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セーヌ川さんぽ! 〈印象派画家の散歩みち〉〜 気になる洗濯船


本日5月1日は、メーデーで、全ての労働者が休日にできる日です。なので、私もお友達の小鳥さんにnoteのページを譲って、お休みにしよう! と思っていました。

However =しかしながら
先日みなさんにご紹介した私の散歩みち。

その記事の中で見た、野獣派ヴラマンクの絵。

こちらです。
彼が1906年に描いた「ル・ペックのセーヌ川」の絵です。


青いこの小屋、「そして現在は小屋が無くなり」とご紹介したのですが、どうも頭にずっと引っ掛かり。

"いや、ただの小屋じゃないでしょ"

という気になってちょっと調べると、やっぱり!
これ「洗濯船」ということがわかりました。

しかも4枚目のピサロの絵も洗濯場の絵で、「洗濯場たくさんあったんですね。」と結んでいます。

では何故、そんなに洗濯船を描くのか?
Why → Because で答えなければなりません。

Why?
印象派を代表する、オーギュスト・ルノワールも、1871年に。


Why?
あのヴィンセント・ヴァン・ゴッホでさえ1887年に。


それぞれ「洗濯船」を描いています。

今となっては、一家に一台はある洗濯機ですが、それが一般家庭に普及したのも1960~70年代。それまではみなさん手で洗っていましたね。

昔話にも、川へ洗濯に行くおバアさんはたくさん居ました。桃太郎だって、おバアさんが川へ洗濯に行かなかったら、海まで流れて行って、逆に鬼に食べられてしまっていたかもしれません。洗濯をしていてくれたから、生まれて来れたんです。おバアさんに感謝!

そしてこの辺りの昔話としては、まず1600年頃には、現在の駅前に建つ、サンジェルマン・アン・レー城がほぼ今と同じ大きさに整い、1638年には有名な太陽王ルイ14世が誕生。1682年にベルサイユ宮殿へ移るまでをここで過ごします。
そのため町が賑わい、お城の為に働く人が沢山周りに住み出す。城下町の形成です。お城から出た、多くの洗濯物はそれを職業とする洗濯女達により、一般市民の洗濯物もまたセーヌ川土手で洗われます。
(その絵は前回のターナーが描いていました)

ちなみにサンジェルマン・アン・レー〜ヴェルサイユ間はその距離約13.5km。週末にちょっとサイクリング!可能な距離ですよ。

また、ヴェルサイユ宮殿は、お風呂もトイレもなかったことで有名ですが、1700年代に入ると、川の汚染が問題になり、やっと各家庭にトイレを設置する義務法令が出ます。
香水の需要が現れるのもこの頃です。

そして時は下り、19世紀、印象派の画家達の時代。
1837年には国鉄列車がパリ、サン・ラザール駅〜サンジェルマン・アン・レーに通り、郊外の工場が増え、人口も上昇します。産業革命です。
1855年、1867年にはパリ万博が行われました。
エッフェル塔が完成したのはそれより少し後の1889年。
国中が新しいことだらけで盛り上がっていた頃。
でもここで一つ忘れてはならない、重要な歴史的出来事がありました。それは、1870年に勃発した普仏戦争です。この戦争でフランス、パリはプロイセンに崩壊され、その戦火を逃れた画家たちが、パリからさほど遠くないサンジェルマン・アン・レー近辺に疎開して来た。そしてそのうち定住していったようなのです。
モネが描いた「サン・ラザール駅」も1877年でした。
この地出身の作曲家、ドビュッシーも1862年に生まれています。彼も音楽界では印象派の仲間ですね。

Because,
当時新しく登場した洗濯船は画家たちの目を大いに引いた! のではないでしょうか。これも産業革命!
そしてその洗濯をする「洗濯女」も絵のモチーフとしてたくさん描かれています。

ではこの洗濯船、How to use?


【使い方】
① 船主に使用料を支払う。
② 船の一角を借り、持って来た衣類等を川の水に浸ける。
③ 布地に洗剤として昔からの木炭をかけ、棒で叩いたり、ブラシでこすったりする。
④ 汚れを落としたら川の水ですすぐ。
⑤ 2階にある乾燥室で紐を使って洗濯物を干す。

煙突があるのは、お湯を作ることができ、その蒸気で乾燥ができる、という画期的な新発明だった訳です。まさに現代のコインランドリー。

そしてその後、20世紀に入りやっと上下水道が完備されると、この洗濯船も衰退していきます。
遂に1942年には洗濯船廃止令が出ますが、"手のほうが良く洗える派女子"の根強い人気で、最後の洗濯船は1969年まで残っていました。

ル・ペックにかかる橋は1960年頃に新しく整備され、前回ご紹介した彫刻が置かれているので、恐らく、その頃迄にはあのブラマンクの描いた「洗濯船」も解体されたのではないか、と想像しました。

これでちょっと洗濯のナゾが解けたような気がします。
今は機械がやってくれるので、そんな苦労も気が付きませんでしたが、なかなか楽しい洗濯船の旅でした。


そしてこちらは映像の資料。
F1で有名なル・マンの街からもう少し西へ向った町、ラヴァルにあった最後の洗濯船の様子。




それでは今日はこの辺で😘




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