【エッセイ】口に出すということ
4月の日記を読み直した。石原さとみさん主演の『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』を見ていた時期だった。石原さとみちゃんがとっても好きなので見てた作品。ただたださとみちゃんが見たくて、見てただけなのに本が好きな私にとってこのドラマは出版社の裏側をのぞき見しているようなドラマだった。校閲という、普段なら耳にしない職業。本を作る上で欠かせない作業にも関わらず全然知らなかった。
主人公の河野悦子は、ファッションが大好きでファッション誌の編集部に入りたい女の子。7回も面接を受けて、諦めない姿にまず圧倒された。絶対的な目標と自信。そして諦めない姿に引き込まれた。
見事内定をもらうも、希望していたファッション誌の編集部ではなく、校閲部という地味な部署に配属されてしまう。
でも河野悦子は、自身を貫き通す。
自分が望んだ場所じゃないのに、腐ることなくその仕事に必死に向き合い、納得できるように仕事に励んでいく。その姿は、とても輝いて見えた。普通なら希望の部署でもなく、全く興味のない仕事に回されたら、不貞腐れたりやる気をなくしたり、手抜きで仕事をするだろう。でも、河野悦子は違う。望んだ場所じゃなくても、自身を貫いてその場所で咲いていける。
河野悦子のまっすぐさに最初は怪訝な顔をしていた、部署の人たちもいつしか河野悦子に惹かれ、自身の働き方や好きな物への向き合い方が変わっていく。やりたいこと、思ったことを素直に口にする。だから周りの人は河野悦子という人間がどういう人間なのか理解し、困ったときには助けてくれる。口に出すということは、周りを味方にすることでもあり、自分を知ってもらえる行為だということをこのドラマを通して、私は改めて感じた。
『言霊』という言葉があるが、河野悦子を見ていると言霊というのは存在するんだろうな。と思ってしまう。
そしてどんな場所でも、人間は輝いていけるということ。腐りさえしなければ、そこで存在意義を見出せる。目の前のことに一生懸命になること。それはとても素晴らしいことだと思った。口に出して、即行動に起こす。人間として大事なことは、この二つなんじゃないかと思わされた作品だった。
SNSを見ていると、ネガティブな言葉で溢れている。不安を煽って、利益を出そうとする人や、なんでもかんでも文句をつけている人など、いろんなネガティブなワードを目にする。いつしか、私はそれがすごくしんどくなった。うつ病になったあたりからそんなマイナスなエネルギーに溢れている文字を見るのがしんどくなった。私もSNSを日常的に使っている。でも、心に決めていることがある。誰かを貶めるようなことは一切書かないと決めている。私は、好きを伝えるためにSNSや言葉を使いたい。そう思うようになってからは、日常生活でもマイナスなことを口にするのが嫌になった。
どうせ口に出すなら、ポジティブなことを言いたい。好きなことについて語りたい。今やってる読書会を重ねていくうちにいろんな人と交流が出来るようになって、よりそういう気持ちが強くなった。
私の言葉を聞いて、誰かが少しでも幸せな気持ちになれたら嬉しい。
好きを大事にしたいという思いが強くなってからは、言葉に対する意識も変わった気がする。
好きというのは、原動力だ。
好きがわからなくなった時期があるからこそ、私は強くそう思う。
だから好きを伝えたい。好きだと思ったら、その人に伝えたい。それはきっと誰かを幸せにすることだと願っているから。
だから、ファンレターを初めて書いてみた。
好きを字で伝えたくなった。だから文通もしたいと思う。
口に出すと願いは、叶う。紙に書くと、願いが叶う。いろんな自己啓発書に書かれていることだけど、私はそうであってほしいなと思う。私は、これからも好きを伝える人でいたいし、私と私の周りの人を少しでも幸せにしたいと思う。私と話すと元気になれる。そう言ってもらえることが今の私の夢だ。