誰かを想う時間が好き
大人になって気づいたことのひとつに、大切な誰かを想う時間が心から好きだということだ。
とは言ってもただ思いに耽るという意味ではなく、誰かへのプレゼントを選ぶときやサプライズを準備しているときが好き。
私はたぶん周りの人が欲しているものや必要としているものを感じ取る、もしくは選ぶのが得意だ。相手との関係が近ければ近いほど、その精度はもちろんあがる。逆に、言葉を選ばずに言うと、どうでもいい関係の人の場合は、突然プレゼントを選ぶのが難しくなる。無難なものを探すのはあまり得意ではない。あまり親しくない同僚への小さなプレゼントや知り合い程度の人への手土産などは迷いがちだ。
身近な人のために使う時間は好きだ。迷う時間すら楽しい。
クリスマスプレゼント、誕生日プレゼント、旅行のお土産などを選ぶときは本当に楽しい。そしてだいたいの場合には、一つに絞りきれず複数になったり、予算のせいで1番気に入ったものをあげられないのは嫌だから予算を超えたりしがちだ。
そして、既成品を買うだけではなくて、誰かのために何かを作ったり、計画したりすることも好きだ。
甘いものが好きな人にクッキーを焼いているとき、パートナーのために大好物を作っているとき、サプライズディナーを計画しているときなど、誰かのことを想う時間が愛おしい。
そして、そのことに改めて気付いたのは、家族のためにあるお祝いのフォトブックを作っていたときだった。2ヶ月以上前から周りの人から写真を集め、使う写真とレイアウトを決め、言葉や飾りを載せていく。その作業中の時間の全てが楽しい時間だった。
そしてその時間がなぜ楽しかったかというと、クリエイティブなことをするのがわりと好きだからというだけではなく、やはりその人のことを想う時間が好きなのだ。
フォトブックの場合は、いろいろな思い出に浸りながら、その人への思いを繋いでいくような感覚になった。特に、別々の国に住み頻繁に会えない私の状況では感傷にひたらずにはいられなかった。
家族や周りの人に声に出して好きだとか大切に思っているということを言うことは多くないけれど、サプライズやお土産やプレゼントは確実に私なりの愛情表現なのだと感じた。
それはお金で愛情を買っているということでは全くなく、その何事にも代え難い時間が愛情や気持ちを表現しているのだ。だからこそ、誰かを想う時間が好きで、いつもはっきりと伝えられない気持ちを表現したくなるのだ。
想うだけではなく、それを実行するのももちろん楽しい。そのフォトブックを渡すまでにはもう少しある。渡すのが本当に楽しみだ。