ありあまる愛のはなし 220515
ありあまる - 余るほどたくさんある様子。充分すぎるほど豊富なさま。
あなたに費やす愛なんていくらあってもいいのにね。私の手の中には上手に収めることができない。
あなたは、ふと何か必要だなと思ったときに"何か"を与えてくれるひと。少し多すぎるほどに。
あなたは、愛そのもの。充分すぎるほど真っ直ぐだ。
あなたは、愛に囲まれたひと。ありあまる程の愛も、きちんと包み込んで"ありあまらせない"ひと。
私は、あなたを愛するファンのひとり。愛をありあまらせてしまうほど未熟だけど、その話をしたいひとり。
いつもは胸から零れ落ちて足元に広がる花びらも、今日は拾って宙に飛ばそう。奥底で抱える花の蕾も、内側の色を解き明かしてみよう。
ありあまる愛の、話をしよう。
今日はそんな日。あなたの誕生日。
HAPPY BIRTHDAY YOSHI!
暑い。夏か?と思うけど確かに苦しくなるほどの暑さではないので、きちんと春。
ちょっと前まで枯れ木の集合地帯だった山が朝目を覚ますたびに青々と茂りゆく。完璧に景色の模様替えが完了し、夕日が透ける葉っぱを見ながら家に帰り、布団を一枚減らして眠れる季節。外に出る度にに浮足立つ季節。
1年で1番大好きな季節に1年で1番楽しみな日がある。365日の中で1番祝福に溢れた1日。
今も夕日が差すバスに乗りながらこの文章を書いているけれど、目に映る景色のひとつひとつがまあドラマチック。今日はどんな一日だった?と韓国の方向に問うてみるなんてちょっと恥ずかしいようなことを言っても許されるみたい。
来たる5月15日。今日はどんな日にしようかな?あなたはどんな日を過ごすかな?そんなこと考えるだけで季節なんて関係なくとてつもなく幸せ。いつもいつも何か凝ったことを書こうと頭を抱えてしまうけれど、今日はただ今ここにある気持ちを文字にしてみるだけでいいかもしれないな。満ち足りている、という事実を書き残す。とても、満たされている。
私はどうして、ヨシくんのことが大好きなんだろう?
うーむ、しっかりした文章を書くのに"くん"という敬称を使うとやっぱりしっくりこないけど、ヨシくんを知ったその時から1年間ずっと変わらなかったので貫くしかない。
ヨシくん、って呼びたくなる言葉の軽やかな響き。ヨシくん、って呼びたくなる不思議な親しみ易さ。ときに何て呼んだらいいのか迷ってしまうようなヨシくんの思慮深さ。
ヨシくん、という呼称にはやわらかで呼びかけるような愛の香りがするなぁ、なんて思った。可愛らしくて包み込むような。
あなたの名前が好き。
うわ、すごい、名前を呼んだだけでこんなにも文章が書けてしまうなんて。
"あなた"を辞書に載せるとしたらとんでもないページ数になりそうだけど、その中に書かれている一つ一つの項目どれをとってもあなたを好きな理由になる。
私は"あなたの項目"を愛しているのではなく、"あなた"を愛しているのだから、項目の中身は熟読するまでもなく見に染み込んでいる、そんな感覚。
あなたの項目はいつだってまっさら。そこにあなたの名前が書いてあるだけで、充分説明になるから。
あなたの声が好き。
魂の在り処を常に示すような声が好き。ふわふわとした語り口のときも、ブレない核心を持つ眼差しは口同等に意思を伝える。春の雲みたいに柔らかくみえるけど、中身は"ずっとそこにあるもの"。ゆっくりゆっくり時間をかけて思いを外側へと紡いでいくあなたが大好きだよ。降り注いだ雨水が染み出して不純物のない湧き水になるまでの期間を、あなたは知っている。
さらさらとした響きもあれば、頭をつんざく雷のような轟音にもなるその声はあなたの表現と意思表示の要なので、本当に本当にたいせつで、できる限りの愛を注ぎたい。
あなたの声を聞くと、"私は生きている"ということを思い出す。
自分の血の流れが分かる。音が聴こえてくる。心臓の在り処が分かる。文字通り胸が熱くなる。自分の魂の在り処が分かる。何が私を震わせ、泣かせ、生きようとさせるのかが。自分の体と心の地図ができたかのように、ありとあらゆるものに"実感"が湧く。それくらい、全身にくまなく流れていく声をしている。
生きてて良かった、じゃなくて生きている、を捉えさせてくれる、今その瞬間に最大の価値がある声。それが何度も何度もこの世に生まれている。だから、表に出ている分は一つ残らず掴みたいし、表に出ていない分はどうかこちらには何一つ伝わらず、あなたとあなたの大切な仲間たちの間で抱えられますように。
生きるように歌うあなた。
音のように生きるあなた。
あなたの色が好き。
あなたで彩られていく世界が好き。
目には見えないあなたの色。言葉、行動、生み出すものの全てにあるそういう色。
私はこうやって何かと言葉にしたくなってしまう人間だけれど、「言葉にできない」ことがあなたの大きな魅力の一つだと思っている。
見ることや聞くことだったり、五感でしか知ることのできないあなたという存在を通して出来上がる不思議な感覚が日々にいつもあって、とっても豊か。
理屈なんてなく入ってくる何かは、人の本当の奥底を動かす。いつの間にか心臓を掴まれている、そんな気持ち。
できるだけ早く会いたいね。もっと直に五感をフル稼働させてみたい。そこでしか得られない何かを楽しみに、今日以降もきっと生きていく。
あなたにしかない色。
ファッション、絵、音。
好きすぎて頭抱えちゃう。
あなたのあり方が、美しい。まばゆい。
強いよ。涙が出てくる。どう表したらいいんだろう。強く、優しく、美しく、
あなたはいつも、とても静かに"あなた"である。
柔らかな笑顔の内側に、確固たる意志。
メラメラ燃える炎が、穏やかな瞳の奥に見える。誰がなんと言おうとあなたはあなたで、いつも誰よりも熱く燃えているんだ。炎の激しさと熱さは違う。あなたはどこまでも、熱い。私たちが到底近寄れないほど。だから、ってわけでもないけど、近寄るつもりはないので、どうかあなたの炎が絶えず守り通されますように。時折見える胸の奥に涙するだけで、私たちはもう充分暑くて汗と涙が混ざってしまうよ。
あまりにもあなたが透き通っていすぎて、なにかが心配になってしまうときっていうのも確かにあった。
けどそんなものいらない。あの目を見たら、弱いことなんて言えない。こちら側からヨシくんへの心配なんてこの世のなにより要らないと思うんです。
ヨシくんの強さが大好きだ。強いんだよ。私はそう思う。
ヨシくん、これからもヨシくんが信じたいものを信じていてください。
私が信じたいものはいつだってあなた。心配事が要らない理由、これ。
5月15日の誕生花はドクダミ。花言葉は「野生」。ちぎれた地下茎からでも成長して花を咲かせるたくましさに由来しているんだそうです。
あなたの、愛が好き。
誰にでも均等に愛を手渡せるあなたに、誰もが笑顔になっているんだよ。
あなたへの愛を通して自分のことも考えられるから、" あなたを愛すること"も好き。
総じて、あなたの愛が好き。
ただ愛を渡すだけじゃなくて本当に分け隔てない。誰に対しても同じ眼差しをしているのだ。ふにゃりと目尻にシワが出来る大きな笑顔を全てのひとに向ける。優しさ、なのかな。優しさだと気づかないほどありとあらゆる穏やかさが標準搭載されていることこそが、優しさそのものなのかも。
明瞭な言葉で表せなくてごめんなさい。でもやっぱりあなたの"愛"が好きです。
そこにはいつだって愛がある。ありあまるほど。
まず、私の手の中に。隙間からこぼれ落ちてしまうほど。袋を用意してもそこからあふれる。ありあまらせてしまうことが、やっぱりもどかしいな。今日は落とさぬよう気をつけながら文章にしてみたけど、やっぱりありあまって言葉にしきれなくてふわふわ飛んでいるものがある。ありあまる、ってネガティブな言葉かもしれないけれど、辞書の説明の言葉選びによっては物凄く"満ち足りている"に近い明るい言葉に感じるんじゃないかな、と思います。愛がありあまっていて、とても幸せです。
次に、あなたの胸の中に。ギュッと凝縮された愛のかたまりがある。あなたはそれをちぎって誰かに分けられるひと。幸せは2倍に、悲しみは半分に。愛ってなんだろうって問いが常にこの世に存在しているように、愛、凄く抽象的な言葉だけれど、あなたを見ているとなんとなくわかってくる。優しさ、あたたかさ、近い言葉で表してもなにかしっくりこないから、愛という言葉があるんだね。愛を持って接する、っていうのは敬意を持つことにも似ている気がして、それは相手を大切にしていれば自然に出来ることなんじゃないかなって思って。あなたの愛が好き。
そして、あなたのまわりに。
言葉にするまでもなくわかる。
こんなにもたくさんの愛をあなたはありあまらせない。満ち足りた状態で、全て包み込んでいる。あなたがそれ以上の愛を返せるひとだからかな。愛を持って愛に囲まれ、笑って。そんな姿を見るとまた私の中にも愛が生まれて、今必死で捕まえている。いつかありあまらせないでも満ち足りることが出来るかな。まずはあなたへの尊敬の思いを言葉にすることから始めようかな。
心配事が要らないもうひとつの理由。あなたには愛が溢れているから。
そういえば、日本と韓国では誕生花が違うんだった。
韓国の5月15日の誕生花は勿忘草。
花言葉は、真実の愛。
花道だけ歩こうなんて綺麗事は言えない。この世には、いばらの道の方が多い。花なんてなくて、ただただ砂利道のときだって全然ある。だからあなたがこれからずっと花道だけ歩いていけるなんて保証は誰にもできない。痛みは少ない方がいいけど、消えて、までは言えない。やがて痛みすらもあなたの一部になるのだから、否定できない。だから言えない。
けれど、あなたが歩む道の端に、世界で1番美しい花が咲くことを祈っています。
まだまだ書きたい、書き足りないよ……。けど、どれだけあがいてももう愛の端っこを掴んで文字にしてしまうことができない。ごめんね、もっともっと好きなのに。ありあまらせてしまって。
ありあまった分もいずれ私に吸い込まれて定着していくと信じて、また、来年ね。新たな愛に出会うのは、来年のお楽しみね。
もう今書きながらボロボロ泣いている。幸せです。誰かに涙を流せるのは幸せ。ありがとう、ヨシくん、生まれてきてくれてありがとう。
この世にある言葉なんかじゃあなたを表すことも、あなたに思いを届けることもできないけれど、私が知っている最大級の言葉をかけさせてね。
あいしてるよ。
…あ、肝心なことを言い忘れていた。
お誕生日おめでとう!!!!!
2022-05-15 真夜中のオタク堂