夫婦の危機の乗り越え方【後編】夫を愛する覚悟を決める
【違う夫と結婚していたら、幸せでしたか?】
私はずっと、そう思っていた。
違う人と結婚すれば幸せだったのに、と。
「この人と結婚したのが不幸の始まりだ。
この人を選んだ自分の見る目がなかったんだ。
なんて自分はバカなんだ。
付き合っているときから、悪いところなんてたくさん見ていたのに。
なんで気づけなかったんだ、
こんなにダメな男だったってことに。」
こうやって、自分を責めてきた。
そして、
「いや、自分は騙されたんだ。
いい人の面を被っていたのは相手だ。
私は悪くない。
付き合っていたときはかなりいい人だったじゃないか。
そうだ、
結婚してから本性を現すなんて、私は詐欺に合ったも同然だ!」
と、真剣に自分をかばっていた。
夫本人にも直接、何度もこう訴えてきた。
「あなたがそんなに悪い人だとは思わなかった!
あなたは詐欺をしたのと一緒よ!
ひどすぎる!!
あなたなんて本当に大嫌い!!!」
でも今なら、その時の自分にこう突っ込む。
あなた、悲劇の主人公かなにか?
悪いのは、あなたです。
(あと、思ったとおり口に出しすぎだよ。)
【夫婦の危機を乗り越える最終ステップ】
結婚7年目でようやくわかった夫婦円満の秘訣。
それを前回、前々回と書いてきて、今回をひとまず最終編としたい。
この記事を書いた後は、引き続き夫婦の危機を乗り越える方法をコラム的に書いていきたいと思っている。
が、とにかく一番伝えたいことを早く書きたい。
少しでも夫婦の不仲で悩んでいる方の助けになりたい。
自分が苦しんだ分、気づいたことを惜しみなく出していきたい。
そう思うので、
ぜひ、前編、中編もチラリと読んでいただけるとありがたい。
(といっても長文で申し訳ないので、読める範囲で)
↓↓
【まず、自分と相手に花丸をつけよう】
・相手を選んだ自分を認めること
あなたがその相手を選んだのには、必ず理由がある。
その人に惹かれた理由が必ず存在する。
それが、今思えばどれだけ滑稽に思える理由でも、結婚するに至った”縁”があなたと相手の間にあった。
それをまず認める。
その結婚が結果正しいと思えるようなものでも、間違っていると思えるようなものでも、そこには必ず意味がある。
自分にとっての学びになり、糧になる経験となっている。
最終的に、円満な結婚になろうが、離婚になろうが、殴り合いの愛憎劇になろうが、結果として無駄になる経験など一つもない。
今の人と結婚した自分を、まず認めること。
そして、自分を許すこと。
相手を選んだ自分に非はない。
お互いにとって、学びあう存在だから惹かれあっただけの話だ。
相手の性格に難ありと思うなら、自分もそうだから惹かれた、ということだ。
実際、私がそうだったように。
相手が一筋縄にはいかない存在。
=自分が一筋縄にいかない存在なのだ。
・自分が選んだ相手を信じること
次に、相手を認めること。
自分が選んだ相手にいいところは必ずある。
だから結婚したのだ。
性格がよかったのならその性格に、
顔や身なりが良かったのなら、その雰囲気に、
稼ぎが良かったのなら、その仕事における有能さや頼もしさに、
惹かれるところがあった。
お金も地位もないけれど愛情があったのなら、その強引さや愛の強さに、
惹かれるところがあった。
そうやって、なにかしら、相手の良さを感じていた。
ところが、結婚すると、それが途端に思い出せなくなる。
あら不思議。
良いと思っていたところが、びっくりする程悪いところに様変わり。
あんなに好きだったのに、湧き上がってくるのは憎悪と嫌悪。
「もっとこうしてくれたら好きになれるのに」
「こういうところさえなければ愛せるのに」
と、不満ばかりが溜まるようになる。
嫌なところだけが目につき、イライラし、
顔を合わせば喧嘩ばかりになる。
それが発展すれば、言葉や行動の暴力の海となり、
温かいはずの家庭は氷の世界に様変わりする。
そんな暗く冷たい世界で生きていくことはできず、
別居、離婚という選択をせざるを得なくなる。
そうなる前に。
自分が選んだ相手を信じること。
でも、いくら考えても相手の良さが見いだせない方。
大丈夫。
自分が変わると、相手の良さが必ず見える。
なぜなら、自分の目の前にグレーのフィルターをかざしてしまっているだけだから。
自分がニュートラルに、素直に物事を捉えられるようになった時、必ず見える相手の姿がある。
そして、その姿が見える自分に、必ずなれる。
相手は昔も今も変わっていない。
昔から、良いところがあり、悪いところを持ち合わせている。
それは自分も一緒。
人間には、必ず良いところと悪いところがある。
100%良い性格で歪みなき人間は存在しない。
結婚して、相手の良いところが消滅したわけではない。
自分が、相手の良いところを見ることを止めただけだ。
つまり、相手の悪いところばかり目につくのは、自分が自ら悪いところに注目しすぎているという結果だ。
もう一度、相手の良いところに再注目すればいい。
「たしかに昔は、こんなところが素敵だと思ったな」
「こういうところが好きだと思ってたんだった」
「こういうところがあったから、結婚してもいいかと思ったな」
なんて、少し昔を振り返ってみる。
相手にも、まだ良いところは存在している。
憎悪の目で見るからそれが見えなくなっているだけだ。
別に相手の良いところを再確認したところで、悔しい気持ちにも癪に障る気にもならなくてもいい。
相手に改めて伝えるわけではないのだから。
ただ、こんなに今嫌っている夫でも、たしかに今もいいところはあることを確認するだけの作業だ。
【愛する覚悟の持ち方】
何をもっても大事なのは、夫を愛すると覚悟をすることだ。
愛する覚悟を持つとは、要するに、
夫を愛すると腹をくくる、ということだ。
先にそうしようと決めてしまう、ということ。
自分の中に「逃げ」を作らない、ということ。
私のこれまでの結婚生活は、常に夫に離婚をちらつかせる日々だった。
夫はとてもキレやすく、
ささいなことで発狂し、暴言を吐き散らかしていた。
私はそんな言葉にいつも傷つき、
いつでも離婚していいようにしなければ、と構えて生きていた。
一人で生きていかないと…。
子どもを一人で養っていけるように準備しないと…。
と常々考えて、夫と別れることばかり考えていた。
実際、離婚を切り出したのはゆうに10回を超えるし、
そのたびに夫に断固拒否され、
「私には離婚することも許されない。私は鳥かごに入れられた鳥みたいだ。」と途方に暮れて泣いていた。
7年間そんな結婚生活を過ごし、右往左往、なすすべもわからず迷走し続けていた。
常に逃げ腰で、いつでも退散できる体制作りに必死だった。
でも、辛い辛いと思い続けて7年も考えあぐね、試行錯誤し、相手とぶつかり、玉砕し、泣きわめいて、勉強し、もがき続けた結果。
ようやく、本当に数か月前に、限界突破できたのだ。
目の前の霧がサッと晴れるように、すがすがしく夫婦問題が解決した。
もう、今の私に、夫への怒りの気持ちはない。
あんなに心をいっぱいにしていた夫への嫌悪も憎悪も、吹っ飛んでなくなった。
毎日「死んだらいいのに…」と呪いのようにタンスの影で呟いていた死神のような自分は、もういない。
こんなに、人間は変われる。
ということに、私自身がびっくりしている。
夫は、昔も今も、まったく変わっていない。
変わったのは、私の「気の持ちよう」だった。
・自分が悪いと認めること
これが、最終最後、一番大事になると思う。
夫が悪い悪いと、相手を責めているうちは、本当になにも変わらなかった。
夫のこういうところさえ「変えさせられたら」と私が試行錯誤頑張っているうちは、一向に夫婦関係は改善しなかった。
「キレることさえやめさせられたら」
「お酒を飲みすぎることさえやめさせられたら」
「時間にルーズなところさえやめさせられたら」
こうやって、昔の私は夫の悪いところをどうすれば直せるか、「相手を変える」ことに必死だった。
「相手は変わらない。自分が変わること。」
それまでも何度も、こういった格言めいたものは聞いてきたし、肝にも銘じてきた。
それでも相手の悪いところを改善しない限り夫婦問題は解決しないと信じ切っていた。
自分の夫はひどいから「例外だ」と勝手に思っていた。
でも、7年経った今、改めて言葉の意味を本当に知ることとなった。
相手を変えようとしているときは、絶対相手は変わらない。
自分が変わろうと頑張ると、不思議なほどいい方向に行く。
ただの格言ではなかった。本当の話だった。
結局、早々にしてしまうべきことは、
「自分がわるい」と降参してしまうことだ。
夫に比べたら、私は本当に性格がいいと思っていた。
キレることもないし、性格は穏やかで、優しい人間だと思い込んでいた。
でも、それが全部間違っていた。
私は、欠陥だらけの人間だった。
まず、自分は正しい人間だ、自分はいい人だ、と思い込んでいた時点で、とんでもない勘違い人間だったのだ。
人間、完璧な人間はいないし、だれしも欠点がある。
その欠点が夫婦関係に悪影響を及ぼしていると、自覚すること。
結婚生活がうまくいかなかったのは、相手のせいではなく「自分のせいだ」と認めてしまうこと。
相手を変えるのではなく、自分を変えることに視点を移すこと。
そういったことをした時だった。
おもしろいくらいに問題が解決したのは。
7年間も膠着状態でまったく進展のなかった夫婦問題が、雲一つない晴天のごとく晴れやかな夫婦関係に仕上がった。
自分を変える力は、見事としかいいようがなかった。
だから、まず、自分を変える。
夫婦関係は写し鏡であることが多い。
相手のいやでいやでしょうがない欠点は、実は自分が持っている欠点と一緒であることも多い。
私はずっと、夫の異常なほどの被害者意識が嫌いで嫌いでしょうがなかった。
夫はなにかにつけて、「バカにされた」「下に見られた」と私を罵倒してきた。
私はそんなつもりはなく、夫がなぜそんな発言をするのか心底理解できず苦しんでいた。
でも今思えば、理由がわかる。
それは、私に「異常なほどの被害者意識」があったからだ。
結局、私たちは同じ性質を持っていたのだ。
あんなに嫌っていた相手の欠点を、結局私自身がたっぷり持っていた。
だから、徹底的に自分の「被害者意識」と向き合い、自分が変わるようにした。
そうしたところ、夫の「被害者意識」発言は、一切なくなった。
そうやって、結局相手の嫌なところは、自分の嫌なところが相手に映し出されているにすぎないことが往々にしてある。
相手を責める前に、自分を振り返る鏡として、相手を見つめてみる。
「夫が」を「自分が」に変えてみると、わかることがある。
どうして今その人と一緒にいるのか。
それは、似ているからだ、という事実を受け入れる。
絶対、相手みたいなひどい性格ではない!
と自分が思っていても、実際はとても似通っているところがある。
否定して逃げていても始まらない。
まず、しんどくても、自分の悪いところを見つめなおすこと。
自分が悪いから物事が起こっているのではないかと疑うこと。
そして、自分が悪いんだ、と認め切ってしまうこと。
自分の醜さ、汚さ、怠慢、おごり、プライド、臆病さ。
そういったしんどい面に向き合う。
掘り下げる。
そして、自分が悪かった。申し訳なかった。
という気持ちもきちんと自分が受け止める。
別に、相手に心のうちを明かして謝る必要は全くない。
これは、相手との闘いではない。
自分との闘いだ。
自分が、自分の醜い面を見つめて、悪い面を正す。
そして相手に迷惑をかけてきたなら、心の中で申し訳なかったな、と反省する。
そういった、徹底的な自分との対話を、一度してみていただければと思う。
絶対、夫婦関係の奇跡は起こせる。
私は、そう信じている。
これからも、少しずつ、夫婦関係にまつわるあれこれを書いていきたいと思う。
長々をお読みいただきありがとうございました。
みつは