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月見バーガーと母のデスモイド(Desmoid Tumor)

母の手首の腫瘍が悪性(がん)ではありませんでした。

デスモイドと呼ばれる良性と悪性の間の中間腫瘍で転移しないものなので、右手は温存。
まずは飲み薬で経過観察となりました。
※日本で新規に診断される患者は、年間100人程度の非常にまれな腫瘍性疾患だそうです。

最悪(ガン)の場合
腕切断と言われていたので、病理診断の結果が出るまで正直不安な日々を送っていました。

え??母の腕が無くなる!???
母が亡くなるまで私はこの先一生介護生活、、、
いろいろたくさん考えました。

2年前に自宅の段差で転けた際に右腕を骨折した母。
思えばこの頃は本当によく転けていました。

骨粗鬆症が原因で足にヒビが入っての緊急入院。

毎月乳がんとパーキンソン病で通院している病院には受け入れてもらえず、
隣の区のとある病院へ搬送されました。

待合ではひたすらYouTubeの動画編集。
救急搬送先から徒歩で3時頃に帰宅。
翌日も普通に職場へ行ったものの、
そこから壮絶な日常がはじまりました。

本当に、大変よくがんばりました、ワタシ。

表彰したいくらい自分を褒めてあげたいし、
この一年秘めていたものを吐き出してすっきり!
して、これからどんどん上がっていきます。

ここから先は少しずつ、
ゆっくり自分に向けて綴っていこうかな。と思っています。

第1章 はじめての救急車

「骨が折れていたらもっと痛いわ。」
と言って笑い飛ばしていたのが
日に日に歩けなくなり、
家の中でも杖をつくようになり、
そして遂には這うことしかできなくなった母。

どうしようもなくなった22時半近くに
ハラハラしながら救急車を呼びました。

10分ほどで救急隊の方が来てくださり、
あまりの早さに驚いたのを記憶しています。
(感謝しかない)

保険証と(母の)靴を持ってきてください。
と言われ、タオルなどが入った通院セットと保険証などが入った母のポシェットを急いで準備し、
なんだか現実じゃないようなふわふわした気持ちで救急車に乗りこみました。

緊急入院した翌々日だったでしょうか。

20時が消灯時間と聞いていたのが
それ以降に母から電話がかかってきました。

どうしたのかと聞くと

「お風呂に行くと連れだされ、裸のままタオル1枚で看護師さんに別室に閉じ込められいる」と。

緊迫した声で話す母に、これは只事ではない。
介護施設での虐待ニュースも頭をよぎり、
とんでもない闇病院に搬送されてしまったのか...
と思いながら話しているうちに、後方から看護師さんの声が聞こえて通話は終了。

その後もひっきりなしに電話がかかってきては
「助けてくれ」と言います。
まだコロナ渦で面会は予約制。
それも月に一度しか会えない状況でした。

世の中白衣の天使だけじゃない。

このままでは母が殺されてしまうかも。
と本気で思いました。

※のちにこれが"せん妄"というものだと知りますが、当時の私は無知で時間も気持ちの余裕もなく、日々の仕事のストレス(新しい職場は面接時の説明とは異なり、事務とは思えないほどの肉体労働で体のあちこちが常に痛い状態でした...)と寝不足から正常な判断もできない、すぐに相談できる相手もいない状況だったので、母の話すことを全て鵜呑みにし、藁にもすがる気持ちで転院を計画します。

第2章 変わり果てた母の姿

3連休だったこともあり、毎月通っている病院の問い合わせアドレスにメールをしました。

既に11月の通院キャンセルの電話は入れあったのですが、毎月の通院時に接種させていただいている乳がんの注射を、入院先へ輸送いただいたようでありがたいことにそちらで接種させてもらえるようになったものの奇行はエスカレート、注射も拒んで大変なことになっているので、説得しに病院に来てもらえませんか?という連絡が入院先からありました。
面会は月に一度と言われていたのによっぽどの事です。
なんとも言い難い感情を抑えながら、鬼の業務量を定時までさばいた後、休む間もなく帰宅後すぐ自転車を走らせました。

薄暗い院内。

改めて病院で感じた率直な印象は、
「古い」「陰気臭い」「(必要最低限の清潔さはありましたが)汚い」「狭い」「換気が悪い」

でしょうか。

古びたエレベーターに乗り、ナースステーションから一番近い部屋へと案内されました。

病院のベットの上にいたのは、
コンクリートのような顔色をした表情も歪んだ
おばあちゃん(母)でした。

約3日間で10歳老けたほどの印象です。

顔色の悪さに加えて、縦に長く変形した顔を目の当たりにし、
『病院に入院しているのになぜこのような状態に・・・これは本当に闇病院かも..』と直感で思いました。

「殺される・・・」「助けてくれ・・・」
と話す変わり果てた母と
気が強そうな看護師さんばかりの状況に、
ますますオカルトの妄想が膨らんでいきます。


第3章 病棟内の要注意人物A

・・・・

毎月打っている注射を母が頑なに拒んだ理由は、(いつもと打つ本数が異なっていた為)
かかりつけ院から輸送されたものだという認識ができず、自分を殺すための投薬と誤認したがゆえのだったようです。

これに関しては看護師さんの説明能力の乏しさだったのやもしれません。

母の看護師さんに対する不信感は強まる一方です。

食後3回の飲み薬も飲まずに
(こちらも殺人の薬と誤認)
飲まずにティッシュにくるんだ薬を渡され、中身を確認してくれと言われた事もありました。

※今まで飲んでいた薬の中で、病院での取り扱いのないものはジェネリックや類似のものに変更されていたのですが、その説明がなかったようで見たことのない薬が混じっていることに対して不信感が募っていったようです。

これには確かにその通りだと思い、薬剤師さんにお薬の説明をしてもらうよう要望を出しました。

今となっては何が本当で何が母の思い過ごしなのか真相はわかりませんが、
ナースコールで呼んでもすぐに来てもらえない
→  募る不信感
物のような扱いを受けた
→  自尊心の縮小

が負の歯車を加速させていったのでは?と素人ながら思います。

すっかりフロアの要注意人物となってしまったA
(母)は、主治医の先生から特別の許可をいただき、週2で特例の面会がスタートします。

看護師さん側からすると、私は
面会時間外に現れるとても迷惑な人間でした。

あからさまに嫌な顔をされる方もいましたし、
数人しかいない受付の方も、
「え?面会ですか??(時間外ですけど?)」
のお決まりの返しが毎回でした。

看護師というお仕事もとても大変だとは思いますが、もう少し患者やその家族に寄り添っていただけるような看護師さんの元で母も入院生活を送ることができていたら、ここまでひどいせん妄や認知機能低下にはならなかったのでは?
と強く思っています。

(今回は仕方がないことではありますが、
病院選びはものすごく大事だと思いました。。)

P.S
最初の急患時の受付してくださった看護師さん、退院時のフォローをしてくださった方、そしてリハビリの先生および薬剤師さんには好印象を持ったことも記しておきます。

つづく

写真は検査結果を聞いた病院帰りに
フードコートで母と食べた
マクドナルドの月見バーガー
with コークハイ(ひげおじさんIN ver.)

モスバーガーが好きな母は、
野菜が入っていないしそこまでやな。と言って
不服そうでしたが、
私にはとても美味しく感じられました。

神様、本当にありがとう!!


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