1月17日。
「I AM THE at BUDOKAN」当日。
少し遠いけれど、当日は歩いて武道館に向かった。
その日の空気も、天気も、少しずつ増えていくライブグッズを身につける人たちも、全部全部見ておきたかった。
あの日見た武道館の看板の下には、弟のライブの看板がかけられていた。
武道館には、蕎麦屋で働いていた時、姉弟揃ってお世話になったおじちゃんも来てくれた。誰よりも楽しそうにライブを観てくれて、次の日には膝が痛いと笑っていた。
後で話をしたときに「知らなかったけど、あの頃大変だったんだね」と言われた。
確かに色んなことがあったけど、蕎麦屋で働いていた頃が、一番浮き沈みの激しい時期だったと思う。
高校を辞めて
ラップをして
知名度が上がっていって
見せている自分と、見せていない自分がどんどん違う生き物になっていって。
「もう出ていく」
「いなくなりたい」
そんな言葉を溢しては、いなくなる時が何度もあった。
職場で話すわけにも行かず、相談する相手もいなくて、休憩時間には人知れず家に帰り、走りまわって弟を探した。
家の裏手にある公園の遊具の中で、膝を抱えて座っている弟を見つけてはホッとした。
気持ちはしんどいのに、
「そういえばちっちゃい頃は、喧嘩すると近所のコンビニまで何故か傘を持って家出してたんだよね」なんて思い出したりもした。
夜中に出て行った弟を、母が明け方「そろそろ気持ちが落ち着いてきたと思う」と迎えに行くこともあった。
何度も何度も探しに行って
何度も何度も迎えに行った。
迎えに行くのが、私たちに出来る唯一のことだった。
声を届けたくても
味方だと言い続けても
世界に1人ぼっちみたいな顔をして生きている時期は、私たちの声も手も届かなくて歯痒かった。
ようやく少しずつ、家では思っていることを吐き出せるようになってきた頃、父が亡くなった。
その頃は、弟が世間から一番厳しい目を向けられていた時期と被っていた。
もうこの話はするまいと思っていたけど、ネットでは弟を傷つけたいが為に父の死を嘲る人すらいた。
弟は「自分のせいで家族が傷付いている」と自分を責めることも増えた。
大人びているようで、まだまだ脆くて。
しっかりしているようで、まだまだか細くて。
泣かないように
崩れないように
何かに負けてしまわないように
1人でいつも耐えているような
そんな17歳だった。
その頃から6年が経った。
日本武道館。
日章旗の下で、弟はたくさんの仲間と一緒にステージにいた。
あの日、数人のお客さんの前ではじめて自分の曲を歌った時から、ずっとずっと変わらずそこにいてくれるKOTA君と。
あの日、渋谷の路上で“いつか”を約束した響さんと。
そして、そこから輪が広がって
いつもステージで誰よりも楽しそうなクマさんと。
この1年、めちゃくちゃアツく想いを込めてくれていたうっちー君と。
それだけじゃない。
ステージで見えていなくても、沢山のスタッフさんたちが側で見守ってくれる中で。
そして、
あの日の弟の“ヒーロー”が見守る中で。
誰よりも幸せそうに歌っていた。
ボロボロで痛々しくて
今にも壊れそうで
なのに涙を堪えて
1人で立っていたステージの上。
嬉しそうに楽しそうに
誇らしそうに
そして、子どもの頃と変わらない
下唇を引き上げるような泣き顔で
みんなで立った日本武道館のステージの上。
どれも私は一生忘れない。
「1人で生きていこうとしないでください」
MCでのメッセージは
あの日の自分に言い聞かせているようだった。
一人ぼっちだと思って
生きていた弟だからこそ
たくさんの人たちに支えられて
見守られて
手を差し伸べられて
生きてこれた弟だからこそ
いまこうしてステージで
チームで笑える日が来たからこそ
あの日の“ヒーロー”のように
これからは、誰かにとっての道標になれるんだろうと思う。
1人ぼっちで戦ってきたあなた
今、1人で抱え込んでいるあなた
これから1人で苦しむかもしれないあなた
そんなあなたに
今はこの声が届かなくても
いつかあの日ステージで
「味方だ」と叫び続けた
ラッパーがいたことを
どうか思い出してほしい。
最後、「HERO」で金テープが舞って
歓声が上がったあの瞬間。
みんなが、あなたが
幸せそうにしている空間を見た
あの瞬間。
あの日、公園でうずくまって
泣いていたたろうを
自分で迎えに行ったんだなと思った。
ようやくあの日のたろうに
手が届いた気がした。
関わってくれた全ての人へ。
そして、今日も生きているあなたへ。
心からの“ありがとう”と“おめでとう”を。