無題 220820
その言葉が、一番あなたに近い気がした。
名前のない真実を見つめるあなたの瞳の中に広がる世界に、触れないように、今日は書いてみる。
無題であることを守り通す、あなたの暖かな朝焼けのような言葉を愛している。
HAPPY BIRTHDAY ASAHI!
題名を名無しにしておきながら、私は朝光さんの名前が大好きで大好きです。書くたびに漢字にしたくなるほどに好きです。なんならタイトルを朝光にしてもいいししたいくらいです。
タイトル無題。タイトル決定の逃げ4割、本気6割。ちなみにもうひとつあったタイトル候補は「真実を見つめて」だったのでそちらも念頭においていただけると有り難いです。
私はこれから先の人生、何十年経とうと朝目を覚ましカーテンを開け心地よい眩しさを覚えるたびに、あなたの名前を思い出すだろう。たとえどんな気持ちの朝であろうと、あなたのことでなくても、あさひという言葉を発することが日々に転がっているのだから、忘れることの方が不可能です。人生は分からないけどそれは確かだ。素敵な名前であり、素敵な人柄だから、朝一番に思い出せると憂鬱な平日の朝も少しばかり楽になる。存在が、日々の何気ない光になる。何かのはじまりで、時として何かの終わりでもある、朝の光。朝光さんは、物理的なものだけでない、人間が呼ぶあらゆる光のようなひとだ。真夏の太陽から暑さを取り除いたら残るのは眩しさ。朝光さんはその眩しさを背負ったひと。朝方の涼しい空気によく馴染む、低い太陽の直視できる眩しさを思い出すかがやきをしている。夏といえば7月8月!というイメージが強いけれど、もう後半にもなると大分涼しい日も増えてきた。夏の日差しを残したまま汗を消し去る風。それを感じて、朝光さんの誕生日に気がつく。風は、朝光さんの透き通ってどこか切なくて、でも力強さもたたえた、世界に柔らかく響く歌声のようであった。
朝光さんのことを考えて最初に思い付いたのがこの名前の話だった。そりゃあ、晴れの日の朝のたびに思っているからそうかもしれないな。朝の光、朝日でなくて、朝の光。概念的な”朝”にある光。今私のいる部屋には夕日が差し込んでいるけれど、それもまた朝光さんみたい。Orangeを聴こう。やっぱりあなたは、そういう眩しさを背負ったひと。
そして、次に思い付いたのはやっぱり写真の話。朝光さんは眩しさを背負うひとであり、眩しさを捉えるひとである。朝光さんの撮るお写真、朝光さんが写る写真の眩しさの正体は、真実をはっきりと写しているから、朝光さんが真実を捉えているからでないかと、ぼんやり思った。ノスタルジックな質感の写真だけれど、空間が色褪せずいつ見ても鮮明な朝光さんのお写真。朝光さんが写真に収めようとしたその風景を前に感じた素直な思い、対象に対しての感情までも乗り移っているから質感がリアルなのかな。その場の空気まるごと、ありのまま切り取った。景色という要素も感情という要素もこの世にいつだってごちゃまぜになって存在しているもので、朝光さんはそれを切り捨てない。豊かだなあ、と思わせてくれる朝光さんのお写真には、朝光さんの瞳の豊かさも関係しているであろう。見慣れた景色も見慣れた人物も、たしかに同じものだけど、毎日毎日少しだけでも異なる。その違いを、違いという真実を見つめて切り取っているから色褪せないのかなと思ったりした。いつも真新しい世界を生きているのかな、と思う。そんなひとのお名前に”朝”と入っているの、素敵すぎる。朝光さんに言ったら”両親のおかげです”と返ってくるのだろうか。よくそう言っているのを見かけるので。そこもまた朝光さんの好きなところ。
カメラのレンズは人間の目のように何かを知っているわけではなく、まっさらだから透明度が高いという話を聞いたことがある。何も知らない純粋無垢なカメラのレンズに、知っているからこそ宿せる真実を込める朝光さんの感性。お写真で朝光さんのすべてを語るわけでは断じてないのだけれど、どうも朝光さんとカメラは相性抜群で、朝光さんの大きな魅力のひとつであると思う。これからもどうか自分の好きなタイミングで、時折朝光さんの切り取った世界のリアルを見せてくださると嬉しいです。たとえ何百人もが同じ場所に立たされても、絶対に朝光さんにしか切り取れない景色の数々がお写真の中にはある。日々楽しませていただいております。
朝光さんのお写真や存在そのものを端的な言葉で片付けたくないけど、「美しい」「豊かだ」が限界だ。きっと朝光さんは言葉の大切さを知っているからこそあんなに思慮深い一言が出てくるのだろうし、言葉にできないものの大切さを知っているから写真の濃度が高いのだろう。何か別のものに変換せずに、そのままが、真実が切り取られた、写真、言葉、音楽。景色を景色のままで。言葉を言葉のままで。音楽を音楽のままで。届けるひとだと、思っている。
朝光さんは人生を豊かにする方法を知ってらしてる方だと思う。写真に、言葉に、日々の重さが、厚みが宿る。せいぜい何月何日という称号しかついていない無題の今日を大切にされているような。毎瞬間毎瞬間が永遠で二度とこない瞬間で、そのことを朝光さんを見ていると思い出す。一度、朝光さんに私が住んでいる場所で毎日見る景色を撮ってほしいな、と前思ったことがある。見すぎて疲れてしまうほどの景色さえも朝光さんが撮れば真実が、豊かであることが、見えてくるのかなと思ったから。
”豊か”というワードも、私の中では朝光さんを見ているときによく思う言葉である。心がときめくような、満ち足りるような気持ちのことであり、景色の美しさに対する感想でもあるし、朝光さんへの色々な感情を集約させて感想にするとき、”豊かだなあ”と思う。豊かは豊か以外の何物でもないのでうまく説明できないのだけれど、きっと朝光さんを見ているときに感じている謎の嬉しさのようなもののことな気もする。なんだか嬉しくなりません?素敵な世界を今日も朝光さんは見ているんだと画面越しに知れたこと。朝光さんの感性が今日も豊かでらしてるなあと感じる瞬間、無意識に笑顔になる。朝光さんの真実のおすそわけは、私たちに豊かさを与えてくれるという面においても豊かである。音楽でも、写真でも、なんだってそう。余談だけれど、私は朝光さんの音楽に平面上に音を並べたあとに画面の奥側に立体的にしていくというイメージを感じている。スマートで豊かな音楽。
アイドル、という数少ない人間しかなれない職業でありながら、誰にでも訪れる普遍的な日々のあれこれの豊かさを教えてくれる朝光さん。題名のつかない瞬間のきらめきを、無題のまま教えてくれる、彩ってくれる。そんな朝光さんをみてやっぱり憧れを覚えるんだけど、全然近づけない。なりたい、というのもおこがましいけど、朝光さん、あなたのようになりたい。その気持ちが時折大きくなるとちょっと胸が締め付けられるような気持ちになる。これは、愛ゆえに。無題の瞬間をもっと愛せるようになりたいと朝光さんを見て思うし、その手助けをしてくれるのもまた朝光さんで。朝光さんが収める普遍的な瞬間にある”幸せ”は、富と名声とかじゃなくて、無いと生きていけないわけではないけどあると遥かに人生が豊かになるもの、だと思う。朝光さんさんはそれを見つめて捉えるし、時には自らそれを生み出す。私にも起こりうる”幸せ”の美しさを教えてくれるから虚しくならないのだ。救われる。
自分の使えるツールを最大限に使って、自分の内側にあるものを伝えてくれる朝光さん。朝光さんのおかげで日々にときめきが増えるし、学びも増えるし、喜びも増える。あなたの感じるあれこれの全てを大切にし、愛します。
”音楽の楽は楽しむの楽。TREASUREの音楽を通じて音楽の最も基礎的で原初的な楽しさをお届けしたい”
ずっと胸の奥で大切にしている言葉。
そうそう、朝光さんの好きなところまだ話しきってなかった。よく笑うところ。無表情だということでロボットの絵文字がついたそうで、前はそうだったのかもしれないけれど私の知っている範囲での朝光さんはよく笑う。バラエティやブイラではもちろん、音楽に触れているときも。楽しそうだ。音楽の最も基礎的で原初的な楽しさに常に触れながら私たちにそれを伝えてくれる朝光さんが大好きで、頼もしいです。
朝光さんの21歳という題名の期間が始まるけれど、また続いていく日々はいくつもが無題。けれど私なんかが祈るまでもなく、朝光さんは無題の日々を豊かにして、時折見せてくれるのでしょう。今年もよろしくお願いします。
どうか、日々幸せで。インスタントラーメンの一口目や、冷凍庫を開けたときにもう食べたと思ってたアイスを見つけるだとか、夏の空気を吸うだとか、そういう幸せがいつも朝光さんのそばにありますように。アイドルという職業だから起こるとびきり大きな幸せが、できるだけ多く訪れますように。遠くからいつも朝光さんの数多の幸せを祈っています。大好きです。
どうか無題の日々を生き抜いて、真実を見つめる朝光さんの瞳といつかお会いしましょう。
お元気で。夏はまだ続きますので、光をみつめて進みます。
お誕生日おめでとうございます。愛しています。
2022-08-20 真夜中のオタク堂