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社会人3年目からの大学院受験(文系・外部) 合格発表〜現在まで

はじめに

昨年の11月に「社会人3年目からの大学院受験(文系・外部)書類審査編」という記事を出し、ありがたいことに多くの方からいいねをいただきました。フォローしてくださった方もありがとうございます。私自身は院試準備の期間は孤独な戦いだ…と感じていましたが、私と同じような思いを抱えた方が多くいたのだな、と改めて仲間を得たような気持ちです。

「書類審査編」と銘打ったは良いものの、その後は何をテーマに書こうかと悩んでいる間に入学してしまい、さらに3ヶ月間が経ってしまいました。自分のためにも、これまであった心境の変化を記録したく、入学前〜現在までのまとめ記事をお届けしたいと思います。かなり打ちのめされた3ヶ月間だったので、ネガティブ表現多めですが、心して読んでいただければと思います。今はかなり元気です。

合格発表後〜入学まで:超不安

こんなことを言うのはなんですが、合格発表後から入学するまで、もっと言えば入学オリエンテーションで学生証が渡されるまで、さらに言えば研究室歓迎会に参加して乾杯するまで、私は自分の合格に確証が持てずにいました。私の受験した大学院が「合格発表通知」を郵送しない決まりになっていたので不安だったということもありますが、一番大きいのは自分の自信のなさでした。受験時は、前回の記事でも書いた通り「受かるはずがない」「けどやり切らないと」という思いでがむしゃらにやっていればよかったものが(もちろんそれはそれで辛かったが)、実際に合格した現実を目の前にして、私はほぼパニック状態。なんで受かったんだろう?本当に受かったのか?周りのレベルが高すぎる中に、普通の会社員が入っていけるのだろうか?修了した後に私はどうするつもりなのか?etc. 「やりたいからやってみる」というフットワークの軽さは、その地盤の脆弱さとセットで、私を大学院入学まで導いてくれたのです。
とはいえ授業料を試算してみると、今の貯金額では結構ギリギリだし、課外活動や留学のチャンスを残すためにもう少し余剰資金が欲しかったので、私は3月末ギリギリまで働き続けることにしていました(ボーナスももらえるしね)。合格前と何も変わらずに毎日続いていく仕事は、良くも悪くも私から大学院入学という現実を忘れさせてくれました。仕事の引き継ぎのために上長にや会社の人に合格(&辞めること)を伝えると、みんな「すごい、頑張れ」と言ってくれ、入学前まではずっとそのフィーバータイムが続いていたような気がします(仕事を辞める時のことはまた別の記事で書こうと思います)。
入学してみないと何をすべきかわからないし、見えない不安を膨らませても良いことはないだろうと思い、私は考えることを放棄していました。何をやるかわからないとはいえ、自信のない英語くらいは勉強を進めてもよかったのに、私はそれすらも放棄していました。今思えば、心からこの時期に英語の勉強を進めておくべきだったと思います。でも、一つ自分を擁護するとすれば、この期間はある意味で長い燃え尽き症候群として、自分にとって必要な期間だったかも、とも思います。

4月:完全に自信喪失

そうこうしているうちに約半年が経過し、あっという間に新入生オリエンテーションの日が来ました。今年度入学の修士1年〜博士までが集合していたのですが、そのあまりのグローバルさにショックを受けて帰ったことを覚えています。私の学科には「修士・博士」のほかに、1年間単位取得なしで参加できる「研究生」の制度があるのですが、彼らも全員合わせるとほぼ半数以上が留学生。よってオリエンテーションも当然のように日英併記で進められるし、先生からの挨拶に至っては全員英語。。グローバルな環境とは聞いていたが、ここまでか! 学生一人ひとりの自己紹介を聞いても、みんなしっかり自分のやってきたこと&やりたいことが固まっていて、一方で私はまだ自分が受かったのかさえ自信がないような心境で、この先やっていけるのだろうか、、とかなり焦ったことを覚えています。
早速翌週から授業が始まり、履修登録に向けていろいろな授業に顔を出しました。出る授業、出る授業で毎回自己紹介を行ったのですが、自分の中に確固たるものがなかったため、私は毎回違った自己紹介をしていました。見ず知らずの人たちが学ぶために集まるこの場所において、研究テーマはアイデンティティに直結し、それがないということは、アイデンティティを持たないことと同義のように感じました。研究計画書は出したけど、本当にやりたいテーマではないから変えたい気がする、でもまだその糸口は全然掴めない・・・。
いくつか文献購読の授業も取ったのですが、とにかく学生の意見のレベルが高いこと。私が卒業した4年制の総合大学を思いだせば、座学授業は400人が履修して講義は大ホールで実施、半分から後ろの人は授業中にずっと話したり寝たりスマホをいじったり、、、という光景が当たり前だったし、なんとなく授業を受けていたら前期が終わり、後期が終わり。教授もレジュメを配って面白いことを教えてくれるが、その文章を原典にあたって読むことはしない。分からないことがあっても、流してもどうにかなるから放置する。私は学ぶことは好きでしたが、勉強時間は圧倒的に不足していて、自ら難しい本を頑張って読もうとすることはありませんでした。だから、本を読んでも自分の意見が出てこない。授業で先生が言っていたことも、自分のものにしなかったから忘れてしまっている。そもそも思考力(頭の筋肉)が足りていない。そんなことを痛感する日々でした。教室の中で、私だけがとんでもなくおバカという感じ。来る場所を間違えたのではないか。私は何のために来たのだろうか。
自分に自信がないので、友達もできづらい。というか全然友達ができない。4月の中旬頃に指導教員との面談の機会があったのですが、「テンション低くない?」と言われました。自分自身ではいつも通りと思っていましたが、「馴染めない、辛い」というオーラが滲み出ていたのだと思います。

5月:自分がコントロールできるもの、できないもの

GWが明けた頃には、だんだんクラスメイトの顔を覚えてきて、校舎も少し身体に馴染み、英語が遠慮なく飛び交う場面にも慣れていました。この頃の一番の変化は、私がスルー力を身につけたことだと思います。英語が分からない感情もスルー、文献が言っている意味が分からなくてもスルー。良くも悪くも、という話ではあるのですが、私はおそらく人と比べがちだし、自分のできなさに焦点を当てがち、かつ明らかに人よりも能力的に劣っている。だからこそ、スルーすることを自分に許すことにしました。実際のところ、スルーしてもしなくても、現実はそこまで変わらない。スルーせずに自分のできなさを真正面から受け止めようと思えば、能力の向上よりも先に自分が壊れてしまうかもしれない。大学院生のメンタルヘルスの問題は各所で指摘されていますが、私もまさに、いつ心が壊れてもおかしくない危ないラインにいたように思います。誰からも能力を評価されず、友達になりたいと思ってもらえない魅力のない人間なんだ、と。今思えば、そこまで誰も私のことを見てないよ、という話ではあるのですが。
いくつかの授業に出て知り合いが増えたり、色々な演劇を見に行ったりする中で、だんだん「学校」だけの枠組みから離れることができるようになりました。特に一番私のメンタルに効果的だったのが、自分のPodcastを始めたことです。学生時代にも友人とやっていたが、会社員時代を経て辞めてしまったPodcast。友達がいないから自分が日々感じていること、経験したことを話せない。だったら自分一人でPodcastを始めて、それを友人代わりとしよう。そんな思いで始めてみたら、すごく居心地が良い。大学院生活では、私は会社員をやっていたような超アウトサイダーだし当たり前なのだけど、自分の苦手なことばかりに直面して、完全にout of control状態。Podcastという形で「自分がコントロールできるもの」を手に入れたことが、私にとって精神の安定に直結したようでした。Podcastと、配信のお知らせや日記を届けるNewsLetterもやっているので、ぜひどちらも登録してもらえると嬉しいです。

6月:慣れたけど、通学が辛い

6月に入る頃には、いなかった友人も少しずつできてきて、学校生活により慣れることができました。研究テーマも自分が興味のありそうなものを見つけることができて、教授からのOKももらえたので一安心。だが、だんだんと登校が億劫になり始めたのものこの頃…。できるだけ出費を抑えるために実家から通っており、通学時間はなんと1時間半超…。もうすぐ夏休みに入るので、とりあえず前期は頑張りますが、後期はシェアハウスなどへの引越しを検討しています。もっと大学の滞在時間を増やしたいが、通学時間を考えると早く安心できる家に帰りたくなってしまう。結果的に毎日早く家に帰ってきてはダラダラ or 1コマだけのために往復4時間かけて行くのは面倒なので欠席 という2択になってきてしまっている。お金がなぁ。

まとめ

今回は入学前から現在までの変化を追ってみました。どんなことに対しても言えることですが、離れているうちはキラキラして見えるものが、近づいていくと様々な課題が見えてくる。でもそれは確実に近づいた証拠であり、避けては通れない道です。入学してみたことで、私が今学んでいる分野の現実も見えたし、私より賢い人がわんさかいることもわかったし、何より自分の実力不足を痛感しました。でもそれは、私が会社員をこのまま続けていたら直面できなかったことであり、そこに立ち向かわざるを得ない状況で始めて、日々「前よりは良くなっている」はず(?)という実感があります。せっかく貯金をはたいて、自分ができる範囲のことをやっていても仕方ない。辛い時は、「この辛さを体験しにきたんだ!」と言い聞かせています(だいぶ辛そう笑)。でも、本当にそう。ここでの学びが今後の「仕事」に直結するかは分からないけど、今後の「人生」には必ず良い形で影響する。自分の無知さに気づくたびに、気づけてよかったと思う。自分が一番できる環境より、自分が一番できない環境の方が、伸びしろがある。もう私は、伸びしろだらけです。多分。
7月下旬から夏休みに入りますが、この3ヶ月で得た以上の収穫がありますように。そのためには暑さに屈して引きこもるのではなく、どこかに出掛けて行きたい!また近況を報告したいと思うので、気になることがあればコメントください。NewsLetterとPodcastの登録もお願いします!

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