さよなら、ふぞろいの宝石たち
皆様こんばんは。とてもこんにちはとは付け足せないような話を今日はしてしまうかもしれません、こんばんは。とは言ってもそう身構えないでくださいね。つれづれと、です。のんびり優しく書かないと、こちらも身が持たないものですから。あ、申し遅れました。真夜中のオタク堂へようこそ。家主の金澤です。
本日筆を取ります理由は端的に申し上げますと、8月7日から今までなんの動きもなく、ずうっと続いている一件についてです。もう二ヶ月以上経っているなんて信じられません。私は変わらず頭を悩ませています。早い段階からブログやツイート等に分かりやすく現状や思いをまとめてくださった方を複数人お見かけしました。この場を借りてその早い対応に感謝申し上げます。私は二ヶ月経ったどころか、これはためになる解説記事でもありません。ただ己の感情を記録しておかないと、自分の中のドロドロは薄汚れていく一方だと思ったから、ただつれづれと書いてみようとしています。きっと、彼らについて書くのは最後かもしれません。誕生日、最後まで祝えなくて悲しいよ。
感情の記録。つきましては、もうひたすらに、私個人の内側にあるものの言語化ですので、気持ちの部分ですので、そこに関する異論等は存在してはいけないものだと思います。意見への反論と感情の否定は全く違いますよね。後者は誰にも出来ないことです。感情はそのひとひとりだけが決めれるもの。マシュマロやツイッターのDM等、メッセージを受け取れる設備はありますが、どうか、私がどんな思いで今この文を書いているのかよく考えてからお送りください。Goodvibesマロは大好きです。
この二ヶ月、思いや考えはひっきりなしに生まれて体を巡るのに、いざ文字を打とうとすると言葉が逃げていくようになる感覚がよくありました。今回もうまく書けるかわかりませんが、つぶやくように、メモのごとく書いていこうと思います。本当にまとまりのない文章です。
自分が今後どうSNSを使い何の話をするのか、どうかつて宝物だったひとたちと向き合うか、の意思表示ともなる場所ですので、私のことを長らく見守ってくださっている方は特に、ご一読いただけるとありがたいです。そして、私が今回気持ちを吐露することで、二ヶ月経っても尚傷つき続けている、私の他にもいるであろうひとたちにあなたは間違っていないよと伝えたいです。私は、皆様は、ただ生きてきて、好きだと思うものを好きでいただけなのに、存在を脅かされた。明らかに被害者だと、言って大丈夫だと思います。ここまでなんとか生きてきた皆様、本当によく頑張りました。
まずひとつ共通の認識としておきたいのは、まだ何も解決していないということ。何も変わっていない。終わっていない。まだ何も動きが無い。時が止まったままだ。私は、私たちは、昔のことをちくちくつついてるのではないということ。差別に時効は無いということ。YG entertainmentに早急な謝罪と説明を、それが起こるまで、求めつづけます。傷を治し、楽になる方法で完全なるものは存在しない。なんとか時間の経過を待つか、でもそれにも限界があって、”ここ”を去るのが最善となってしまっている状況に憤りを感じます。まるで”傷ついたかなんて知りやしない、嫌なら去れ”と、好きである気持ちを強制的に奪われたような。
細かな経緯、問題点や現在起こっている議論の実態等は、今回筆を取った趣旨と異なるためまとめはしません。皆様分かっていますよね。今更説明する必要もないし、説明を求められても困る。
8月7日のことを思い出してみました。
お姫様たち〜と呼ばれ、上手く頷くことが出来なくて、せっかくアイドルとファンとで共に過ごす二周年の夜だったのに、なんだか私は上手く馴染めなかった。トゥメという私たちの呼称のあとに付くお姫様〜に頷けない。名前を呼ばれているのに、私がその先にはいないようで、頷けるひとたちだけが彼らを愛することのできる”トゥメ”であるのだと、言われているようだった。過剰な解釈?自意識過剰?と自分に投げかけもしたんだけど、そうじゃないよね。お姫様と王子様、という言葉の中で誰もが真っ先に連想するのは恋愛的な関係性だろうし、となるとお姫様として連想されるのは異性愛者の女性だろう。「まるでお姫様と王子様のような深い関係だと言いたかったのでは?」という意見も散見したけれど、だとしても、私たちの関係ってそこに置き換えるべきものじゃない。「お姫様のように大切だよ」なのか」?だとしても、やっぱり馴染めない。私は言うならば”お姫様とお姫様”になり得るクィアとして今回の件に突き当たったんだけど、だから王子様にお姫様として扱われる、という感覚がわからなかった。それをやめろっていうのは、高望みではないと思う。だって本来ただ私たちは「アイドルとそのファン」だから。それが真実だから。この”コンセプト”について、例えば楽曲の中で彼らがお姫様に対して歌う王子様だったら、そのお姫様って架空の存在だから、私たちじゃないから別に大丈夫。でも今回は明らかに私たちに向けてだった。この世にいるひとからこの世にいるひとたちへの呼びかけ。トレジャーのファンは特に老若男女問わずファン層が広いというデータが出ており、本人たちもそれを嬉しそうに見ていた。そんな中で、ファンに向けて、仮に「お姫様のように大切な存在だよ」という、比喩(置き換えではない、ということ)だったとしても、お姫様〜と呼びかける必要があったのだろうか?疎外感を感じるひとが自分に違うと言い聞かせたり、疎外感を感じたひとが別に置き換えたわけじゃ〜と言い訳を受けてまでもお姫様と呼ぶのが最善だったのだろうか?別に差別じゃないし、過去にも「カフェプリンス」と題したカフェにファン=お姫様を招くというコンセプトでコンテンツをしていたし(後出しだけど、実はこのときも違和感を感じていた。でもそこにいたファンはみんな嬉しそうにしてたしそんなもんなのかと思って私は何も言わなかったけれど、モヤモヤを放っておかずにしていたほうがよかったと今になって痛感する)、傷は浅いほうだ。でもこれから話すもうひとつの問題──差別とその後の展開によって、より異性愛規範、”お姫様”以外を締め出す空気が強まった気がして、結構つらかった。ああこの事務所って異性愛規範に染まっているんだなって。ここの話を今度「じゃあ異性愛の歌を歌うのもだめなのか」「異性愛を批判するのか」「そっちの被害妄想だ」という話にしてくるような人々(その多くが絶対にトゥメだったと思う、つらいなあ)を私は見た。ますます苦しくなった。確実に私はそのとき自分のセクシュアリティを嫌悪した。そんなことあってはいけないのにね。勇気を出してこの話をツイートしたとき、決して多くはないけれど反応があった。リツイート先などで自分もそう思ったと言ってくださる方もいた。少なくとも複数人疎外感を感じて、姫でないが故に好きなものを好きでいる場にいさせてもらえなかったひとたちがいるのに尚言い訳をしてお姫様コンセプトなんて気にするなと言えるのだろうか? ではこの話はここまで。
なんとなく生放送中嫌な予感のする言葉が聞き取れてしまい、恐る恐るパブサをかけると、もう既に問題提起している海外ファンのツイートがあった。その瞬間血の気が引いたというか、なんだろう…物凄くショックでしばらく動けなかった。だってどう考えたって差別だったから。自分が愛を注いだ先から飛んできたものが差別だった。一旦日本語で検索をかけたとき、その結果がもっと私から生気を奪ったのだと思う。問題提起しているひとはまだ発言の直後だったためあまりいなかった。それはまだ分かるんだけど、ショックだったのは、「そもそもあれって差別なの?」というツイートがそこそこに多かったということだ。多分私は当時「例えどんな意味で言った言葉であれ、”つもり”と”言葉”は別物で、差別発言は差別発言だ」と言った記憶がある。差別が飛んできた、というショックと、それを差別だと認識していないひとの多さのショック。日に日に発言関連のツイートは界隈全体に増えていって、途中からパブサは自衛のためにやめたけどそれでも「騒ぎ立てるな」とか「〇〇は悪くない」とかそういうのが多くてどんどん体力が吸われた。
私は多分デビュー日から日付が変わってからすぐに感じたことをざっとまとめたツイートをした。気持ち的には、日本で自分が最初に問題提起をしてやった、というくらいに、自分と同じことを言っているひとはいなかった。それ以降、またたく間に大量のマシュマロが来たのだけど、私はそこで完全に参ってしまった。嫌な記憶を少しづつ抜いていこうと努力したこの二ヶ月で、内容はだいぶ頭から抜けていきましたよ、やったね。なのでほじくってここに書こうとかそういうことはしません。何度も自分の意見に関する釈明(?)を求められたし、差別的なものもあったし、もちろん味方もいたけど、ひとつひとつに対して答えるだけで私の精神は悲鳴を上げていたし、本当にしんどい期間だった。そのとき私は苦しくて苦しくて消えてしまいたくて参っていて、ずっとひとりぼっちなような気持ちだった。”トゥメ”と呼んだ先に自分がいなくて、差別されて。私をひとりにしないで音楽で包み込んでくれたトレジャーの音楽の先に、自分はいなくて、”ひとりにしないでいてくれた”というのは思い込みだったのかとも思って、虚しかった。にしても私はずっとトレジャーのおかげで孤独が軽減するような日々を送っていたので、拠り所を失ったようでそれが結構痛かった。飛んでくる言葉の数々も、全てトレジャーに起因しているということが、辛かった。
声をあげているひとは確かに複数いた。あげなくても、一言だけでもそっとこれはおかしいと言ったひともいたし、言っていなくても、YGにメールを送ったひとだってきっといる。けれど、これは私の体感だけど、今回のことに「特に触れない」という行動を最善だと捉えたのか、本当に微動だにしなかったであろう人が結構多かったというのが、辛かった。何もしないように見える、なら正直後ろでメールをしてくれている可能性もあるしどうこうとは言えないんだけど…。さっきも言ったけど体感としてあれを差別だと捉えていない人や、差別だとは思っているけどそれくらい許してやれ、のスタンスの人がそこそこに多かったから、それらが多分「特に触れない」をした人々の大半なのだと思う。果たして差別を放置してでも、差別発言があったという実態をできるだけファンダムの外に広めないよう、波風立てずにいるのが”グループのため”になるのだろうか?絶対そうじゃないじゃん。差別に時効はない、と心の底から思うし、差別に限らず、一度起こった問題って時効なんてない。消えない。消えないから人は謝るし、反省するし、学んで、同じことを繰り返さぬよう生きていくんだと思います。
「特に触れない」という行動を取ったのは一部のファンだけじゃなくて、事務所もだった。
最終的に、私を一番突き刺し、致命傷を負わせたのはこの事務所の対応だった。
実際今発言に関してはそこまで引きずっていない。どうか反省しててくれと祈ることしか出来ない気がするし。なんだかんだ言って、私が今こんなことになっているのは事務所への絶望と一部ファンへの呆れから生まれた辛さが原因だと思う。
私もメールを送ったけれどもちろん返事なんて来ないし、ましてや、生放送のリプレイがアップされたときに該当の場面がしれっと削除されていた。何も言わずに。不誠実すぎるしありえない。
私はこの「何も言わずに、なかったことにする」という対応が、とても”差別は駄目”という意志の表明には思えない。なかったことじゃない。あったことだ。もう起こったことなんだから、反省して、学んで、謝るという形で表に伝えて、もしかしたらそこで多少グループへのイメージは下がるかもしれないけど、同じことを繰り返さぬようにし、あとは彼らの最高のパフォーマンスがあればすぐにでも巻き返せるのに。そうはしなかった。
確かに、事務所にとってもする仕事は少ないし、本人たちも何も言われないかもしれないし、「特に触れない」をしたファンにとっては一番落ち着いていて速やかな対応かもしれないけど、これで正真正銘私、私たちは”トゥメ”から締め出されたのだなと思った。
YGにとって差別は「消しさえすれば済むもの」であり、傷ついたファンたちは「謝るまでもないひとたち」だったのだと思った。過剰な解釈?いや知ったこっちゃないよ!!これは私の感情。
では事務所がこういった最悪の対応をしたことによって事は落ち着いたかというと、その真反対だ。一部ファンによる二次加害が今も続いている。二次加害には差別がいっぱいあった。露骨な差別を何度も見た。しかも、不特定多数にとかじゃなくて、言葉にし意志を示し声をあげてくれたひとが、そうやって勇気を出してくれたひとが攻撃されていて、何度も説明を求められていて、そこで完全に私は「ああ、もうだめだ」と思った。二次加害すらももちろん事務所は放置だ。付き合いきれない、と思った。最悪なことが起こっているのにも関わらず、別の場所では毎日変わらず”トゥメの普通の日常”が続いているのが物凄く辛かった。勘違いしないでほしいのは今もトレジャーを好きでいるひとを恨んでいるとかではなくて、なんだろうな、日常が壊れた側と何も変わらない側が綺麗に二分されている状況が生まれているように思えたのがしんどかった。今もトレジャーを好きでいるひとのなかに今回の件で傷ついた方ももちろんたくさんいますよね。それぞれ物凄く悩んで決断したはず。今もトレジャーが好きだけど、日常は変わったというひともいるかも知れません。さっきの二分は大まかなものとして捉えてください。だから、今もトレジャーを好きでいるひとのことをどうこう言いたいんじゃなくて、「傍から見れば何も変わっていない」ってことにだいぶ心がやられてしまったんだよね、って言いたい。自分たちはほったらかしにされたまんま普通ーーーに、平気な顔して事務所が突っ立っているようで、つらい。やっぱり事務所の眼中に私たちはいない。放置されることでどんどん現状が悪化しているのに事務所はまだ何もしてくれないし、疎外感は増す一方。もう今、私は”トゥメ”という場所に自分の居場所は無いように感じている。だから多分、私はトゥメじゃない。せめてもの救いは、事務所が放置した末に生まれたこの酷い現状が、確実に広まっているということ。トゥメ以外にもこのことが広く知られている。おかしいと声を出してくれるひとがたくさんいる。でも肝心な一部のファンには何も伝わっていないか、伝わっていても響いていないかの二択だと思うと落ちこんでしまう。
一旦時系列に沿う形書いてみましたけどだんだんその形を保つのが難しくなってきてしまいました。ここからは本当につぶやきのごとくぽつぽつと書いてみようかな。話題も時間も言ったり来たりするかもしれないです。
現在私は結果としてトレジャーからかなり距離を置いているのだけれど、思い返すと、発言があって以降2週間くらいは何一つ気持ちに整理がついていないが故に”いつもどおり”だった。なんでだろうと考えてみました。
多分、トレジャーを好きでいた時間のなかで形成されたトゥメとしての自分の”外枠”のようなものが形を保って残ったまんまだったから。トレジャーを好きでいることは私の日常で、トレジャーの活動を毎日追って、ツイートをチェックして、ひとつひとつにリアクションしていくことはもはや意識しなくても全自動でしてしまうような習慣と化していた。だけどあれが起こった瞬間、いきなりその習慣をする”理由”を奪われてしまったんだと思う。トゥメとしての核のようなもの。外枠に対して、中身であるもの。消えたとか消したとかそういうものじゃなくて奪われたがやっぱり近いな。私の外枠は置いてけぼりで、奪われた中身、中身の消失についていけていない。発言が耳に飛び込んできた瞬間、思ったより「差別ではなくない?」と言っているひとが多くて絶望した瞬間、無言を貫く事務所にもう付き合いきれないと呆れた瞬間、そのたびにどんどん中身が奪われていく。私は彼らを愛したいのに、大好きなのに、事務所は差別を黙認し、差別がなかったことになり、一部ファンに傷つけられながら生きていかなければならない、”トゥメ”と呼ばれても自分がそこにいないような疎外感を感じなくてはいけない、そんなのはつらすぎる。つらくてつらくて、でも外枠が残っていたから反射的にツイートするなりは出来たんだと思う。トレジャーのことをまだ好きでいたい、という外枠の意志も生きていたけれど、あまりにも酷い現実のせいで、「なんで好きなんだろう?」という気持ちになった。何故苦しみの要因を、私は愛しているんだろう?中身が奪われる、というのはこういうこと。ましてや過去トレジャーと過ごしてきた日々も、なんで好きなんだったんだろうと思えてしまった。虚しかった。トレジャーを好きでいたかっただけなのに、トレジャーを好きでいるという感覚が思い出せない。次第に中身がもう無いという事実を体が受け入れ始め、「やっぱり元には戻れない」「やっぱりここに私はいれない」と思って、今のようになった。KPOPのファンが特定のグループのファンをやめるときに”ペン卒”という言葉を使うが、学校に例えるのなら、今回の私は”強制中退”みたいな。やめざるを得なかった。自分の意志はそこに干渉出来なかった。意志とか以前に、気づいたときにはもう中身はなくて、ひたすら虚無。それに事務所だって無視するという対応をもって私たちをいきなり締め出したし。傍から見たら”卒業”なんだろうけど、私からすれば全然そんな潔いものじゃない。ドロドロで未練だらけで、でも名簿にはもう自分の名前はない。帰れないし、次第に、帰りたいとなんて思わなくなる。私はそこで苦しみ差別を見、傷ついて疲れ切ったのだから。中身に自分の意志は干渉できなくて結果中退になってしまったけど、外枠には干渉できるかもしれないと思って、今、意志を持っているところ。はっきりと言います。私は今外枠を崩しています。この文を書くという作業が、まさにそれです。
あともう一つ最初の方はまだツイートしていられたのは、確実な逃げ先が見つかっていなかったから。私はラッキーなことにデビュー日の数日前に後の逃げ先に出会うという偶然にしては出来すぎたことになっていて、ただ出会ってすぐには”確実”とは言えなかったからトレジャーの話をしていたのだと思う。今は全身全霊で逃げています。
”強制中退”となってしまったひとは私以外にもいると思うんだけど、皆様、その後どうでしょう、なんとか生きていればそれでいいです。中には逃げ先を見つけ、新たな愛を見つけ、そこで笑顔でいる方も複数いらして嬉しい限りです。私も皆様もまた幸せに生きましょうね。確実な逃げ先があって、絶対そっちに逃げたほうが幸せだ、という思うようになったから、今こうです。逃げ先にもし出会えていなかったら…と思うとヒヤヒヤする。もちろん逃げ先を見つけることが全てじゃないですよ。私たち、それぞれの最善で生きていけますように。
自分に届いた声や他で見かけた声の中で多かったのが「Notall」あるいは「そんなファン(=差別言動をする一部のファン)はどのファンダムにだっている」だったと感じる。うーん、論点そこじゃない。
というかそもそも今回の一部ファンの二次加害を通じてトゥメというファンダムを知ったひとが、トゥメに対して明るい印象を抱くだろうか?ましてや、「差別主義者のいるファンダムだ」という印象を抱くのが自然だと思う。悲しい。私も一応トゥメだったし、そのなかでたくさんの素敵なトゥメさんを見たし、だから悲しい。けど、当然だよね。”一部のファン”の行動も、やっぱりどうしてもファンダムの一部で、それが広まっていけばやがて”ファンダムの印象”になるのだと思う。当然。差別の実態がしっかり広まりこれは酷いなという認識が共有されるのは自分としては救われる思いだったけど、ファンダムの印象と言う点では良くなかったのかもしれない。けどだからって「波風立てるな」って話じゃない。実態を無視してまで作り上げた印象のファンダムって健全なのか?ってこと。今のようになってしまったのは、全て当然の帰結。原因の元を辿るとどう考えたって事務所による放置。放置された末に収拾が効かなくなってこうなったんだ。だから全てのファンがそうじゃないとかそんなのどこにでもいるとか言われても困る。その怒りのエナジーを向けるべき矛先は、ファンダム全体を指して何かを言っているひとじゃなくて、そのひとに”差別ファンダム”という印象を抱かせる流れを生んでしまった運営では?と思います。
あと、notallって言われても、外見だけじゃわからない。いくら言葉を投稿するツールであるツイッターとはいえそれだけでその人のことを知るのは困難だ。パッと見全員ただのトレジャーメイカー。でも蓋を開けてみたらもうトゥメとしての命が消えかかっていたりするかもしれない。蓋を開けてみたらそこに差別主義者がいるかも知れない。なかなかに恐怖。でもその恐怖は「差別は駄目だ」と一言言うだけで取り除かれる。私がしっかり差別は駄目だと何度も言っているのってもちろん自分の意思表示が最優先の目的だけどそれが結果誰かに安心感を与えるということになっているからでもある。そうしてここは安全ですよと表明してくださった方はたしかにいて、というかツイッターで私と仲良くしてくださってる方々はみんなそうだし、本当にありがとうの気持ち。じゃあ、逆に、無言でいられてしまうと安全確認が取れない。内側に何を持っていたとしてもこちらから蓋を開けることは出来ないから教えてもらわなきゃいけない。差別主義者であろうと、差別に断固反対していても、どうしても外見はおんなじ。警戒していないと傷つく可能性が上がるから、「このひとは差別はしないだろう」なんて迂闊に言ってられない。だから、時として差別に反対する気持ちを内側に持っているひとのことも差別主義者であると仮定して警戒しないといけなくなる。でもできればそんなことしたくないから、どうか、一言でもいいから差別は駄目だと、そう思っているのなら、口に出してください。どうしても、そうじゃないとわからないから。心読めないもん。逆に声に出さないということは、差別主義者と思われても自分はそれでいいですよ、と言っているのと同じだとも思う。
どこにでもいる、ということについて。それはそう。いますよ絶対。
世の中はある側面から捉えたら最悪で、ある側面から捉えたら最高なもので溢れていると思うんですよ。というか世の中そのものもそうだし。最高な面を好きでいるから、私たちは特定のものを好きでいられる。アイドルのことも、そのファンのことも、最高な面を愛し、信じている。そして好きを継続させるために、私たちは最悪な面から目を背けず、それを潰そうと思える。最悪な面を極力潰していこうと常日頃動くことで、最高な面を好きでいる部分が守られている。いつ最悪な面が牙を向いてもみんなで潰しにかかれば、完全に消えはしなくても最高な面は守られる。ただ最高な面だけを見る、最悪な面は知らない、という虚しい状況に陥らないために、私たちは何にだって最悪な部分はあることを忘れちゃいけないし都度立ち向かわなきゃいけない。アイドルの話になると多分最悪な部分って多くが”一部のファン”や事務所の対応だったりするよね。アイドル本人とは別物なのに最終的にはアイドルそのものの一部と化してしまうような気がしてつらい。から、やっぱり立ち向かうんだ。でも、もし最悪な面が最高な面を飲み込むほど目の前に出てきたら?物凄く驚くし悲しくなるけど潰そうと動かなきゃいけない。と思った矢先、動き出した途端その行動を否定する、攻撃してくるものが飛んできたら?流石に私たちも人間、行動をやめてしまう。怖くなっちゃうから。その結果、最高な面を好きでいる気持ちはあっけなく守られなくなってしまう。あっけなく崩れる。外枠は残っていても、最悪な面と戦う力を失いただただ最高な面が見えなくなり、最悪な面がそこを包み込むさまを呆然と見つめることしか出来ない。
最悪な面は、どこにでもある。だから、それが最高を飲み込まないようにしなきゃいけない。
けど今回私、私たちの視点からでは、飲み込まれてしまった。私たちは力を失って動けないし、最悪な面の動きを止めうる力を何より一番持っていた事務所も動かなかった。動かなかったことで、事務所自身が最悪な面と化してしまった。まだ完全侵食じゃないから見る視点を変えれば最高は生き残っているのかもしれない。けど力を失った私たちが視点を変える余力を持っているわけがないし。結果、最悪な面に頭を抱えて消えるしかなくなる。今回の事の流れでしたとさ。
こんだけ色々といって置きながら、私のツイッターのTLは未だにトレジャーでいっぱいで、今日トレジャーが何をしているのかも無意識に知っている。ずるずると、引きずっている。さっき外枠崩しの作業も今していると言ったんだけれど、それがなかなかに難しい。ホーム画面を別のアイドルにする。ロック画面も。ロック画面はTRACEの舞台裏で円陣を組む彼らの写真だった。その前はTEUDAYの円陣。次にコンサートがあるまで変えない、って、願掛けのようにずっと変えていなくて、ちゃんと”次”、TRACEが来て、無事変えることができた。でも、さらに次は来なかった。来てほしかったし、変えなければまだ”次”の可能性は残される。けど、そんなのただただ未練たらたらでしかないから、やっぱり変えたけど。つらかった。いつの間にか奪われていた思いの核は無意識のうちに消えていったものだからつらくなかったけど、自ら手放すとなると、小さなものでも苦しくなった。今までトゥメとして歩んだ一年以上が消えていく。あの時間はなんだったんだろう。いや、でも確かに幸せだった。
そうだ、幸せだった。
私はたしかに幸せだった。きらきらしていた瞬間がたくさんある。その核を、思い出せないだけで。そこを懐かしく少しでも感じた時点で、私はやっぱり彼らそのもののことはまだ好きなのだ。大好きなのだ。だからこんなに苦しい。すぐに嫌いになれたのなら、こんな文章を書く時間も惜しい。トレジャーのために時間を費やせるほど、私は彼らそのものがまだ好き。ずっと好き。
というか仮にもトレジャーについて9万字書いた人間なのだ私は。好きなところなんていくらでも出てくるよ。
それでも、どうしても、彼らを見るたびに何かがすり減っていたので、ロック画面を変えた。ひとつ呪いから解かれたようだった。
これから先、トレジャーについて9万字も書くひとって私以外に現れるのかな?紹介記事とかは見たことがあるけど、パフォーマンスについてあんなに考えたひとっているのかな、いたのかな、現れるかな?ガハハ、私のような人間がいなくなってしまって残念だ。これからもっと進化していくであろう彼らのパフォーマンスをものすごい熱量で語るかもしれない人間が消えたぞ。ガハハ。あ〜あ、書きたかったなあ。…ごめんなさい。また未練たらたらムーブをしてしまった。
現役トゥメの皆様、どうかヨシくんの何にも馴染み流れ行くようで、でも存在感のあって、しなやかさとパワーを兼ね備えたダンスの話をたくさんしてください。どうか、唯一無二で、聞き手に心臓の在処を教えてくれるラップの話をたくさんしてください。いつも静かに、強く、ヨシくんはひたすらにヨシであるのだということを思って、ヨシくんの話をしてください。
何があったとて、これまでにたくさん楽しませてくれて、色々なことを教えてくれて、ときに救われて、だからファンはやめれない、ってみんなそうだ。私もそうだ。だから外枠崩しは大変だ。やめれない、って思いつつも気づいたら中身が空っぽだから、”続けれない”になった、今回の私。
”マイノリティであることに自尊心を持つ”
ヨシくんが与えてくれた考え方。一生大事にすることになると思う。これはヨシくんがある曲を紹介するときに、その曲の説明として使っていた言葉なんだけど、私にとって新しく眩しい考え方だった。マイノリティ、という言葉が包み込める範囲は広いから、きっとありとあらゆるマイノリティの人々にこの言葉は届いたんじゃないかな。曲自体の素敵さももちろんだけど、それを聴いてこの言葉にできるヨシくんの考えが好きだった。もしかすると、パフォーマンスとアイドル本人の思想って一切切り離して、パフォだけを好きでいたほうが、健全なのかもしれない。けど、思想の面で、最低限差別をしないだとかそういうことの確認が取れていたほうが、こちらの心には良い。仮に”推し”が差別主義者だった場合、その人を推すというのは差別への加担にも充分なるし。だからこの言葉はずっとお守りだった。もう最初のようにお守りとして機能することは無いけど、これからも大切に唱える言葉です。
あとは、月を見るたびに、「この世の美しいものはカメラに写せないんです」という言葉も思い出します。
多分まだ愛は残ってる。彼らのことについて、まだ書ける。それにヨシくんはじめ”確認”は取れている。それでも私が外枠崩しを選んだのは、どうしても、彼らの音楽を聴けなくなったから。何よりも彼らの音楽が好きだから彼らを好きだったのに、聴けなくなった。アイドルの仕事の核である音楽を聴けなくなり、私も核を失った。
というか、私はどうして好きなものを好きでいただけなのに自分の存在を脅かされて居るんだろう?だめじゃん。
事務所が謝罪をし、差別を容認しないという姿勢を示さない限り、YGは差別黙認企業であり、そこから販売される音楽も差別黙認音楽だ。それに、差別黙認企業である以上、二度と差別が飛んでこないという保証はない。自分の安全は、保証されていない。(”そんなこと期待しすぎるな”とか言ってる場合じゃない。差別されない、というのは最低限守られるべきことだ。思想とか以前の話。命を守るために必要なこと。差別されても仕方ないと思え、なんて諦めちゃだめ。そんなこと言ってたら人が死ぬ。)そんな自分の存在が脅かされる音楽を、果たして素直な気持ちで聴けるだろうか?このことが起こる以前はただトレジャーの音楽はトレジャーの音楽だった。このことが起こったことで一瞬差別をされてもおかしくない音楽のある場所となりかけたけど、謝罪をするというチャンスが事務所にはあった。謝罪すればまた元通りトレジャーのまばゆい音楽。でも放置したから、あっさりと差別黙認企業、音楽と化した。やっぱりこう考えると事務所の責任がほとんどだ。トレジャーの音楽が大好きだったのにこうなってしまったことが悲しいし、悲しいけど、もう聴けない。
実際、こないだカムバしたときもちっとも楽しめなかった。多言語でHelloを言われたとて全然届かなかった。まだ苦しんでいるひとがたくさんいるのに陽気にされても…と思ってしまったし世界包み込んでる感じ出されても、いや、排除されたひとたち放置されっぱなしじゃん…ってなったし。
その他の曲も、明確な理由はわからないけどやっぱり聴くと胸騒ぎがする。自分が脅かされていると、なんとなく分かっているからかな。
あ、あと、もし仮に、ありえないとは思うんだけどYGが謝罪を出したとき、その瞬間にまたトレジャーの音楽を聴けるようになるかと言ったらそうじゃないと思う。だって二ヶ月放置。手遅れ。手遅れなのが悔しい。けど、やっぱり謝ってほしいと常に思っています。差別黙認企業でありつづけることではなく、終止符を打つことをしてほしい。
まだ好きで、それでも音楽が聴けなくて、事務所は差別黙認企業。また差別・加害を浴びる可能性に怯えながら、ガタガタの外枠を埋めることに意味はあるのだろうか?と己に問うてみると、答えは間違いなくNOだ。というか、音楽が聴けなくなった時点でもう答えは出ていたと思う。存在だけ好きなら、アイドルを好きでいるのは困難だ。
あれですよ、好きだった音楽が聴けなくなるというのは、怖いですよ。あんなに毎日毎日聴いていたのに、突然怖くなる。理由はあるけど、あまりにごちゃごちゃしすぎていて、かえって、ない。漠然とした不安より怖いものはないよ。ほんとうにつらかった。何もかもが。好きだったものを好きでい続けることが困難になるというのは。もう二度とそんな経験したくない。
私は運良く新しい愛に出会うことが出来て、そこでは自分の存在を脅かされないし、”確認”も取れている。やっぱりこれも決定打だったなあ。わざわざつらいほうにいる必要ないもんね。
もう今年のコンサートのチケットは取ってしまったし、一緒に行く友人に迷惑をかけることになるから、行かなきゃいけない。怖いけど、もうそこで本当に最後にします。ほんとはいきたくな〜い!!
大変です。もう1万3000字も書いていたみたいです。たらたらと書いていたらこんなことになったし、たらたらと書いていたらいつの間にか書くことがなくなっていたみたい。なんかまだあったような気がするんですけど二ヶ月分の感情を全て記憶しておくのは不可能だからもうここで一旦やめにしようかな。
この文を書くことを通して外枠崩しを進めることが出来ました。ありがとうございました。
最後に、私がこれからどうしていくかをまどろっこしくない言葉でまとめて置こうと思います。もう今まで書いてきたことでなんとなくおわかりだとは思いますが。
私はもうトレジャーメイカーではないし、復帰しようという考えもありません。理由は先述のとおり。もうnoteで何か書くことも、ツイートすることもないと思います。トゥメ・金澤はこの世にいません。未練たらたらでなかなか今までこうとは言い切れてなかったけど、やっぱり確信したのではっきり書いておきます。私はもう、トゥメではない。
ツイッターをフォローしてくださっている、あるいは相互フォロー状態でいてくださっている皆様、特にトゥメの皆様、今回私の書いたことを読んでどう思ったかで、今後の判断をおまかせします。もうトレジャーの話をする私はいません。特に相互の皆様、もし、”トレジャーの話をしない私”に需要がない、フォローしている意味がない、と感じられましたら、好きなように対応を取られてください。そっちのほうがきっと互いに健全ですよね。しかし、私の方から何かするということはいたしません。トレジャーが好きという共通点で繋がった皆さまがたくさんいらっしゃいますが、私はそれ以前に、好きなものの話をしている皆様の姿や、皆様の言葉が好きだから、フォローしています。なので皆様のツイート自体は苦じゃないんです。ですから、私の方からブロ解などはしません。(もし皆様も”私の言葉”そのものを好いてくださっているのならば、これからも仲良くしたいななんてボソっと言ってみたり)もちろんフォロワーの皆様ひとりひとりのことも大好きです。皆様とマロなどを通じてお話した時間はかけがえのない宝物です。本当にありがとうございます。
また、私のアカウントはトレジャーのためのアカウントではなく、私の人生、私の視界と心を通過していくものを記録していくためのアカウントですので、垢消しをしたりもしません。垢分けもしません。トレジャーも、私の人生の一部であるという事実は揺らがないので、ツイートを消したり記事を消したりもしません。すべて私の人生だから。ブログやツイッターも何よりもはじめに皆様の”言葉”に触れたいから使っているのでね。だからさっきのようにブロ解はしませんよ〜って言ってます。なのでやっぱり私のアカウントは私の言葉を見たい!”言葉”!!って方(どんな方)向きかもしれないなあ。どうか今後とも、”私”を、よろしくお願いします。
突如大海で遭難し行く先を失った私でしたが、運良くとある海賊船に乗船し現在生活しているため、次ここでお会いするのはその乗船経緯のお話をするときになりそうです。会っていただけたら嬉しいです。ツイッターでもそんな海賊ことAtoZの皆様の話をしています。あとは変わらず未知数の完成の皆様の話もしております。業務連絡でした。
トレジャー、ふぞろいの宝石たち。大好きでした。
完璧なくして完成している集団で、暖かくて、素敵だった。音楽の楽しさそのものを伝えてくれてありがとう。
ヒョンソクさんが惜しみなく表現してくれる愛に何度も励まされました。ヒョンソクさんのおかげで乗り越えられた月曜日があるから私がいます。人想いでぽかぽかな夢追人、大好きでした。
ジフンさんのプロフェッショナルたる姿のかっこよさに何度も夢中になりました。ジフンプロ、な面、もっとたくさん取り上げられてほしいなあ。信頼と実績、それとたくさんの希望。大好きでした。
ヨシくん、私の現時点での人生最高に熱量をかけた”推し”のひとりでいてくれてありがとうございました。あなたはとても静かに強く、いつも”あなた”である。愛のひと。その姿が大好きでした。あなたは、あなただ。
ジュンギュのこと、結局いつまでも全てを掴みきれなくて、そこが魅力でした。ふわふわしてほわほわしていてかわいくて、それでもやっぱり最高にかっこいいってことはちゃんと覚えている。あなたもまた”プロ”で大好きでした。
マシホさんの遊ぶようなパフォーマンス、痺れるなあ。ほんっとうにかっこいいんだって…。世界の手すら軽々取って共に舞い踊ってしまうような、頼もしくて軸のブレないマシホさん、大好きでした。
ジェヒョクは本当に本当にピュアでスイートで愛おしいですね。ふわふわなぬくもりが心の支柱でした。才能の輝きと努力のまばゆさに夢中になれた時間が宝物で、大好きでした。
朝光さんの感性にふれるたびに心が豊かになりました。感動すら覚えるほど素敵。どうかずっと自由でいてください。あなたの言葉、目に映るもの、見せてくれるもの、創るもの全て、大好きでした。
イェダムの生み出すもの全部が最高。音を通して、歌声を通してひとつの世界を作り上げてしまうような音楽をするひと。ずっと好きなことをしていてください。あなたの音が大好きでした。お前しか勝たん。(←分かる人には分かる文言、懐かしい…)
ドヨンさんってやっぱかっこいいんだよなあ。音楽が鳴り響いた瞬間スイッチが入って全てを開放するようなパフォーマンスの話、もっとあちこちでされてほしいです。料理の隠し味に愛を入れる感性、大好きでした。
ハルト、好きや。今や半分以上のメンバーがネイルをしているけどその先駆けはハルトでしたね。自由に着飾って好きなように加工してセルカ撮って、意志の一貫性が最高に眩しくて、大好きでした。
ジョンウの真っ直ぐさってずっと変わらない。トレジャーのメインボーカルを背負ってくれていつも純度の高い言葉を届けてくれてありがとう。存在そのものが愛おしいし、垣間見える強さが大好きでした。
ぱにちゃん…たくさん食べてね。瞳に、宇宙を持っていて、日替わりの輝きを見せてくれるジョンファン。どうかずっと幸せでいてください。もちもちな笑顔と日に日に磨きのかかる鋭さが大好きでした。
今まで2ヶ月以上ずっとツイッターでもどろどろとした、なんというか、見苦しい言葉ばかりつぶやいていたから、最後くらいこうでもいいですよね。許してください。だってトレジャーを好きになったから生まれた思い出、全部大切なんですもの。終止符を打つという行為は本当に寂しいけど、やっぱり覚悟決めて、と、ここに来たので。ね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
さよなら、ふぞろいの宝石たち。
さよなら、かけがえのない宝物たち。
これにて、外枠崩しの作業を完了とさせていただきます。