水平線の向こうを照らせ 220218
水平線は逃げていく。
もう長らく長旅もしていないし海も見ていないし飛行機にも乗っていないし、そもそも延々海が続いていくようなフライトをしたことがないため、本当に逃げていくのかは分からない。
けれど、多分そうだろう。
水平線の先が見たい、のにどこまで行っても水平線。ぼーっとしているといつの間にか陸が見えて。水平線の先は陸、だなんて分かりきっている。とっくのとうに。
でも、私たちは陸ではない何かがほしい。「ふ〜ん」とつまらぬ納得をしないような何かが。
でもいくら進んでも、寝起きの目に冷水をぶっかけたような衝撃に辿り着けない。
今の世の中、私たちの目の前にあるのは水平線だ。
大好きなひとたちの映る液晶は、水平線。
しかし水平線の向こうを知らずとも、"ある"ものは"ある"。私たちが水平線を見つめると同時に、相手も同じ線を見ている。それはすなわち希望。
何か、陸ではないものが移す影が、水面に見える。はっと目が覚めるような眩しさで、きらきら光った。水より優しく、雪より速く。
水平線を超えずとも見える"その先"へ道を照らすひとが、この世には17年前の今日から、いるのだ。
こんな考えがある夜ふと思いつきました。
きみのことを、考えていたときです。
HAPPY BIRTHDAY SO JUNG HWAN!!
韓国の2月はいかがなものでしょうか。花粉の季節なのか、まだ雪がちらついてそれどころではないのか。まだこちらは朝一番から昼間まで常に厳しく冷え込みます。
冬の朝の空気は存在が”確か”で、とても張り詰めていて、不純物がない。きちんと記憶される、儚くない朝。排気ガスまみれでマンションに遮られた四角い空ですら、澄んでいて惑いのない青さをしている。
ジョンファンはそういうひと。
赤ちゃんは自分で日を選んで生まれてくるなんてよく言うけれど、その通りな気もする。ジョンファンが2月に生まれてきたのは必然だったんじゃないかなあ、自分がどんな人間なのか生まれる前からわかっていたんじゃないかなあ、と思ってしまう。
なんにせよ、2月18日の空気は、きみの分身のようだ。
その優しいきらめきがよく似ている。その青さが、よく似ている。雲のおぼろげななびき方が、よく似ている。
ジョンファンは紛れもなく「才能」のひとであると思う。その若さが、多くを物語る。全てが人並みはずれている。音に合わせて表現をして、人々に届ける、そのためにこの世に来てくれた天使かなにかなのか。
明らかに「才能」のひとなのに、「才能」の圧を感じないのが、きみの不思議なところで、愛される理由。
普通己の才能を行使して活躍している人は、それ相応の遠さや怖さ、存在の不確かさを纏う傾向にある気がする。でもジョンファンはそうじゃない。
どこまでいってもただただ「一途」なのだ。
自分のしたいことに、一途。一途という言葉が一番しっくりきた。踊ることに、歌うことに、ステージに立つということに、焦がれているような。そんな素直さで舞い踊る。ひとつひとつに誠実で、自分を深く映す。だから遠くにいても遠くない。表現は、海を超える。
遠いのに遠くないのは、ジョンファンが水平線の向こうをも照らすひとだから。
水平線のカバーが投稿されたとき、ジョンファンがジョンファンを歌っている、と思った。
ジョンファンの瞳のつややかさは、まだなにも知らない、そういう無垢さではない。逆に同年代の子たちよりも遥かに多くのことを知っているだろう。汚いものも見てきたであろう。けれどジョンファンは「一途」だから、そんなもので瞳の輝きが失われたりはしない。自分の好きなものを、24時間365日一途に見つめ続けているから、こんなにもきれい。人が痛みを感じたときには自分のことのように思えるひとだから、慈愛に溢れている。そうなんだと思う。見ていれば、遠くからでもなんとなくわかる。
水平線のはるか向こうにいる私たちに光があまりによく届くから、少しばかりわかったような気になってしまう。
今ふと思い出した話があるので、書いておこうと思う。特に何と絡めているわけでもないし、オチもない。ただふと、ぽこんと浮かんだ話。頭の中でこの話とジョンファンが線で結ばれたので。
今まで歩んできた過程が実を結び、報われる瞬間は、時計の針が12時丁度を示すときのようである。
秒針、短針、長針、3つの針が全て、時計の最も高い位置で重なる。ただそれだけのことなのに、12時にはあちこちで世界の色々が変わっていく。たかがそれだけ、さりげない現象なのに、自然と変化を連れてくるのが12時という瞬間だ。
そういう瞬間が、人生という大きなくくりで見ると何度かやってくる気がする。ジョンファンなら、デビューが決まったとき、とかデビューしたとき、とか。12時は変化を連れるが、なかなか完璧ではない。変わる、と思っていたのに思ったより自分は変われなかったとき、変わると意気込んでいたのにそこまで大した環境の変化ではなかったとき、目まぐるしく周りが変わっていき自分が置いていかれてしまったとき。
アイドルは、きっと12時の連続だ。
しかしちゃんと、ポジティブな12時も存在する、と私は思う。
さっきまで言っていた歪みのある12時は、”本当の12時”とはまた違うような、疑似12時たちだ。12時を迎えたような気分になっていてふと時計を見たら、違った。3時15分だった、6時半だった、といった状態。12時でなくても針が重なる瞬間のこと。(厳密に言えばこの時間は若干針がずれているけどイメージの問題ということで、正確さは割愛。)
では本当の12時を迎えるために必要なものは何かというと、「空白」だ。
12時の前は11時。11時のなかには、3つの針が重なる疑似12時が存在しない。惑わされずに済むといえばそうだが、空回っているような感覚に近いと思う。どうも噛み合わない、重ならない、けれどそういう空白を超えた先に、必ず、12時が存在する。
アイドルは、きっと空白の連続だ。
けれど毎日毎日、あたかも今がまさに12時だと言わんばかりの素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれるアイドルを、心の底から尊敬している。
ジョンファン、たとえきみに11時がやってきても、時の流れは止まらない。それが辛く感じられるかもしれないけれど、11時のあとには12時が来る。12時がきて、仮に何かの魔法が解けたように感じても、きっときみにとってプラスなものだから大丈夫。それにきみは水平線の向こうをも照らすひとなのだ。12時なんて、何時にいても照らせてしまうよ。きっと。確約のない戯言でごめんなさい。ただ、どうか11時にいても、マニモゴ。きみの大切な11時、水平線は暗く見えるかもしれないけど、こちら側からは常にきらきらして見えるから、きみは本当にすごいひとだ。
いつか会って、大きな12時を迎えてみたいね。水平線を超えて来たひかりはどれほど眩しいのか、ワクワクしてしまうね。
きっとこれから先、生きていれば、正しさを別の正しさで失くす悲しみにも出会うだろうけれど、水平線は光る。
その光が、もしかしたら崩れ落ちたきみの希望の欠片かもしれないけど、私たちはそれを綺麗と呼んでしまうだろう。ごめんなさい。
例え11時だとしてもきみは光る、ということの証明、かしら。
どうかその真っ直ぐさが永久に守り通されるよう、ここから今日も祈っています。晴れの朝も、雪の朝も、心穏やかでありますように。
毎日が重なることで会えなくなる人もできるけれど、その分、また誰かとの出会いに近づけるから、その瞳の色を変えながら、進んでいってくれたら嬉しいな。水平線を歌っているジョンファンになら、もう私の勝手な望みは歌詞を通して伝わっているんじゃないかと思うので、もう多くは言わないです。
今日は昨日よりもっと、明日は今日より少しでも、ジョンファンが幸せでありますように。
水平線は逃げていく。水平線の先が見たいのに、どこへ行っても、どこを見ても水平線。それは2年経っても変わらなかった。誰の力でも変わらなかった。でも海の上に、ジョンファンは光の道を作った。水平線を光らせることで、誰かの崩れ落ちた希望まで抱えた。ただ一途に、表現と生活に向き合い、大きな口をあけてご飯を食べて、仲間たちに愛されて、その様ひとつひとつの欠片が空から私たちに降り注いでくる。
今はなにも返せないけれど、いつか、宝石型のライトでありったけの感謝を返すから、どうかその日まで道標にさせて。
誰かの悲鳴すらも歓声に変えることのできる希望のアイドルジョンファン、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。これからも沢山美味しいもの食べてふくふくになるんだぞ。私も今日も元気よく暴食しているから、お互いふくふくで会おう。
きみが歌った悲しい声の歌は、いつしか水平線を超えて海に流れ着いて光って、きみは、
”それ”を見るでしょう。
見えない場所をも照らすのがジョンファンというひとだ。地下にすら届く光だ。どうか水平線の向こうを目指して、これからも歩んで。
そこがいくら不安のあるところだとしても、ジョンファンは水平線の先を照らすひとなのだから、どうか全ての闇は飛んでいってしまえ。
進めば進むほど、一寸先は闇でもきみの足元は確かに光っている。きみは本当にすごいひとだ。
凄くて、とくべつで、普通の、18歳の人間。
新たな歳の幕開け、笑顔でいてくれれば全てが完璧だ。きみの心のように、直進!!
さあ、続く人生の中で、水平線の向こうを照らせ!!!!
2022-02-18 真夜中のオタク堂