夫婦の危機の乗り越え方【前編】ただちに「被害者意識」と手を切る
【結婚生活6年間の苦闘】
私が夫婦の危機で悩み続けたのは結婚後すぐから6年間。
新婚早々、ゴングが鳴ったかのように
怒鳴り合いの壮絶バトルが幕を開けた。
・暴力と怒りの日々
私はあらゆる言葉の武器で戦い、
夫はお返しに
家の壁やドアや携帯を壊し、
壁にパンチして指の骨を骨折するほど怒りに支配されていた。
子供が産まれた後は、子供の前で怒鳴り合い、
離婚を切り出す日々の繰り返し。
そんな私の暗い暗い6年間の結婚生活で、
本当に欲しかった夫婦の危機の乗り越え方。
それを今から書いていきます。
・夫婦の危機は待ったなし
結婚生活、悠長に仲が良くなるのを待っている余裕はない。
このブログも、
私と同じように真っ暗闇の夫婦生活を送っている方にすぐ届く内容にしたい。
なので、こちょこちょ内容を小出しにしません。
(が、長くなります)
【夫婦の危機を救うただ一つの方法
〜自分を変える〜】
夫婦円満のためにやるべきことは、たったこれだけ。
「自分を変えること」
ただ、それが漠然としていて難しい。
だから、自分を変えるとは具体的に何をすればよいの?
今回はその一つ目。
・あなたは本当に被害者ですか?
まず最初に自分に問いかけていただきたい。
夫婦関係において
「自分は被害者ですか。
それとも、被害者意識を持ちすぎているだけですか。」
多くの方が、
「私は被害者なんです!!」
と声高らかに訴えると思う。
夫婦不仲の原因は、
妻の立場から見た場合、夫である、と。
もちろん、夫の立場から見た場合、妻である、と。
しかし、ここに本質的な問題が隠れている。
果たして、
本当に相手「だけ」がわるいのだろうか?
私は本当に「いっさい」
わるいところがないのだろうか?
このポイントこそが、
夫婦の危機を乗り越える第一関門となる。
・被害者意識の罠
私の場合、夫婦生活がうまくいかないのは、
全て夫が悪いと思っていた。
私には悪いところはただのひとつもないと、
滑稽なまでに信じ切っていた。
夫と喧嘩になり、
私が夫を正論で追い詰め言い負かすたびに、
夫に決まってこう言われていた。
「あなたに悪いところはないわけ?」
そのたびに
「私にあるわけないでしょ!
私はなにも悪いことしてないのに!
悪いことをしているあなたが悪いに決まってるでしょ!!」
と、火に油が注がれたように発狂していた。
しかし今思えば、彼の言う通りだった。
私に悪いところがない、なんてあるはずがない。
人間、完璧な人間なんていない。
私にも絶対悪いところがある。
相手にもある。
そんな、聞けば当たり前に聞こえることも、
わからなくなっていた。
そしてそんな歪んだ考え方は、
自分の根底にある
「被害者意識」
が引き起こしていた、ということに気付いた。
・被害者ポジションは甘い蜜の味
「私は被害者だ」という立場にいることで、
私は夫より優位な立場にいることができた。
夫を思う存分責め立てることができた。
友人に自分の不幸話をして、
同情を買うことができた。
自分は可哀そうでストレスがたまるから、
旅行やおいしいものやショッピングで
自分を甘やかすことができた。
夫に不機嫌で横柄な態度をとっても許された。
家が散らかっていても口出しさせなかった。
料理を適当に作っても問題なかった。
とまぁ、被害者ポジションを取ることが
いかにおいしい立場だったのかがよくわかる。
つまり、自分が夫婦生活においておいしいポジションに居座るため、
「無意識に」
被害者になることを選択していたのだ。
【被害者意識はどうやって生まれるの?】
こうやって、私が40代になっても持ち続け、
自分自身の人生を邪魔し続けているこの憎きもの。
この「被害者意識」とやらは、
どうやって生まれるのか。
そして、どうやってなくすのか。
それは、これまで生きてきた人生を振り返る必要がある。
結婚するまで被害者意識など持ったことがない人が、突然結婚してそれを持つことは少ない。
結婚して、被害者意識を持って相手と過ごしている人。
それは生まれてからこれまで、
被害者のポジションをとって「甘い蜜を吸ってきた」人に限る。
・被害者意識の根元を引っこ抜け
その人生棚卸方法。
それは、過去
「かわいそうだった私」のシチュエーションを思い出すこと。
そして、そんな「かわいそうだった」エピソードで得したことを思い出すこと。
そして、それがそもそも「本当に」かわいそうだったのか。
実はかわいそうだと思い込んでいただけで、
実際は大したことなかったのではないか。
思い込みだったのではないか。
本当に被害者だったのなら、
それを今まで引きずっている理由はなにか。
それを棚卸する。
・私の「かわいそうな被害者」エピソード
例えば、私のかわいそうエピソードの棚卸はこんな感じ。
物心ついたときから父と母は別居していて、
父は愛人と住んでいた。
彼は本気でその愛人と結婚したがっていたが、
母は離婚を許さなかった。
休みの日に父と遊ぶときは愛人も一緒で、
第二の家庭があるようだった。
母は私と兄2人を一人で養うため、
スナックを開業しママとして働いていた。
夜になると仕事に出ていく母をいつも泣きながら引き留めていた。
年が離れた兄たちはいつも夜家におらず、
独りぼっちで過ごす夜はとてもさみしく怖かった。
マンションの高層階に住んでおり、
ある日、夜一人だった私に火災報知器のサイレンが鳴り響いた。
廊下に出ると、隣のおじさんも出てきて、
一緒に階段で1階まで下りた。
私の家の真上が家事だった。
恐ろしくて恐ろしくて、一人はもう嫌だと思った。
小学校低学年で、母に泣きながら訴えた。
「パパと一緒に住んでほしい」
ほどなくして、父が戻ってきた。
小学校高学年で引っ越し、転校した。
運動音痴でシャイだった転校生の私は、
怖い同級生の女の子に目を付けられ、いじめられた。
学区の評判がよくなかったため、
母に無理やり中学校受験をさせられた。
共学で楽しい学校生活を思い描いていたのに、
入ったのは6年一貫教育の女子中学校だった。
周りは医者の子供などのお嬢様ばかりで
気後ればかりしていた。
そのころ一番上の兄は劇的にぐれていて、
部屋にはシンナーのにおいが充満し、
兄と母は取っ組み合いの喧嘩をしていた。
兄は家でバットを振り回し、
母は顔面を殴られて眼帯をしていたときもあった。
そんな兄の二の舞にならないよう、母は私の娯楽すべてを禁止した。
携帯はだめ。カラオケはだめ。
バイトはだめ。買い物はだめ。
映画、ボーリング、ライブ、なんでもだめ。
なんで、と突っかかると、
「カラオケに人が入ってきたら危ない」
「バイト先に変なお客さんが来たら危ない」
と、意味不明な返答をするばかりだった。
「高校卒業までおとなしくしてなさい!!!」
それが母の常とう文句だった。
ついに高校を卒業して、その翌日からやりたいことをやりまくった。
髪を染め、バイトをし、彼氏を作り、朝まで遊んだ。
そうすると母は、
「成人するまでおとなしくしてなさい!!!」
と更に束縛してきた。
私はそんな母が嫌いで嫌いで、
大学4年のある日、母に
「ずっと嫌いだった」
といった。
そうしたら母は、包丁を取り出して
「私死ぬーーー!!!
こんなに頑張って大事に育ててきたのに!!」
と発狂した。
そばにいた父に止められ、なだめられ、
その日から数日母は家出した。
父に「お母さんに謝れ」と促され、
しぶしぶメールで
「ごめんなさい」と打った。
本当は一ミリも思ってなかった。
数日して、ぶすっとした面持ちで母は帰ってきた。
そんな学生時代を経て、
社会人になり、家を出た。
こんな自由はあるのかと思うほど、
母と離れる生活は楽しかった。
今だに母とは仲が良いとは言えず、
ずっと母に対して私は心を開いていない。
と、私のかわいそうエピソードはこんなものだ。
これを読んでいただいて、
かわいそうと感じられただろうか。
・親からの育てられ方で加速する被害者意識
たしかに、
円満な家庭で育ったとはいいがたい。
少し難あり、訳あり家庭を言えるかもしれない。
私の被害者意識の根底は、
まぎれもなく「母」にある。
本当に、ずっと母を恨んで生きてきた。
もっと自由にさせてくれてもよかったのに。
もっと、子供のことを信じてくれたらよかったのに。
もっと、もっと…。
ずっとこうやって、恨みつらみを根底に抱えて生きてきた。
こうやって、生きてきてずっと思ってきた
「私はこんなことをされた被害者なんだ」
という思いが、私の被害者意識を生み、育んでいった。
それは、無意識化で。
そして、こんな生い立ちのエピソードを友人知人、彼氏、上司、いろんな人に言って回るたび、
「大変だったね」
「よく頑張って生きてきたね」
「そうやって今のあなたがあるんだね」
「今すぐ抱きしめに行きたくなる」
などの甘い言葉をかけられてきた。
これがこの被害者ポジションの甘い蜜だ。
自分はこんな中で生きてきた人間ですと同情を買うことで、自分の健気さや頑張り、打たれ強さ、可愛げをアピールできていたのだ。
これが、被害者意識をさらに育む。
そしてそのうち、
意識せずとも自分を被害者ポジションに置こうとしてしまう。
それが結婚生活における、被害者ポジションの獲得。
夫婦関係で、おいしいポジションに居座るため、
「あえて」無意識に被害者になれるように自分で選択しているのだ。
・かわいそうエピソードは大してかわいそうではない
さて、
自分のかわいそうエピソードを挙げたところで、
次にすること。
それは、
「そのかわいそうエピソードってそれほどかわいそうだったのか?」を確認すること。
私の場合、
いろいろなかわいそうエピソードを挙げたものの、言ってみれば別に総じてどれも、
大したことはない。
両親の別居も、離婚したわけではない。
小さいときのさみしい思い出も、
だからといって今も夜一人だと寂しくて寝られないわけじゃない。
いじめられたといっても、数か月くらいだったくらいの記憶で、
いじめた女子が明らかに性格の悪い子だった。
いじめてきた女子の内面に問題ありで、私が大人になるまで引きずることはなにもない。
兄がぐれたといっても、私に何か危害が及んだことはない。
中高ずっと母から束縛されていたといっても、
だから友達と遊べなかったわけでもない。
その中でも十分遊んで、楽しい思い出はたくさんある。
母が包丁を出してきたからといって、
刺した刺されたがあったわけでもない。
結局、自分が思い込んでいる以上に、大したことが全くない。
大したことにしていたのは誰でもない、自分自身に他ならなかった。
そうやって、オセロの黒をただずっと白にしていく作業。
それが、棚卸だ。
そうやって、振り返れば、
本当は被害者でもなんでもなかった、
ということを知ること。
思い込んでいただけだということを知ること。
それが大事だ。
【グッバイ、被害者意識】
だから、結婚生活で無意識に持っていた被害者意識も、まったく必要のないものだと気付くこと。
自分は被害者なんじゃなくて、被害者意識を持っていただけだということ。
被害者になろうと進んでなっていただけだと知ること。
相手を加害者にしていたのは、ほかでもない自分だったと気付くこと。
・おいしいポジション取りはもうやめる
そういった、おいしい蜜を吸うための被害者ズラはもうやめようと決意する。
そうやって、
ただ物事の本質を知ること。
気付くこと。
「あ、そうか。それだけのことか。」
と腑に落ちること。
自分の腹に落とすこと。
それだけで、もう一歩前に進んでいる。
以前の自分とは、
何かが変わっている。
その「知る」というだけで、十分だと思う。
【おわりに:自分を幸せにするのは自分だ】
私は、自分を不幸だと思い込んできた。
結婚相手を間違えた。
失敗した。
行く先真っ暗だ。
と思い込んでいた。
でも、今はとても明るい気持ちでいる。
それは、
「自分を不幸にしていたのは、相手じゃなく自分だった」と知ってからだ。
「自分で自分を幸せにできる」とわかってからだ。
だから、必ずだれもに明るい未来は訪れる。
なぜなら、
「相手は変えられない」けれど
「自分は変えられる」から。
被害者意識で生きる限り、幸せにはなれない。
いつも、なにか悪いことをされる立場の人が幸せになれるわけがない。
一刻も早く、被害者意識から卒業しよう。
そして、幸せになろう。
相手にしてもらうのではなく、自分の手で。