私にとっての空港は辛い場所
空港は苦手だ。
空港に行くときは大抵、誰かとの別れを意味し、私にとっては楽しい場所ではない。バカンスに出かけるような明るい雰囲気をまとった人たちとは違って。
この10年近く、飛行機には頻繁に乗っている。
初めの5年は約9000kmの遠距離で、年に少なくとも2回は彼に会いに行っていた。もちろん会いに行くときには、わくわくした気持ちで、楽しみだという気持ちが勝っている。それでも、大抵ひとりで空港に向かっていたので、家族連れの旅行客や卒業旅行に出かける学生の気持ちとは少し違っていた。
そして、日本に戻らなければならないときには、枯れ果てるほどの量の涙を前日から流し空港へ向かう。空港へ向かうときには必ず彼と一緒だけど、このまま帰る必要がなければ、とどれほど思ったことか。空港に着けば間もなく別れの時間になることから、空港自体が別れを意味していた。
同様に、彼が日本に来るときには、迎えに行く道中はもちろん楽しみな気持ちが一番強いけれど、彼が帰るときにはまた空港は別れの場所となる。
中でも一番辛いのは、彼を見送りに行った帰りだ。筆舌に尽くしがたい悲しさと虚無感に押し潰されそうになった。
自分が帰国するときは、空港内の一通りの手続きやゲートまでの移動やいろいろと考えることとやることがあるけれど、自分が空港から自宅まで帰るときは今まで隣にいた彼の姿を探しながら悲しみとともに家路に就くことになる。
これは今思い出してもかなり辛いことだったと思う。
彼と住むようになった今、別れの場所は日本の空港になった。
一時帰国して、また戻ってくるときに見送りに来てくれている家族との別れはやはり容易いものではない。
私はわりと恵まれた家庭に生まれて、子どもの頃から飛行機で国内、海外によく連れて行ってもらっていた。だから、空港も飛行機も好きで、旅行のわくわく感が大好きだった。
だけど、この10年で空港や飛行機への思いが完全に変わってしまい、今では別れの象徴になりつつもある。
このご時世が終わり、また自由に誰でもどこへでも旅行などできるようになれば、また飛行機や空港に対する思いも変わるだろうか。彼と一緒に早く日本に帰りたいのはもちろんのこと、家族にもぜひこちらに遊びに来て欲しい。そんなことを簡単に実現させられる時代が心から待ち遠しい。