彼岸
9月の19から25日は「秋のお彼岸」!!
おはぎ食べたり、お墓に参ったり、、、皆は何かしたかな?
私にとってお墓参りをしたり、おはぎを食べることはよくあること。
神様とか教えとか、信じてるわけじゃないけど、その時間が好きだから。
だから秋のお彼岸が「特別!!」って感じはしない。
でも「亡くなった方に想いを馳せて偲ぶ行事」だから、
お彼岸の時には必ずおじいちゃんのことを思い出すんだ。
毎回、泣きかけるから、この時ぐらいしか思い出せないんだけど。
家族からおじいちゃんの話をすると、頑固やら短気やら、いい話は一切出てこないんだよね。
でも、私は「家族の中で1番好きなのは誰ですか?」と質問されたら
「おじいちゃん」と即答するぐらいに、おじいちゃんが大好き。
ーーー
動いてる姿はあんまり覚えてないけど、覚えてるのは
おばあちゃんの家で蝉が部屋の中で入った時にぎゃーぎゃーしてる中で、手掴みで取ってくれたり、
おじいちゃんの家の近くの川でザリガニ釣りをしたり、キャッチボールをしてくれたこと、だけ。
それだけでも十分優しくてかっこいいって、大好きって言えるんだけど。
私の大半を占めてる、「動いてない姿」の方の記憶が無ければ、
ここまで大好きじゃなかったと思ってる。
ーーー
おじいちゃんは私が4歳の時に事故った。
窓掃除をしてる時に、2階から落っこちちゃって。
脊髄損傷、下半身麻痺。上半身も殆ど動かない。
運ばれたきた時なんて、見ていられないほど、悲惨。
私だったら絶望してしまう。
ずっと同じ景色、大量の薬、自分では何も出来ない惨めさ。
そんな生活なのに
わたしがお見舞いに行った時は泣いて喜んでくれた。笑顔が絶えなかった。
嫌味とかそういうのではなく純粋な喜びの言葉が
本当に本当に嬉しくて。
「お見舞い行く?」と言われたら「うん!」と元気よく返事したし
常に次のお見舞いが待ち遠しかった。
私が料理好きになって、字が綺麗になったのも、おじいちゃんのおかげ。
甘すぎるはずなのに(ケーキ)
硬すぎるはずなのに(クッキー)
汚いはずなのに(手紙)
全部褒めてくれる。泣きながら「ありがとう」と言ってくれる。
それが嬉しくて、めちゃくちゃ頑張れたんだ。
こんな時がずっと続けばいいのに。そう思うけど、終わりは必ず来ちゃう。
亡くなってしまった。ちょうど事故の日の1日前に。
その時のことをよく覚えている。
高熱が続き、意識が朦朧としちゃってて、危篤状態。
でも亡くなる前日意識が戻って、好きな食事を摂れるまでにまでに戻って、
「あぁまだ生きてくれる」という希望が光が差した気がしたんだ。
でもそれはおじいちゃんなりの意地だったのかなって今は思ってる。
「痛いまま死んでやるもんか!」って。だっておじいちゃんらしいもん。
亡くなった当日、
わたしは学校から帰っておばあちゃんを見た瞬間にいつもの質問をした。
「おじいちゃん、今日はどうだった?」と。
少しの沈黙があって、おばあちゃんは違う部屋を指さした。
なんで部屋を指したのかわかんなくて、「?」でいっぱいだったけど。
入った瞬間分かったの。
雰囲気がいつもと違うもん。忙しそうだけど、とっても暗い感じ。
おばあちゃんは私がおじいちゃん大好きなことをよく分かってくれてた。
だから、自分から言うのは辛かったんだと思う。
お母さんから結果を聞くことになった。
悲しかった。本当に悲しくて。
でも同時にとても悔しかった。わたしを殴りたかった。
「「だってお見舞いに行けてなかったから。」」
実は、亡くなる前に行ったお見舞いが辛かったんだよね。
いつもおばあちゃんが行ってから、私達が行く。
でもこの時は違って、親とわたしの3人で行ったんだ。
おじいちゃんはその時寝ていて、起こすことにしたの。
起こされたからか、それとも夢のせいか、おじいちゃんはとても不機嫌で。
花瓶の水を変えている時に、
「なんでこうなるんだ!なおせ!」という怒っている声が聞こえて。
「アルツハイマーを患っていて、夢と現実が混合している」という話は聞いていたから、
ある程度覚悟は持っていたつもりなのに、そのはずなのに。
わたしは怖くなってしまった。
初めて見るおじいちゃんが怒っている姿。わたしが出てきても認識されない。
いつもおばあちゃんがいつもの状態に戻してくれていたと初めて気づいて。
この状態で何もできない私の不甲斐なさ、悲しさ、怖さ、、、、
それがお見舞いを避けることに繋がっちゃった。
だから、凄く悔しかった。
危篤と分かっているからこそ、お見舞いに行きたかった。(親に止められた)
自分勝手な理由で避けてしまった私を殴りたくて殴りたくて仕方がなかった。
まぁそれでもまだ自分勝手に「なんで今死んじゃうの」とか言ってだけどね。
いろんな「なんで」を繰り返しまくって、
なんだかんだで6時間?ぐらい泣いてた。
その後には、まぁ普通と変わらないようなお葬式があって。
その時に私は生まれて初めて歌を作ったの。
文字にするのが苦手で、感覚派なわたしには
音楽というか芸術が大好きだったし、1番の表現方法だったんだ。
6時間も泣くなんて初めてだし、感情の処理が追いつかない。
ならこの思いを歌にしちゃおう!みたいな感じだったはず。
結構歌詞も幼稚で、色々な意味で恥ずかしいけど
こういう時ぐらいしか絶対見返さないから載せる。
『おじいちゃん』
笑顔がいつもたえなかった(1)
いっつもありがとう(1)
大好きだよ(1)
やすらかにねむってください(2)
おじいちゃんらしくなくなったから(2)(3)
はじめは信じられないけど(2)
今は信じられるようになりました。(2)
元気そうに食べていてかんしんしました(1)(3)
あんまりあえなかったけど(1)
ずっーといっしょにいれますように(3)
※(1)は普段-お見舞いのこと、(2)は亡くなったことに対して (3)死に対して
最初で最後かもしれない、私の歌。
それを書いた紙(最後に載せとく)を棺桶に入れて、出棺した。
出棺の時の姿は、今までで見た中で1番って言っていいぐらい、
美しくて、綺麗。
人間味の無さがここまで人を惹きつけてるのか、理由は分かんないけど。
恐ろしく感じるほど、綺麗だったんだ。
あの姿は一生忘れられないし、忘れたくない。
そして葬式におばあちゃんが渡してくれた本があった。
それはおじいちゃんが書いた、自分の人生の本。今でも私の1番好きな本。
亡くなってしばらくは毎日これを読んでた。心の大黒柱にした。
おじいちゃんをもっと好きになれたし、何より面白くて。
で、亡くなった後のおじいちゃん誕生日に区切りをつけることにしたの。
それに反対する人はいなかった。
私が「祝いたい!!」と言ってたこともあるけど、自分でも気づかないぐらい、やつれてたんだと思う。
というか、おじいちゃんの誕生日までの私が映ってる写真が本当に酷いし。
今までで1番のデコレーションを施したケーキ。
めちゃくちゃ甘くて、食べるのに1週間以上かかったけど、それも思い出。
「いつも大好きなおじいちゃんで居てくれてありがとう。これからもずっと傍にいてください」
今も昔もこの思いは変わってない。
それを彼岸の度に思い出す。
そうじゃないと忘れてしまうから。それは絶対に嫌だしね。
※蛇足部分
この出来事をきっかけに、「死は美しい」という価値観が私にはあるの。
だから、私に「生」の執着はないんだよね。
でも死ぬとしたら「飛び降り」は選択肢にないし、「治療」もない。
それに、葬式もするつもりもない。
死後私のためにお金を使って貰うのとか、最期を見られたくないのもある。
でも1番は、なにかやったわけでもないのに、葬式をするなんて私が嫌だ。だから、海とか山の自然に沈んで食物連鎖の一環として吸収されたらさ。「なにかをやった」わけになるわけじゃん?
そうがようやく「生きた意味」になるから、そうできたら1番良いなって。
これも複数ある死生観の1つ。
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