祖母97歳 後編
前回に引き続き祖母(通称おばあ)の話。
つい先日、今年97歳になるおばあが某ワクチンを接種した。高齢だし副反応に悩んでいたが、家族会議の末に接種することにした。
2回目の接種が終わったとオカンから連絡を受けていたが、その翌日にまた連絡があった。
『おばあが高熱を出して救急搬送されて入院した』
97歳41度の高熱で入院というワードに、
「もう会えないかもしれない」
不謹慎かもしれないがそんな最悪が頭をよぎる。
こんなご時世なのでお見舞いにも行けないし、ひたすら病院からの連絡を待つしかなかった。
「連絡が無いのは無事な証拠」
なんて自分で自分を落ち着かせていた。
こんな時は何もしないで心配していたいが、それでも自分の日常は送らなくてはいけないのがツライところ。日常は時に残酷だ。
実は今まで幸いな事に深く関わった人が亡くなる、という経験をした事が無い。
心のどこかで俺の周りの人達は誰も死なないし、ずっと元気でいてくれるんじゃないか?なんて恥ずかしながら心のどこかで信じていた。
おそらく【死】というものを無意識に考えないようにしていたんだと思う。
しかしながら今回はことの重大さに、ずっと遠ざけていた死の存在をリアルに感じてしまった。
その時に、
「もっとたくさんおばあと会って話をしておけば良かった」
そう後悔をする気持ちで溢れていた。
願いながら過ごすこと1週間、遂に病院から連絡。
すぐさまオカンから連絡をもらい、
『少し混乱しているが、熱も下がったし退院するよ』
とのこと。
「混乱?」とは思ったが、なにより退院が決まり一安心。
急いで仕事終わりに実家へ会いに行くと、何だかおばあの様子がおかしい。
未だ夢の中にいるようで、状況が理解できてないのかパニックを起こしているのがわかった。
人を疑うような目つき、突如奇声を発したりとあの優しいおばあの面影が無くなっていた。
せん妄と呼ばれる状態らしく、急激な環境の変化などで起こるらしい。
そりゃ97歳で初の入院だから無理もない。
パニックゆえの傍若無人ぶりに、我が家の3歳児息子を見ているようでちょっと愛らしくなってしまった。それくらいトリッキーな振る舞いだった。
看護している俺の両親はそれどころじゃ無かっただろうが。
それから3週間ほど経過したが、ある日を境にまるであの時のパニックがウソだったかのように元通りに戻った。ホント生命力の強い人だ。
おそらく昔の人はこんな状況を【憑き物が落ちた】なんて表現したのであろう。
おばあから溢れる以前のような満面の笑みに拍子抜けしてしまい、まるでドッキリでも掛けられた気分だった。
また日常が戻った。
正直このまま遠ざけたまま考えたくも無い問題だが、人はいつか必ず死んでしまう。遠い未来の話ではなくいつそれが起きてもおかしくない年齢に自分も差し掛かってきた。
頭ではわかっているつもりだが、いつまでもこの当たり前の日常が続くように錯覚してしてしまう。
でもこうした時に思い出し、その度にこの瞬間を大切にしなくてはといつも再確認している。
何より元気になったおばあに少しでも多く時間会うことが、おばあ孝行になるんではないかと今は思っている。
このかけがえのない素晴らしき日常を忘れないように、これからも生きていきたい。