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解体・買取りとその出口──「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」第6回

長野県を中心に「古木」の買取りから保管・販売、設計・施工を手掛け、常時5,000本という日本最大規模のストックをもつ山翠舎。
シリーズ「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」では、その古木にまつわる仕事を紹介しています。
第6回は、古木の買取り事業についてです。問合せを受けてから、どのように解体と買取りが行われているのでしょうか。また、ストックされた材はいかに活用されていくのでしょうか。厳しい現実も垣間見えました。
写真は第三回ふげん社写真賞グランプリを受賞し、写真集『空き地は海に背を向けている』(ふげん社、2024年)が出版された写真家・浦部裕紀による撮り下ろし。

解体現場の脇に集められた古木。
山翠舎の意図を理解した解体業者さんによる丁寧な作業。

解体・買取りのプロセス

見慣れた建物が解体されているのを見るとき、ふと悲しみのような感情を覚えることがあるだろう。人口が減少するなかで、もしくは新しく建て替えのため、相続による売却のため、空き家の解消のため……、個別に様々な事情を抱え、至るところで建築物の解体が行われている。長い歴史をもった古民家であっても同様で、全国で人知れず次々と解体されている現実がある。
山翠舎は、貴重な古民家が解体される過程で、柱や梁、床といった材を買い取り、ストックし、販売または自社の設計・施工のなかで活用している。ここでは、その一連のプロセスを紹介したい。

案内されたのは長野県白馬村神城、築100年超の古民家の解体現場だった。白馬村のなかでも既に茅葺き屋根をもった家はかなり少なくなっているなかで、主要な幹線道路から見えるため、地元の人々にも存在がよく知られた建物だ。
山翠舎は2023年10月に所有者から相談を受け、移築先を探るマッチングの期間を設けていたものの、残念ながら条件の合う引取り手が見つからず、今回の解体に至った。古民家の大きな規模もマッチングの難しさの一因だった。
依頼者によると、かつてはこの家で冠婚葬祭も執り行われていたという思い出があり、また、2024年5月末までは近隣の方が営む蕎麦屋さんとして貸し出し、好評だったが、何より茅の葺き替えの費用負担が重かったそうだ。

依頼者による、雪下ろしと空撮の写真プリントを見せていただいた。

解体までの手順は以下のような具合だ。電話やホームページから所有者による問合せを受けると、まず、山翠舎スタッフと材の回収・買取りについてよく理解した馴染みの解体業者さんとが一緒に現場へ赴く。解体業者さんは通常の解体費の見積りを作成するが、それと同時に、山翠舎は買取り可能な床、柱、梁の数量・種類を把握し、査定を行う。解体作業のなかでどうしても傷んでしまうものもあり、通常はカウントした数の8割ほどが買取りになる。所有者は、解体費用と買取り分との差額を見積りとして受け取り、検討する。

解体が決まれば、床を外すところから始まり、主要な材を抜き取りながら丁寧に作業が進んでいく。白馬村の現場では、買取りの決まった材が敷地内に積まれていた。ひとつひとつ現場で計測した寸法がチョークで記載され、リストにまとめられる。規模にもよるが、この白馬村神城での解体工程は、約30日だった。
買取りの材がある程度溜まったところで、山翠舎のトラックに積み込まれ、長野県大町市にある大町倉庫工場へと運ばれていく。せっかくの長物はなるべく切らないようにしたいが、​​どうしても積載できない場合は、将来の活用を想像しつつ泣く泣くカットを行う。
大町倉庫工場の保管にも工夫がある。現場で作成されたリストを元に、回収場所と寸法を記したラベルを材の小口に付け、柱、梁、床など、種類ごとに分類されている。検索しやすさはスムーズな活用へとつながる。

解体現場の敷地内に積まれた運搬前の材。
トラックで大町倉庫工場へ運ばれた材。小口には出自と寸法を記したラベルが付けられている。
床材はそれだけでまとめられている。

感情や記憶をも引き受けること

山翠舎は、このように解体される古民家や蔵に使われていた木材の買取りを行い、そのストック量は日本最大規模にまでなっている。大町倉庫工場の景色は壮観だ。事業は2006年に、長野県の建設会社への助成金に応募しての新規事業として始まった。当初は、建築解体業者さんの資材置き場へ行って、使えそうな材を探し集めていた。解体業者さんにとっても、その材の処分費を浮かすことができるので互いにメリットがあるだろうという読みだった。
そのうちに買取りの実績が評価されるようになり、所有者から電話やホームページ経由で直接問合せを受けることが増え、今ではおよそ9割になっている。依頼者は、山翠舎の理念や考え方に共感してくださっている方が多いそうだ。

古木買取りの事業の最初期からチーフを務めている山翠舎の東條和夫氏は、かつての印象深い光景について語ってくれた。「築150年、4世代に渡って住まわれていた古民家の解体現場に伺うと、ご高齢のおばあさんが手を合わせて涙ぐみながら、家に対して『ありがとうございました』という言葉をかけていました。単に再利用可能な材料ではなく、感情や記憶を含んだ重いものを引き受けるのだと考えを改めました」。
そして、自社でその活用の道を探すべく、2009年に設計の部門を立ち上げ、これまで500件以上の古木を使った設計・施工、古民家移築を行ってきた。

白馬村神城から運ばれてきた古木。ひとつひとつ固有の表情をもつ。
大町倉庫工場にて、表面の黒い炭が落とされ艶を取り戻した。

出口の圧倒的な不足

古木の買取り・活用の事業は、そもそも山翠舎が目指すサーキュラーエコノミー(循環経済)のベストな解ではない。もし可能ならば、古民家がリノベーションされてその土地にあり続けることが望ましい。移築ができれば材の状態や形を十分に活かすこともできる(移築の難しさは第4回で触れた)。それらが叶わず、やむを得ず解体されるときに、せめてもの手段として、古木が買い取られ、再活用の方法が探られていく。

買取り後の問題も山積みだ。まずは、出口の不足である。今回の白馬村神城の一棟(延床面積は約264平米)から、100近い数の材が大町倉庫工場に運ばれてきた。柱や差鴨居など、断面が長方形や正方形の材は比較的活用しやすいそうだ。床材も、例えば店舗の内壁などに転用しやすい。断面が八角形や円形に近いものは、店舗デザインのアクセントにできる。ただ、都心部の飲食店での活用事例は多いものの、一店舗あたりの柱や梁の活用は5本程度に留まってしまう。森美術館での「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」の巨大な什器でさえも、古民家の相当量にするとたった3棟分だそうだ。
日本全国でどれほどの数の古民家が解体され、そのまま廃棄物になっていることだろう。そうした現状を見据えると、古木の活用は社会的にはまだまだ道半ばである。山翠舎としても大町倉庫工場のキャパシティがあるゆえに、買取りばかりではやっていけない。今は出口を意識しながら厳選して買取りを行っており、依頼があったとしても満足に応えられていないのが悩みだ。
さらに大工技術の問題もある。大断面の梁や柱があっても、それを活かした加工ができる大工さんが少なくなっている。もちろん不定形な断面を矩形に削ってしまえば活用しやすくなるが、それでは通常の新材との区別はしにくい。元所有者の思いや記憶の継承という責任もある。出自を明らかにして、なるべく形をそのまま活かしたい。
内装材としては使いづらい大断面の梁や柱は、その表情を残しつつベンチや什器として活用する方法も模索されている。

地震をはじめとした災害が多発し、人口が減少している国で、解体は至るところで行われている。そもそも山翠舎に声がかかるケースは限定的で、買取り・活用される部材も当然すべてではない。加えて倉庫のストックの有限性の問題があり、まだ出口もまったく不足しているのが現実だ。
誰もが夏の異常な暑さを肌身で感じ、気候変動問題も待ったなしというなかで、世界的にも建材リユースの機運は高まっている。より大規模な古木活用プロジェクトや、新しい活用方法の開発が待たれる。

文:富井雄太郎[millegraph]
写真(特記は除く):浦部裕紀

古木を使った建築・内装・展示デザインなどのご相談は、山翠舎のフォームからお気軽にどうぞ。

大町倉庫工場で出番を待つ常時5,000本以上のストック。撮影:富井雄太郎

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millegraph[株式会社ミルグラフ]
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