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築122年の蔵に新たな生命を宿す──「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」第4回

長野県を中心に「古木」の買取りから保管・販売、設計・施工を手掛け、常時5,000本という日本最大規模のストックをもつ山翠舎。
シリーズ「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」では、その古木をめぐる仕事を紹介していきます。
第4回は「移築」について紹介します。埼玉県川越市に建っていた築122年の蔵が、東京都心の日本橋浜町へと移され、世界的なスポーツブランドであるニューバランスの「クラフトマンシップを現代的に表現する」場として新たに建築されました。実は、山翠舎の職人の何気ない所作がデザインに触発を与えています。
写真は第三回ふげん社写真賞グランプリを受賞し、写真集『空き地は海に背を向けている』(ふげん社、2024年)が出版された写真家・浦部裕紀による撮り下ろし。

店舗内の吹抜け。写真家ウィン・シャ氏によるインスタレーションが行われている。
エントランスの扉も蔵で使われていたものが再利用されている。
木造の蔵が鉄骨造の真っ白い外装・駆体によって包まれている。

蔵の移築が実現

山翠舎は古材を活用した建築を数多く施工しているが、今回は解体した建物をなるべくそのまま活かし、別の場所へと運び、再び組み立てる移築のプロジェクトを紹介する。古材のストックから要件に合った部材を選び、加工するのとは異なり、これほどはっきりと古材本来の形が活かされた事例はなかなかお目にかかれない。
ニューバランスのコンセプトストアである「T-HOUSE New Balance」において、蔵を移築しようという計画は偶然の巡り合わせから始まった。ニューバランスが日本橋浜町でまちづくりを進めている安田不動産に古い建築を活用したいという相談をもちかけていたこと、また、安田不動産から相談を受けた山翠舎がたまたまその時期に川越市に建つ築122年の土蔵の解体の依頼を受けていたこと、というふたつのタイミングが絶妙に重なった。
山翠舎が行っている通常の解体であれば、解体しながら必要な材料を買い取っていくが、このときは蔵の構造をなるべくそのまま活かそうという話に展開していった。

設計と施工には様々な会社が関わり、複雑な系統だった。設計はオンデザインで、施工はワクト。さらに建築意匠監修と内装設計として建築家の長坂常氏が率いるスキーマ建築計画がクレジットされている。山翠舎は、蔵の移築に関する施工に携わった。
山翠舎でプロジェクトを担当した岸航平氏は、学生時代に調査のため福島県南会津郡の水引集落に入り浸り、地域内で順番に茅の屋根を葺き替えていくなどの、互助的な協同作業である結(ゆい)などを見てきた。そうした伝統文化や古民家を守りたいという思いをもっていたものの、実際に仕事にするのは難しいだろうと感じていたなかで山翠舎の存在を知り、故郷岡山の建設会社から2016年に転職してきた。入社当初から、いつか移築を手掛けてみたいと願いながらの3年目、そのチャンスが訪れた。

移築することの難しさ

最も困難だったのは解体作業である。既存の蔵の構造材は、移築先では仕上げとして使われる大事な材である。傷がつくのを避けるため、重機による取り壊しはできない。まるで、絵本の『おおきなかぶ』のように、壁頂部に結われたロープを大勢で引っ張り、一面ずつ引き倒しつつ手作業で解体していくという方法が採用された。

川越に建っていた蔵。写真提供:山翠舎
壁を引き倒して丁寧に解体していく。写真提供:山翠舎

もちろん解体後にそのまま移動させて建てることなどできない。敷地に合わせた寸法調整や、傷んだ部材の交換が必要だからだ。すべての部材を川越から長野県にある山翠舎大町倉庫工場へと運び込み、入念なチェックを行う。傷んでしまって使えない部分は取り除き、新しい材を継ぐ。柱は1本1本、4面ずつを撮影して、寸法を測り図面化していった。個別に、例えば床から1m50cmのところで切って継ぐ、などの提案を行い、確認をしていく。既存の蔵と移築先の敷地の大きさの制限から、実は6間あった長手方向は、半間短くして、5.5間になっている。移築後を見ても、どこが切り取られているのかわからないほど精巧な加工である。
さらに、大町倉庫工場では仮組みが行われた。仮組みによって、より理解が深まり、再度構築するための調整部分が明らかになる。100年以上の長い時間組まれていた材がほどけると、曲がりが発生するそうだ。そうしたプロセスを経て工場で再び建ち上げたものを、クライアントの皆さんにも見てもらい、納得を得たうえで現場へと運ばれた。

大町倉庫工場での仮組み。写真提供:山翠舎

クラフトマンシップを現代的に表現する

ライフスタイルカテゴリーの研究開発をミッションとしてTOKYO DESIGN STUDIO New Balanceが設立されたのは2012年。チームとして「スタジオ」を称していたが、しばらくは具体的な場所がなかった。実際にスタジオをつくろうという構想に始まり、ものづくりの文脈や歴史がある東京東側に土地を探し始めたのは2017年末である。日本の要素とニューバランスの要素を混在させた「T-HOUSE」=茶室というコンセプトで、お客さんや社外のコラボレーターが訪れ、特別な体験ができるような場所も併設した実験的なプロジェクトに育っていった。
TOKYO DESIGN STUDIO New Balanceは、歴史的に培ってきたものと新しいテクノロジーを融合すること、「クラフトマンシップを現代的に表現する」を標榜してきた。このT-HOUSEもまさに、蔵を移築して保存するだけではなく、新たに真っ白な外装で包み、そこに床、階段、電源や照明、空調などを組み込み、オフィス・店舗・ギャラリーという複合的な機能を与えることによって新しい存在感が生み出されている。

1階と2階をつなぐ階段部分。
2階のオフィス上部に見える小屋組み。

移築と創造──山翠舎の職人による触発

新たな創造としてキーになったのが、蔵の構造と貫の再解釈である。実は、建築意匠監修と内装設計を担っていたスキーマ建築計画の長坂常氏は、建築途中でずっと鉄骨の駆体と仕上げである木造の蔵の分離が気になっていた。それは工事が着々と進むなかで、何とかしなければいけないという焦りにも変わっていく。
ある日、長坂氏は、山翠舎の大工さんが柱の貫のための穴に横架材を差し込んでつくった掃除用具掛けをたまたま見た。元々の蔵では貫が入っていたが、移築先では建築構造を担わないため、穴が残されていた。大工さんはその穴を利用したのだ。その光景は、職人たちにとっては何ら特別な意図はなく、仕上げの古木に傷を付けてはならないという配慮と、自らが使いやすいようにつくった収納に過ぎなかった。長坂氏はそのような新しい機能を蔵の柱に担わせることによって、蔵全体がハリボテではなく、生きたものになると確信し、急遽デザインを大胆に変更する。
設計変更の報告を受けたニューバランス側も、数カ月後のオープン日が決まっていたにもかかわらず、つくり手への信頼、チャレンジ精神ゆえに、即断で変更を了承する。
具体的には、貫のための穴にMDF材を入れていくことで、ハンガーや鏡などの必要なものを加えていった。しかもそれは、展示や商品のレイアウト変更に合わせて、ニューバランスのスタッフでも入れ替えができるよう、ビスではなく木の楔で固定されている。
ちなみに、長坂氏はこのときの掃除用具掛けのように、施工現場で職人があり合わせの材料で手間をかけずにつくる家具を「まかない家具」と名付け、その後も探求を続け、2023年2月にT-HOUSE New Balanceにて展覧会「まかない家具展」を行っている。

現場で山翠舎の職人がつくっていた掃除用具掛け。写真提供:スキーマ建築計画
柱と貫の穴に挿入されたMDF材のディテール。横架材はハンガーの受け材になっている。

TOKYO DESIGN STUDIO New Balanceのクリエイティブディレクターのモリタニシュウゴ氏は、完成後4年経った現在「ニューバランスにとっては、世界中でも日本の東京にしかない特異な場所として、認知が高まっている」と言う。今後も、貫の穴を使った横架材のアレンジの可能性を多分に追求した展開が構想されている。また、たくましく凛とした執務空間には独特の静謐さが感じられ、グローバルなニューバランス社内でも仕事の環境として羨ましがられているようだ。
山翠舎で強い思いをもってプロジェクトを担当した岸氏は「本当に難しく、時間もかかったが、大変だとは感じさせない充実感と達成感があった」と振り返る。川越の元オーナーのご家族も、世代を超えて守ってきたものが解体・焼却されずに残ったこと、さらに新しい生を与えられたことを喜ばしく思われているそうだ。
移築には多くの人々とその利害が関わる困難さがある。みなが継承の価値を共有し、信頼し合うことで初めて実現する。

文:富井雄太郎[millegraph]
写真(特記は除く):浦部裕紀
協力:TOKYO DESIGN STUDIO New Balance

古木を使った建築・内装・展示デザインなどのご相談は、山翠舎のフォームからお気軽にどうぞ。

大町倉庫工場で出番を待つ常時5,000本以上のストック。撮影:富井雄太郎

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millegraph[株式会社ミルグラフ]
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