英語へのこだわり
日常的に話す英語に対してのこだわりがある。
話す英語はできる限り、“アメリカ語”を話すと決めている。語彙、文法、発音において、全てアメリカ寄りと。
アメリカに留学したことも、ましてや旅行とかで行ったことすらないのに、アメリカ英語にこだわる理由は何だろうか。
そんなに深い意味や信条が関わっているわけではないし、イギリス英語の好きな面もある。
だけど、アメリカ英語にこだわる理由はたぶん自分が慣れ親しんだ響きだからということが理由のひとつだと思う。
そのときには深く考えたことはなかったのだけど、思い返してみれば中学、高校、大学と英語の先生はみんな北米出身だった。もしかするとオーストラリア人の先生がひとりいたような気がするのだけど、その他はみんな北米出身だった。
それに加えて、英語教育におけるリスニング教材は往々にしてアメリカ英語が中心だ。最近は変わっているのかもしれないが、少なくともアラサーの私の学生時代はアメリカ英語が中心だった。
さらに、日本国内で日常的に触れる英語もアメリカ英語が多いと思う。イギリスやオーストラリアなどに留学したことのある人などを除けば、日本人のなかで英語=アメリカ英語のようなところがあると思う。
ハリウッド映画、駅や電車の放送、教科書英語、教科書の読み上げ、リスニング問題などなど、何気なく耳にする英語がアメリカ英語寄りだと、こちらが自然とスタンダードになってしまうのだ。
さらに、私自身は耳がいいらしく、発音にはあまり苦労したことがない。だから、アメリカ英語のRの発音にも困ったことがないし、何ならRをしっかり発音して英語が話せる感じになりたいのだと思う。
だけど、イギリス英語の発音も好きだ。特に渋めかつ低めの音で英語を話すイギリス人はセクシーだと思う。
職場でもイギリス出身の人がいるが、いつもセクシーかつ知的な響きが好きだなと思うし、アメリカ英語より慣れていない分、聞き取りづらい場面もあったりするので、ちゃんと理解できるようになりたいなと思っている。
とはいえ、自分の話す英語となると、母国語として話しているわけではないにしろ、慣れ親しんだ言葉を話したい、そしてこちらの方が学びやすいというのはこだわりという面もありつつ、自然なことなのだろう。