【マイソングス】 追悼 : セルメン・ジャズメン・ジェントルメン
ブラジル音楽、ボサ・ノヴァ愛聴歴◯十年以上の姐さんが贈るセルメンこと、セルジオ・メンデス追悼版ですん。
🇧🇷 🇧🇷 🇧🇷 🇧🇷 🇧🇷
享年88歳。
かつて日本でブラジルのボサ・ノヴァと言えばジョビンかセルメンでした。
ジャズ寄りのアントニオ・カルロス・ジョビンに比べ、イージーにリズムを刻み英語ヒット曲を上手く取り入れて、このブラジルのリズムを広く大衆化させたセルジオ・メンデス。
それでもキャリア初期は時代の流れでブラジルのリズムをベースにしたジャズ。そう、セルメンはやはりジャズメンだったのです。
しかし時の流れに身をまかせ、上手くシャラシャラっと当時のサロン・ミュージックに溶け込んでゆきました。
時は'60年代、'70sのフラワームーブメント以前の、サロンでジャマにならないちとおサレなリズムと新し気なポルトガル語の囁くような言葉の糸。ワオ! ジェントルメン😍
当時ウエスタン映画に夢中になっていた野生児のようなアメリカにおいて、ひたひたと降り注いだオサレなリズムがボサ・ノヴァ。
皆こぞってカウボーイハットから、ミニのワンピースへと目が移っていった頃。
厳しい政治体制のブラジルを脱出したミュージシャンが活躍の場を求め「新世界」へ。
その頃、ちとカウボーイに飽きた輩は当時の新天地『サウス・オブ・ボーダー』を眺めながら聴いていたのが、ハーブ・アルパートの"アメリアッチ"。メキシコの伝統音楽はマリアッチと申しますがね、やっぱりアメリカン・テイストたっぷりですんで。
こちらは、ちとメキシカンチックなオサレ〜感を醸し出しておりました。かつての内戦でめっちゃくちゃなことになって、暗い悲しいイメージだったメキシコですが、それを上塗りするように音楽で目隠し🙈しちゃった感アリ。
有名曲をさらりと自分のモノにしちゃってる辺り、脱帽っす。
♪ハーブ・アルパート&ティファナブラス
『蜜の味』。
なんと! のビートルズカバー。
このモミアゲがきゃうん♥なジェントルメン、一斉を風靡致しました。
波にノリノリのこのジェントルメンは、1962年にガレージを改装し自身のレコードレーベル「A&M」を立ち上げましてガッポリ大儲け。
ちなみに音楽通諸兄各氏には、「オールナイトニッポン」テーマ曲の『ビター・スイート・サンバ』がお馴染みのはず。
こちらのワオ! なカラダ張ったゴージャスな映像でどうぞ。
波にさらわれそうなミュージシャンもなんのその!そしてこれで印税もガッポリ。
同時に1968年のメキシコオリンピックが、大衆の気分を盛り上げて、我がニッポンではこんなことに。
こちらもかつての姐さんの古巣、ニッパーくんでお馴染み、ビクターの大御所ですから忘れるわけには参りません。
巨匠・吉田正先生のヒット曲でござんす。
メキシコへ行ったんならもうちっと南へ、でブラジル出身のジャズメンのジェントルメン、セルジオ・メンデスをバックアップ。
ほら、もうセルメンって言うしかないっしょ!
セルメン・ジャズメン・ジェントルメン。
ま、セルメン・イケメン・ジェントルメン、と言いたいところですがね。
♪ 終わりやぁよ〜 お婆ー、お婆ー、お婆〜
の歌詞が頭から離れない『マシュ・ケ・ナダ』。
姐さん邦訳『ナンにもナシより、ん〜モット』ですね。
これでドカ〜ンとイケメン・ゴールドディスク💪いただきですん。
もちろん1stアルバムは1966年に、その後に続く2枚のアルバムは1967年の発売。
まずは『エキノックス』。
トラックリスト
10曲中7曲が fromブラジル。
当時まだ新進だったエドゥ・ロボやマルコス・ヴァレの名もあり。
アメリカ人馴染みのジャズのコール・ポーター1曲に、おフランス映画ヒットからミッシェル・ルグランが一曲。
「シナモンとクローブ」 (ジョニー・マンデル、アラン・バーグマン、マリリン・バーグマン)
「For Me」 (Arrastão) (エドゥ・ロボ、ノーマン・ギンベル)
「ビンボム」 (ジョアン・ジルベルト)
「ジェンテ」 (マルコス・ヴァッレ、パウロ・セルジオ・ヴァッレ)
「ウェーブ」 (ジョビン)
「Só Danço Samba (Jazz 'n' Samba)」 (ジョビン、ヴィニシウス・デ・モラエス)
そして、ノリノリの三枚目、『ルック・アラウンド』も1967年。
売れてる間にガンガン出すよー、は日本のアイドル並みの勢い。
トラックリスト
今回は10曲中8曲が fromブラジル。
に加え、著作権問題や如何に!?のビートルズカバーと、内輪推しのバカラックナンバーをちゃっかり一曲さり気なく。もう既にスタンダード化の予感。
「ローダ」(ジルベルト・ジル、ジョアン・アウグスト)
「Like a Lover」 (ドリバル・カイミ、ネルソン・モッタ、アラン・バーグマン、マリリン・バーグマン)
「The Frog (A Rã)」 (ジョアン・ドナート)
「トリステザ(悲しみよ、さようなら)」(ハロルド・ロボ=ニルチーニョ)
「Pra Dizer Adeus (To Say Goodbye)」 (エドゥ・ロボ、トルクァート・ネト、ラニ・ホール)
「Batucada (The Beat)」(マルコス・ヴァッレ、パウロ・セルジオ・ヴァッレ)
「So Many Stars」(メンデス、バーグマン、バーグマン)
「ルック・アラウンド」(メンデス、バーグマン、バーグマン
結局'60sの三部作三枚ともゴールドディスクとなり、アッパレ🇧🇷
しかしこの後はメンバーチェンジを経て、グループ名も『セルジオ・メンデスとブラジル'77』に。
このあとは迷走が始まります。
まずは、『パイス・トロピカル』(正確にはパイーシュ・トロピカゥとの発音)。
あれ、ここでのイケメン、眼鏡をどこかに忘れてきたキダタロー先生のような形相です。
しかしどうもキレイどころの歌。
'66の時のような、ちとはにかんだ初々しさが失われ、そろそろボサ・ノヴァもどうなんでしょう、ボサ・ボサな感じになって来ている感が。
そして、1973年発表の『ラブ・ ミュージック』。タイトルからして不安が過ぎります。
あ〜ん😫
このバージョン聴いちゃったら、速攻で¥100ケースへ直行の刑。
そして1977年、メンバー交代の New Bresil '77で参上! ですが...
まさに「Why」でございますん。
このジャケは一体何か意味が?
オスカー・カストロネヴィスがいるのに残念。
そして、翌年1978年に出た『ブラジル'88』。
あれ!? 10年待たずにもう出ちゃうんかいっ。
'88バージョンが。
それなのに😓
ええ、「That's Enough for me」...
すると、次の手は。
タイトルからして、どこかの『Black magic woman』を思い起こさせ、ジャケも流行りのウエストコーストサウンド風。
で、そのサウンドはなんとシャカタクを彷彿とさせるシテーポップ路戦...さらに迷走中。
9
1979年発表の『マジック・レディ』。
1970年のサンタナ『ブラック・マジック・ウーマン』。
1982年のシャカタク『ナイトバーズ』。
と、更に時は流れ、戻ってキました!
原点の『マシュ・ケ・ナダ』。
またもや迷走かっ! と思わせながらも、今度はジャズが主力のコンコードレーベルから遅ればせながらのアシッドジャズ!?
Hiphop系のブラック・アイド・ピーズとの共演がね。
お世辞でなく結構ハマってるんですよ。
さすが!
セルメン・ジャズメン・ジェントルメン🙌
♪ 終わりやぁよ〜 ボサッ ボサッ ボサッ
キマった...
あとは天国で、アーメン・セルメン・ジェントルメン👼🏻
合掌🙏
あはん♥
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