セーヌ川さんぽ! 〈印象派画家の散歩みち〉②ピサロの散歩みち
遠くに行かなくたっておうちの近くで楽しめるかも。
と思わせてくれたのは、私の大好きなnoterさんの一人、私の実家もとても近い、ケンちゃんの「川越さんぽ!」。
そんな優しいお兄様を全面的にリスペクトして付けた私のお散歩が、「セーヌ川さんぽ!」。
"川越スイーツマスター"とも言えるケンちゃんの細かいチェックとテイスティングに「私も食べたーい」の声、続出。
私も! 日本に帰れるようになったら、真っ先に!
と言いたいんですが、こちらまだまだ先の見通し立たず、「セーヌ川さんぽ!」で毎日過ごしております。
そんなことで今回は〈印象派画家の散歩みち〉を歩く、第2回目。
観光案内所の推薦するホームページには、4つの散歩道があります。
② ピサロの散歩みち
こちらが本日のルートマップ。
早くもセーヌ川から離れてしまいます😥
うちは元洗濯場だったポール・マルリという川沿いの町にあるので今回の出発は、地図左下のマルリ・ル・ロワという町へまず移動。国鉄駅に近い中心から今回のヘッダー写真でも見えるマルリの森を通り、右側のルヴシエンヌという町へ抜ける行程距離3.7Km。所要時間は1h30の予定。
それと、実は前回よくわかっていなかったようなんですが、案内板がある所にピンポイント表示がされているらしく、今回計10ヶ所ぐらいあるみたいです。
そしてアルファベット表示は、案内所オススメ観光スポットらしく、それを加味すると今回全行程終了出来ておりません!
体力的な問題と時間的な問題でカッコで線を引いた所までしか行かれませんでした。
実を言いますと、マルリ・ル・ロワの町で迷っちゃいました😝 ここで既に体力、気力、時間をロス。
えーー、な始まりになってしまった訳で。
とりあえず行けるとこまでご案内してみますね。
まずポール・マルリのカフェがあったところからまーっすぐD386を上って行きます。これは県道でヴェルサイユへと向かう道。
地図上で、しばらく行くと左右横切るように走る国鉄の線路。すぐ左側がマルリ・ル・ロワの駅で地図一番右端にルヴシエンヌの駅。
ちょうどD386と黄色く書かれている辺りはマルリ陸橋。
この橋、元々は1884年に造った鉄製の橋。前回少し触れましたが、"Dame de fer(ダム・ドゥ・フェール)"鉄の貴婦人と呼ばれるエッフェル塔が出来たのは1889年。鉄全盛期。その時も勿論、全資材が船でポール・マルリへ到着。高さは約250m。しかも当時は一日たった8列車が行き来していただけなので問題はなかったのですが、最近の老朽化と通過本数の増加でいよいよ2018年に線路へリニューアル。耐久性のある鉄筋コンクリート製に生まれ変わりました。
その時の工事全行程の動画がありますのでご興味のある方はどうぞ。
2'27頃の所とラスト、画面真ん中奥に、これから向かうマルリの森を上から見た画像が写っています。
その陸橋をくぐり、ずっと上がりきると広場に出ます。
ちなみにここへ来るまで徒歩は私ひとり。
目の前に広大な森が広がります。
でも、その前に!
広場手前の左側に在るのが、前回「ポール・マルリの洪水」で紹介した、アルフレッド・シスレーのお家。
広場手前の左側に在るのが、アルフレッド・シスレーのお家。
彼はここに1839年~1899年に住んでいたとあります。
そしてこの広場を描くこと17回。
これはその中の一枚で、1875年の「7月14日のマルリ・ル・ロワ」。7月14日、革命記念日(パリ祭)で旗が出ています。
そして今はこんな。
傘を差して歩いていた人達の辺りは完全に車道。
この後、何処で曲がるのかよくわからず、気がつくと駅まで。ありゃりゃ😜
まずは、駅に割と近い一枚目の案内板へ。
おお! やっと発見。ゲット👍
再びシスレーの1870年の作品で「マルリのシェニル広場、雪景色」。
でもこれは、街路樹が被さり以前見えていた家並みがほとんど見えなくなっています。ざっと150年前ですからね。
この左手に市役所があり、右へ行くと旧市街。
右へ行ってみます。
こんなきれいなところに出ました。
少し上ると、小さな教会も町の一番高い所に。
今度は少し下ってみます。
ここは、"Le Village (ル・ヴィラージュ)"という日本人シェフの居るフレンチレストラン(住所 3, Grande Rue)。とても美味しいと有名で、ミシュランガイド2020にも選ばれたという赤いプレート有り。残念ながら今は休業中。またの機会に。
もう少し下ると、右側に1785年からあったペンキ屋さんが今はレストランに。
町はこんなに可愛いのですが、ネコの子一匹歩いていません。
そして一番下の方、48番地。
こちらはやはりシスレー、1875年「マルリ・ル・ロワの鍛冶屋」。上の写真48番地は現在普通のアパルトマンになっていて中には入れませんが、以前は馬のヒズメを作る装蹄師の作業場だったそうです。作業をしている男性の奥にある窓が恐らく、私が外から見ている建物の窓ではないでしょうか。
左側に見える扉も、人間用、馬さん用のダブル構造になっていますね。今は大規模な工事以外は大きい扉は閉めたままになっていると思われます。
先程の通りを下りきって通りを渡れば、もう森の囲いが見えてきて、井戸も残されています。
入口の門も歴史的建造物の指定を受けています。
中へ入ると...
ただ、ただ、広い。
そして当時の様子がこちら。
この上の写真が、ちょうど下の絵の3つあるうちの一番上の池になります。
私はこの絵の右から入って真ん中で写真を撮り左へ通り抜けました。
馬が通っている所が現在の車道ですね。
そう、実はここにも、マルリー宮という1679年に建てられたお城があったのです。サンジェルマン・アン・レー城の完成が1682年だったので数年早かったのですが、1789年のフランス革命で、城明け渡し。その後はシーツ工場になったらしいですが、維持し続けられず1811年には廃墟に。そして、壊された城は石を小さく刻んで道の敷石になったとさ。
そして、真ん中の池は無くなって芝生に。
ちょうど左側の小さな丸い噴水があったあたりに、発見!
やっと二枚目、ゲット👍
ここでやっとカミーユ・ピサロの絵が登場。1870年の「マルリ・ル・ロワの眺め」ハイ、オッケー。
長いです、今日は。
そして続いてもう一枚、またまたシスレーの1876年の作品で「白く凍てついた朝」。まだ先程の鉄橋は出来ていません。
こちらが現在の様子で、上の絵の一番下の池ですね。
鉄橋奥の方に見えますか?
そしてこの写真を撮った直ぐ横に居たのが「マルリの馬」と言われる1724年に出来た彫刻。
同じものがパリ、シャンゼリゼの入口、コンコルド広場に面した所にも飾られております。
そしてやっと、マルリの森、脱出。
この後、全然まだ終わってないんですけど、時刻はもう5時。結構疲れてます。
じゃああと一ヶ所、どうしても行きたかった所。
森を出て、ルヴシエンヌ方面へ。
都会育ちの私は田舎道がコワイ。
誰もいない。
こんな道、あんまり遅くにたった一人で通るのイヤだし、外出制限で夜7時までには家に戻らないと。
しかも上りが結構キツい。
あ! でも見えて来た。
ずーっと奥にあるもの。何だかわかります?
ジャジャジャジャーン🧞
こちらが「マルリの水道橋」!
マルリ宮が出来た後1681年、直ぐに着工。竣工は1685年。セーヌ川から汲み上げた水をマルリ宮、はたまたヴェルサイユまで水道、確保したんですね。
ヴェルサイユも元々ぐちゃぐちゃの湿地帯で良い水が無く、それも見越しての大々的な工事が既に。涙ぐましい努力です。
水路は36のアーチで構成、高さ、25m。
"SERVICE DES EAUX"(セルヴィス・デ・ゾ)水道局おスミ付ベンチマーク、確認。
...と言う訳で、本日はここまでー。
家を2時半頃出ましたから、たっぷり3時間上り多し。
所要時間全然オーバーです。
全然散歩じゃないです。
これからまたずっと歩いて帰るんですよ。
ヘトヘトです。
残りは、また出直すとするか。
それでは、また頑張って行ってきまーす。
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