(笑)の効用 津野海太郎『編集の提案』
最近読んだ『編集の提案』(津野 海太郎、2022年)という本がある。津野海太郎という伝説的な編集者が残した編集に関する文章を、現代の編集者が改めて編集した、という本で、テクニカル的なことよりはもう少し広い枠組で編集にまつわるアレコレが書かれていて面白い。なかでも、「座談会」は日本特有の文化であり、海外では認められていない、という話が面白かった。
多くの雑誌で有識者や読者を交えて行われる「座談会」。参加者の立場と主張が飛び交いながらも、参加者同士の相槌や聞き手の場回しなどが差し込まれ、終止和やかな雰囲気で進んでいく。私が大学時代に所属していたフリーペーパーサークルでも、やはり座談会は伝家の宝刀(輝きはないが)的に、雑誌の最後を飾るコンテンツとして便利な存在だった。自分たちの主張は表しつつも、最終的には「そういう感じだよね」と、誰かをジャッジするでも否定するでもなく、なんだかのんびりした雰囲気で終わることが許されている感?よく言えば「丸くおさまる」、悪く言えば「何も答えが出ていない」。
この「何も答えが出ていない」点がナンセンスだと、海外の学会か何かで著者が指摘されたのだという。言われてみれば確かに、とことん平和な会話形式だ。
しかし津野は、この座談会に頻出する「(笑)」に着目し、その面白さを熱弁している。(笑)はLINEなどのチャットツールでもよく使われる表現で、本当に笑っている時のほかに、「このまま送ると少し怖い印象を与えてしまうかな」と心配になった時などにも使われることが多い。座談会においては、発話の語尾につけられるだけでなく、「一同(笑)」など、座談会が行われている現地が和やかな雰囲気に包まれていることを表す表現としても用いられる。それが事実かどうかは別にして、少なくとも読者を安心させ、会話のトーンを明るくするのに大きな役をかっている。このことにより、同じ内容が書いてあっても読みやすさが格段に向上し、読者も会話の一員となるような感覚を得ることができる。
もう一点面白かったのは、(笑)を差し込む場所によって、与える印象が大きく変わってくる点だ。
今朝の朝日新聞の社説から引っ張ってきたこの文章に(笑)を差し込むと、
かなりライトな印象になる。「なめらか(笑)」には、嘲笑のニュアンスさえ感じ、まったく文意が変わってくることが分かるだろう。
これが結構面白くて、ちょっと何を言っているか分かりにくい文章にも(笑)を差し込んでみると、「結局この文章の裏にも血の通った人間がいるのだな」と安心して向き合うことができるようになる。
と思ったけど、そうでもなかった(汗)