自分中心の世界
恥ずかしながら、世界は自分中心に回っていると信じてやまない子どもだった。
自分が物語の主人公で、周りの人たちはすべて私を引き立てるために存在していると思いこんでいた。私のために農業をし食料を作ってくれていると思いこんでいた。
そして私だけは不死身の存在と思っていた。
こんなことを言うのはかなり恥ずかしいけれど、全て本気で思ってた。
それが違うとわかったのがいつだったかはっきり分からないけれど、中学生くらいにはちゃんと理解していたと思う。それまで完全に思いこんでいたのが本当に情けない。
私はたぶんいい意味で自分が特別なのだと一点の曇りもなく信じていたのだと思う。
他人に見えている色と自分に見えている色も違うと思っていた。これに関しては、違うと否定できる根拠がまだ見つかっていない。
例えば自分にとっての青が隣の人の赤で、隣の人にとっての青が自分の赤ではないとどうして否定できるだろうか。生まれてからずっと違う色で見続けてきていて人によって定義が異なるのではという仮説はまだ持っている。
こう考えると、かなり不思議な子どもだったかもしれない。だから周りに馴染めないと思うことが多かったのかもしれない。
もう初めに書いたみたいなことはもちろん信じていないけれど、未だに周りに馴染めないと感じることはある。これはHSPのせいか、自分の世界がありすぎるのか、それとも全く違う何かがあるのか。
少なくとも自分が世界の中心だとはもう微塵も思っていなくても、自分と人はどこか違うと感じることは多く存在している。そして子どもの頃からそれをぼんやり感じていて、自分とそれ以外の人という括りで分けて考えていたのかもしれない。
私の居場所はどこにあるのだろうか。