メモ:「いまどき珍しいことじゃない」
はじめに
3月13日になったばかりの深夜。一度聞いて何分か何もできなくなった。
「なんどでもまっすぐに」刺さり続ける龍宮城最新EP「DEEP WAVE」。その中でもBOYFRIENDという曲について書こうと思います。
龍宮城とは
この曲の内容に入る前に龍宮城というグループについて説明しておきましょう。
布教も兼ねてね。
彼らはオーディション番組出身の7人組グループで、この世のどこにも存在しない裏島音楽学院の教室からやってきた。
デビューメンバー発表のその日、彼らに花束として贈られたのは「地獄へようこそ」の一言。龍宮城というおとぎばなしのお城の名前を戴冠し、どこにも存在しなかった教室を一歩出た瞬間落ちたのは地獄だった。
ステージを追い求める地獄、表現という底なしの闇へ切り込む地獄、身動き一つとれないほどの痛みを想像して手を伸ばし続ける地獄。どこにもない場所から来たからどこにでも行ける。誰にでもなれる。
龍宮城へはどの道を歩いたとしても辿り着けない場所にあるから、誰かが通ってきた陸路は通用しない。だから彼らは地獄と見まごうほどの海の底で手を伸ばして泳ぎ続け、深くへと潜る。全てと手を繋ぐために。
お待たせしました。そんな彼らの新曲、BOYFRIENDです。聞いてください。
ボーイフレンド、僕の恋人
同じ体験なんてしたことがないはずなのに、こころの日陰で膿んでいた思いがじわじわと熱を帯びるかの様に痛む。等身大で強がりのラブソング。
一人の男の子の歌であり、みんなの歌だなと私は思っています。
タイトルやボーイズグループの楽曲であることなどで同性愛者の苦悩の曲だと勘違いされるかもしれないけれど、絶対にそうじゃないと声を大にして言いたい、これはどこにでもある切ないラブソングなのだと。
あえてストーリーにならない様に散りばめられた二人の思い出も、どう感じたかを何も言わない強がりも。
みんなが経験したことがあるかもしれない感情が共有されるとき、それは歌の世界を超えてみんなの歌になる。
共感はできごとにではなく、感情に。
一言一言全部がきらめく
さて、なぜ私がこのnoteを書こうと思ったかと言うと、BOYFRIENDが大好きで、歌詞一つ一つが全て宝物だからです。
なので一つ一つ、愛を込めてここが好きと言いたくて筆を取るに至りました。
誰の心にも突き刺さる、春の夜のように優しく寂しく美しい曲を手がけてくださった薔薇園アヴ先生、自分なりのBOYFRIENDを探求し続ける闘志を燃やすKENT先生、楽曲制作に心を込めて携わってくださった全ての方々にいちオタクとして御礼申し上げます。(インスタライブで先生って呼ばれて喜ぶKENTさんが愛おしくて先生って呼びたくなっちゃった、かわいいね、ありがとう)
それでは参ります。ついて来れる人だけついて来てください。ついて来れない人はコーヒーでも飲みながら斜め読みしてください。暑いからね。ゼリーもつけちゃおうかしら。涼しい部屋でね、読んでくれたら嬉しいです。
ねえ、BOYFRIEND
〽いまどき珍しいことじゃないとか
絶句である。
「いまどき珍しいことじゃない」、誰かの恋愛に使う様な言葉とは到底思えない肯定の形をした拒絶の言葉。自分の恋が「いまどき」の、流行のものだと思われる。
最近よく聞くよね、BLとかっていうんでしょ?いいじゃん、多様性の時代だし。大変なことも多いでしょ。いつでも話聞くからね。
最悪だ。お願いだからもう黙ってくれ。その時の諦めに近いような絶望を想像するだけで胸が締め付けられる。
べつに、いまどきじゃなくてもどこにでもある。だって恋ってだけだもん。
誰かの大切な恋心が奇異の目に晒されることなどあってはならないのだ。私はよく恋は臓器だと思うことがある。誰かの臓器を自己満足のために雑に切り開く、そして野次馬根性で引き摺り出してそのまま放置する。誰かが傷つくことなど顧みずに。
温度も湿度もある血潮の透けた恋心はこんな言葉で、「自分は理解がありますよ」の顔でコンテンツ化される。リアルという言葉すら違和感になるほど普遍的な恋が。
グロテスクで残酷で勝手な評価から始まる曲なのだ、BOYFRIENDという曲は。
こんな言葉を何度投げかけられ、何度傷つき、何度諦めてきたのだろうか。淡く柔らかな心を何度勝手に覗き込まれたのか。
その諦めが「でもきれいじゃなきゃ無理でしょ」なのかなと思っている。
こんなこと言わせたくない、苦しい。
コンテンツとして想像された恋はどこまでも無機質で、湿度を持った性のにおいが排除され、困難の中で育まれる美しくも儚い「物語」。整えられたものしかきっと受け入れてもらえない。この2行だけでいかに自分を守り強く生きようとしてきたかが読み取れるようで、悲しい。
そんなことをぐるぐると考えて眠るに眠れなくなって、午前2時。
布団の中で寝付けなくてぱっと時計見たら午前2時、あるある。もしかしたら「きれいじゃなきゃ無理でしょ」は、そんなちいさな絶望と近しい感覚なのかもしれない。
そして「誰にでもやさしいきみ」、このこのボーイフレンドは誰にでも優しいらしい。そんなきみがこのこは嫌いだと。この部分については他の歌詞をふまえたのちに熱く語りたい所存なのでとっておきます。
以降の歌詞引用についてですが、著作権の問題もありますのであくまで引用程度に控えさせていただきます。是非皆さん、各種歌詞検索サイトの該当ページや龍宮城の会場限定CD「DEEP WAVE」をLIVE TOUR「ULTRA SEAFOOD」の各地でゲットして歌詞カードをお手元にご用意して読んでください。みんな、龍宮城のライヴ行こう。来て。
※ごめんなさい、私が遅筆すぎて気づいたら最終公演日前でした。なんてこった。わたしは玉手箱を開けたんでしょうか。どうなってるんだ。
〽知らないふりしては目で追ってる
この部分が私にはどうも難しくて、どういう意味なんだろかと悩むこともありました。もちろんこの曲を聴く人の数だけ、その時その時のBOYFRIENDがあるので答えなんかない。これから書くのは私なりのBOYFRIENDです。
眠れない午前2時に目で追うもの、あと四文字、SNSかなあ。
興味があるわけでもないTLをなんとなくスワイプしたり、自分と同じ様な傷を負った人の投稿が目に入ったり。現実で拒絶された部分の居場所をちょっとだけネットに見出したりしているのかも。
でもそんな傷を一番わかってほしいのは自分の一番近くにいてほしい人じゃないのかな。誰でもいいわけじゃない、どこでもいいから居場所がほしいわけじゃない、ひろくみんなに拒絶をやめてほしいわけでもない。
ほっといてほしい。
居場所はきみの隣にあればいい。
本当はそう思っているのかもしれない。
だから打ち明けたくて、隣にいたくて、何かメッセージを送ろうとするけど自分の気持ちを包括した言葉が見つからない。
起きてる?、話したい、会いたい、だいすき、せつない、かなしい、くるしい、さみしい……
あと四文字しか打てない、なのかもしれない。だれにでも優しいきみのことだから、きっと話したら受け止めてくれるし、自分のことの様に痛がってくれる。きれいじゃないところだって抱きしめてくれる。
だから話せない。
きっと文字を入力したり消したりを繰り返して、またどんどん夜は更けていくのだろうな。
〽きれいごとは嫌い
『きれいじゃなきゃ無理、でも綺麗事なんてもっと無理。』
これ以上隠したくない、誰に、何を?きっと全部。
グロい部分だって全部。
ほんとは甘えたい、よく眠りたい。
「きみが触るなら滑らかに剃刀」、きれいなだけじゃないよ。全員一緒だ。シャワールームの鏡に映った自分の顔を見て何を思うのだろうか。些細なところまでお手入れして、身支度をして、きみの目に映る僕が少しでもきれいであるように。
きれいじゃない自分の部分をいちばん拒絶しているのは世間でもなんでもなく彼自身なのだろうと思う。そしてそんな自分でも受け入れられない自分をきみはきっと受け入れてくれる。だから苦しい。受け入れられてしまったら、自分を守ってきた鎧がなくなってしまう。離れられなくなってしまう。
みんなに優しいんだ、別に自分にだけ優しいんじゃない。自分のことだってみんなを心配するのと同じようにしてるだけ、そう思わないと自分の形が保てない、治らないほど深く傷つくことになる。
それでもこのこのボーイフレンドは、話して、頼って、心配だよ、大好きだよと抱きしめてくれるのだろう。強がらないでいいんだよ、ひとりじゃないよ。
「強がりかどうかは僕が決める」なんて、強がりでしかないのに。
〽ねぇBOYFRIEND やさしくしないでよ
「優しくしないでよ」「きみの前では泣きたくない」平成の切ないJ-POPで何度繰り返された歌詞だろうか。「誰にでも優しいきみ」にだから優しくされたくない、自分のこと好きでもなんでもないくせに!
悲鳴なのかもしれない。
これ以上優しくしないでほしい、自分の形が保てなくなるから。
強がりかもしれない。
こんなに好きにさせといて、相手がどこまで好きでいてくれてるのか自信がなくて、試してしまうのかな。自分でも自分のこと好きになれないのに。これ以上弱いところ見せたくない、優しくされたくない。
近くに感じてる人だから頼れなかったり、弱音を吐けなかったりする。でもこのこはボーイフレンドの前以外でもきっと泣かない。
〽きれいになりたい それかいますぐ消えてなくなりたい
「きれいになりたい」と「いますぐ消えてなくなりたい」はきっと同じで、限りなく透明に近くなりたいという祈りだったり、放っておいてほしいという悲鳴かもしれない。
儚くなりたい。でもなれない。どうしたって実在で内臓だってあって、切って開いたらドロドロしたものが流れて出てくる。
たまらなく恥ずかしくて惨めで、「あんたらにはどうせわからない」と共感されないことで自分を守ってきたのかもしれない。
これ以上自分の汚いところを見られたくない、だから「全部忘れさせたい」のかもしれないし、だれにでも優しいきみの優しさを自分のものだけにしたくて他の人すべてを忘れさせたいのかもしれないし、もう散々不本意に見せてきてしまったほつれのような自分の弱いところを忘れさせて、きれいなところだけ見せてもう一度スタートさせたいのかもしれない。
自分のきれいじゃないところを哀れんで一緒にいてくれてるの?やさしくするの?自分にあたえられた愛が信じられなくて何度も試すようなことをしてしまっているようにも見える。
そしてこの歌詞。
髪を乾かすときに見つからないよう泣いていた姿を見ても知らないふりをしてくれていたと知る、こんなのは特別なやさしさ以外の何物でもない。
ドライヤーの音と髪の毛にあふれ出る感情を隠していたのに知られていた。自分に向けられている優しさが、「だれにでもやさしい」ひとの、だれにでも向けの優しさならば、泣いているのに気付くやいなや声をかけて慰めようとするはず。でもこのこのボーイフレンドはそうしなかった、気付いていないふりをした。
それを後から知る、堪らなさ。
自分の前では泣きたくないと思っていること、強くあろうとしていること、だれよりもそばにいるから知ってた、だから知らないふりをした。
こんなのをされて、自分が愛されていることに懐疑的ではいられないじゃないか。どうしたって僕のこと大好きじゃないか。胸が締め付けられるような思い。嬉しい、苦しい、泣きそう、申し訳ない、でも、もう後戻りできないなあ。そう思ってしまったのかもしれない。
〽ねぇ BOYFRIEND
この切なくて泣きそうな声をメロディに乗せて届けることがどれほど難しいか。考えるだけでKENTさんの弛まぬ努力が感じられる素晴らしいフレーズでありつつ、このこのことを考えてぎゅっとさらに胸が苦しくなるようなパートです。耳のよろしい方はお気づきかもしれませんが、サビ(と呼ぶのが適切かどうか、音楽的素養のないわたしには分りかねますが便宜上そう呼ばせてください)の部分の「ねぇBOYFRIEND」の音程とは少し違います。少し下に引っ張られるような、心の重さが表現されているようなこの微妙な違いがさらに「彼」の心情を表しているようで大好きです。
その後に続く「あぁ……BOYFRIEND」の部分、言葉にならないやるせなさと苦しさを抱えているんだろうなと感じました。そして「BOYFREND」の声の柔らかさ。優しさ。本当は僕だって優しくしたいという気持ちがにじみ出ているかのようです。今にも泣き出しそうな声。泣いてもいいんだよ。きみが泣いたからってきみを特別扱いする人はいないんだ。きみはずっと誰かの特別なんだ。もう背もたれに寄りかかってもいいんだよ。
〽ユニセックスユニセックス
「ユニセックス」。
いまどきの言葉だよなあ。中性的とか、男女兼用とか、そんな意味の言葉だけれど何となくよく分らずふんわりした認識で使っている人が多そうな単語。正しくは「男女の区別がない」という意味だそうです。
いまどき男女なんて関係ない、もしかしたらそんなことを言われたのかもしれない。でもそれは、違う。
例えばの話。いまこのnoteを読んでくださっているあなたは恋愛的な意味で愛しくて大好きな人がいるかもしれません。その方の好きなところは?と聞かれて、細かく細かく因数分解をしていくとそこには相手の大事にしているポリシーであったりアイデンティティがたくさんあるはずです。相手が大事にしているものを好きになれた自分が誇らしいと感じると思います。その方のアイデンティティはきっと国籍、年齢、性別、性自認など、さまざまなものを根底としているはずです。言ってしまえば、その何か一つでも違っていたら、今あなたの目の前にいる愛しい人は全くの別人だったかもしれないし、あなたが好きになることもなかったかもしれない。中には「時代が違おうが性別が違おうが、絶対にこの人を見つけ出して好きになっていた自信がある、運命なのだ」と主張なさる方もいらっしゃるかもしれません。本当に素敵で幸せな事です。お幸せにお過ごしください。
でも、きっとそんな人は少数でしょう。多くの人がきっと何かが違えば出会っていなかったかも、恋に落ちていなかったかも、と思うはずです。
だから恋愛には出会いと別れが季節のようにめぐるのだとわたしは思います。
だからこそ。「男女関係ない」は違う。わたしはそう思う。恋愛対象の性別かどうかなどの話ではなくて、別の性別に生まれていたら持ち得なかった価値観、文化、思考回路、たくさんあるはずです。性別だってアイデンティティのひとつです。それを均そうとするのは極めて暴力的だと思います。好きな髪型とは訳が違う。たまたまなんかじゃない。
わたしは「ユニセックス」という言葉が、すこしきらい。そんな訳です。ファッションにしたってこの服は女性用!男性用!なんてそもそもいらない。だれが何着てもいいから。服に性別なんかないから。でも人間はそうはいかない。そんなもどかしさの八つ当たりかもしれない。この歌の中でも、何かこの単語に思うところがあるから2回も重ねられているのだろうと思います。
「ジロジロ見られても平気?」この一言でいろんな情景が想像できて、切ないやら嬉しいやら。きっと二人で手をつないで歩いていたり、相合い傘をして歩いていたり、何かにつけて聞いてきてくれた言葉なのかもしれない。二人きりの夜にボーイフレンドから借りたTシャツがダサすぎて黙っちゃった。え、嘘でしょ、僕にこれ着て外出ろって言ってる?はあぜっっっっったいイヤなんだけど……どこで買ってくんのこんなTシャツ……なんて犬もUターンするような痴話喧嘩をしたあと、一緒にコンビニに行く道中言われたのかも。ジロジロ見られて平気な訳ないだろこんなダッサいTシャツ!!って思ったりしたのかなあ。でも一緒に歩くなら別にいいか。一緒にいられるならどんな格好でもいいか、とちょっとずつ思えてきていたのかもな。どう見られているかをずっと気にしてきたのに、この人のそばにいられるなら、と思ったのかもしれない。
なんにせよ、誰かにどう見られているかに人一倍敏感で、何かを否定することで自分を守り続けてきたこのこに対するボーイフレンドの特別なやさしさだろうな。
周りにジロジロ見られて平気なわけないけど、けど。こんな会話すら笑い話になるほどそばに、そばで。その先は言えない。そこまでの勇気は出ない。
こうやっていろんなシーンを想像できるような言葉のちりばめ方をされているところもこの曲の特徴で、いろんなシーンが想像できたり、全然関係ないのにあんなこともそういえばあったっけな、と思い出してみたり、一つだけじゃない物語が各々の中で流れるような、そんなアルバムを1ページ1ページめくるような感覚になる。人には人のBOYFRIEND。
〽珍しいことじゃないとか
「エンタメじゃなきゃ無理」、冒頭よりももっとはっきりとした言葉で傷ついた顔をしている。いまどきのものじゃなくなったとしても、きっと現実にあることまで考えていないな、と感じとってしまった時の寂しさとやるせなさ。
自分の恋をエンタメとして消費される苛立ち。ふざけんな!ついそう言ってしまいそうになる。
「電話をかけてた」、すごい、さっきまでメッセージを送るのすらもできなかったのに電話かけてる、ちょっとずつ心開いてる。
少しずつ懐きはじめた猫みたいな距離感ではあるけれど、寂しさで肌寒くなるような夜にそっと甘えてみることに一歩踏み出したのだな。「起きてた?」って電話かけて甘えてみたら、すっごい眠そうな、さっきまで寝てました、みたいな声でうん、起きてたよって答えるんだろうな。嘘ばっかり。寝てたくせに。そんな優しさが辛い。人に甘えることに慣れていないから、優しさが返ってくると泣きそうになってしまったりするんじゃないのかなと思う。これ以上優しくしないでよ。泣きたくないのに泣きそうになる。
〽ねぇBOYFRIEND やさしくしたいけど
ここからは一言ごとに「ねぇBOYFRIEND」という歌詞が挟まってくるのだが、本心と見栄が入り乱れ、それでもボーイフレンドが好きという気持ちが抑えきれないようにも聞こえる。
手を伸ばしては怖くなってやめ、手を取られては傷つくのを恐れて手を振り払う。「ねぇBOYFRIEND」の切実さよ。
歌を通してこの部分がもっともバラバラに言葉が散りばめられている部分で、人によっては「?」だろうと思います。人の心って得てしてそんなもんで、言葉にならない、言葉にしたとしてもうまく説明できない、意味なんて二の次の感情なのだから、意味なんて通ってなくて当然。
だけどこうなんじゃないかなーと私が考えたことを書いているだけなので、何度も言いますがこれが正解なんてことは考えていないし、正解に辿り着こうという意思も全くありません。それをもう一度踏まえた上でこの部分について私が考えていることを書きます。
「ぼくらがここまで惹かれあっていたこと おしゃれにしたいかはわからないよ」
「別れたいなら やさしくしないでよ」
「ぼくらはここまで惹かれあっていたから 泣きたくないきみの前では」
まるで泣きながら話して、息継ぎの場所がバラバラになっているような言葉の紡ぎ方だなあというのが第一印象でした。
「きれいじゃなきゃ無理」「エンタメじゃなきゃ無理」「ここまで惹かれあっていたこと、おしゃれにしたいかはわからないよ」……
ずっと自分でも分からないままなんだろうね、苦しいね、でも苦しいままでも幸せにはなれるよ。もっと言うと幸せって別に必須条件なんかじゃないから、きみにずっと笑っていてほしいよ。それだけです。別れたいと思うことと、別れるべきだと思うことは全くの別物。全部他責。
「ぼくらはどこまで惹かれあっていたかな」
「ぼくらはここまで惹かれあっていたから」
「ぼくらがここまで惹かれあっていたこと」
ボーイフレンドと時を重ねて、相手がどれだけ自分のことを大切に思っていてくれているのかを確かめることができた、相手の愛を信じることがようやくできた、いまさら。距離を置く覚悟ができたところで分かってしまった。どうしようもなく惹かれてしまって、自分の凝り固まった心を解されて、もうあとに引けなくなってしまったのだろうな。泣きたくない、きみの前では。
〽抱き締めて、突き飛ばす
この歌詞は6回繰り返されます。曲のリズムとかとの兼ね合いかもしれないけど、私にはKENTさん以外の龍宮城のメンバー6人の、6通りの抱きしめ方があるんだろうなと思って聴いています。ひとりひとりのソロパートでもなんでもないけど、ソロ曲をグループ全体で歌うことの大切さをここで感じていて。龍宮城メンバーもきっとこのこに笑ってほしい、泣かないでほしい、素直になろう、手を取って、みたいないろんな感情があるはず。7人いれば7通りの解釈があって、聴く人や聴くタイミングによって無限のBOYFRIEND像があるはず。だからこの6回の「抱きしめて」はメンバーがこのこを抱きしめているんだろうなと思います。本当に大切。
途中に挟まる「抱きしめてよ、抱きしめて」の切実さ。本当は別れたくない、抱きしめてほしい。ずっとそばにいてほしい。最後の最後になってようやく素直でシンプルな本音が出て、それでも口に出しては言ってないんだろうな。もう後には戻れない、かといって先に進む勇気もない。
そして私がここで力こぶを入れて語りたいのはKENTさんの「ば」の発音です。
なに?って思った?とりあえず聞いて。ほんとに。
「突き飛ばす」の「ば」、優しすぎる。
濁音がついていて破裂音に分類される音声の「ば」ですが、とてもまろやかに発音されていて本当に突き飛ばしているのかあやしいぐらいの力のなさ。
比較してほしいのは「嘘ばっかり」の部分の「ば」。こんなに力強く感情を爆発させるような歌い方をする一方で、ボーイフレンドを目の前にするとなにも言えなくて、説得力なんてなくなる。ボーイフレンドの前だと弱くなってしまうね。
抱きしめられた手を心底離したくないとでも言わんばかりの「突き飛ばす」。だからこのこのボーイフレンドも何度も何度も手を伸ばして抱きしめ続けたのでしょうね。
同様にメンバーの歌い上げる「抱きしめて」の「だ」もめちゃくちゃ優しくて、突き飛ばしたら直ぐに解けてしまうほどの力で抱きしめていそう。ここでも「誰にでも優しい人の特別な優しさ」を感じてしまう。絶対に離したくないはずなのに強制できないね。寂しいね。
対してKENTさんの「抱きしめて」の「だ」の強さ。本当は力一杯抱きしめてほしかったのかも。なりふり構わず捕まえて離さないでいてほしかったのだろうな。優しさがすれ違っていく。
〽抱き締めて、鍵は閉めて
最後にどうなったのかを明かさない終わり方、本当にずるい。大好き。ふたりの行先はふたりにしか分からない。人の目を気にし続けて生きてきた彼は鍵を閉めてふたりだけの世界でまた1から歩むのかもしれない。
もしくは突き飛ばした後に冷たく固い鉄のドアに背中を押し当てて、鍵を閉めたあと自分の体を抱きしめながら声を押し殺し泣いているのかもしれない。
微睡むように、沈んでいくように終わっていくBOYFRIEND。ふたりだけの秘密は、それならそれで1つの幸せのあり方なのかもしれない。
表現者たちから
次に2nd EP DEEPWAVEが発表された際に投稿された二つのメッセージについて取り上げる。KENTさんとアヴちゃんからのメッセージです。
KENTさんからのメッセージ
0年0組からKENTさんを見続けてきて、本当に自分の考えを自分の言葉で伝える力や強さがどんどんついてきているなと思ったり、KENTさんが実際に経験したこともないであろう人の感情や想いを背負うと宣言した逞しさに惚れ惚れとしたり……私個人のさまざまな感慨深さはひとまず置いておいて。
型にはまった優しさに苦しむこと、答えも形もないはずなのに行動の方程式が公式のように転がっていること。「男らしさ」「女らしさ」と名前のついた優しさの奇妙さ。
KENTさんもBOYFRIENDの正解なんて分からないし、知らないと思う。この曲を託したアヴちゃんは絶対にどういう意図でこの曲を書いたのかなんて言わない。答えを教えてさあ一緒に歌ってみましょうリピートアフターミー!なんてことをする人じゃない。それで事足りるなら龍宮城というグループはこの世に存在していない。あんなに苦しみながら「アヴちゃん先生」を果たしていない。
その答えをずっと闇の中手探りで探している途中だと思う。底のない闇、終わりのない旅を続けているのだろうな。「表現者として」「表現と向き合う」こととは地獄の所業である。
だからどのライヴ会場で聴くBOYFRIENDも全く違う顔をしているのだと思うし、音源でも自分の環境や感情によって全く違う響き方をする。そんな力がこの曲にも、KENTさんにもある。
アヴちゃんからのメッセージ
龍宮城の一曲目の、龍宮城のリーダー・KEIGOさんのソロ曲であるJAPANESE PSYCHOはユーロビートと和箏が融合されたキャッチーなブチ切れソング。
〈領収書/請求書〉のコールアンドレスポンスやそのライヴパフォーマンス(メンバー全員がサングラスをかける)の独特さで外部イベントで披露されるたびにざわつく定番キラーチューンなのだが、ソロ曲2曲目にしてこの振り幅。この最強さが彼らが「オルタナティブ歌謡舞踊集団」たる所以なのだ。
「エンタメ」や綺麗なものはすべて人工的に手入れされて整えられたもので、そこに温度も湿度も感覚も存在しない。省かれた部分の、膝を抱えて身を焦がす痛みのような寂しさに耐えながら過ごす夜、雨降りの日の人の体温、相合傘の中にこもる湿気、剃刀の刃がつけた傷から滲む血。「きれいじゃなきゃ」と決めつけているのはいつだって自分だけど、決めつけさせたのは一体誰のせいなのだろうか。
鈍感じゃいられない、叫ばずにはいられない、怒らずにはいられない、歌わずにはいられない、踊らずにはいられない。表現者としての宿命はどこまでも付きまとう。等身大で強がりなラヴソングが2曲目のソロ曲であること、心から嬉しく思います。
さいごに
ふう!長くなっちゃった汗 ここまで読んでくださった方、どうもありがとう。いかに私この曲と龍宮城を愛しているかが伝わればいいなと思う一方、たくさんの方にも同じか、それ以上に愛してほしいという気持ちがあります。
さて、「ステージが生きがい」と世界に向けて表明したアーティストの曲ということは……そうです。ライヴがありますね。なんと本当にありがたいことに
YouTubeでライヴ映像がフルで出されています。
なんてこった。嘘だろ。嬉しすぎる。こんなことってあるのか。大変だ。やったーーー!!!!!
というわけで、みてね。
冒頭の「ららららら……」でメンバーに囲まれて揺蕩うKENTさんの美しさ、まるで子守唄と共に揺れるゆりかごみたいですよね。こんなに切なく寂しい曲だから、ステージにKENTさんが一人きりじゃなくて本当によかった。
楽曲の世界をより広げるコレオグラフィー、ITARUさん(長髪でロングコート)、Rayさん(手首にファーのついたグローブ、光沢のある生地の衣装)、KEIGOさん(眼鏡)、Sさん(金髪でパイソン柄のパンツ)、齋木春空さん(赤髪で腰にリボン結びのネクタイ)、冨田侑暉さん(ピンク髪の長身、腰にプリーツスカートがついたパンツ)など、KENTさん以外のメンバーの細やかな表情やリップシンク、ステージ照明などなど……さらにはメンバーのあの人によるアナザーバージョンが______!
語るに尽くせないほどたくさんあるので、とにかく一度、龍宮城のライヴにいらしてください。
さて、ここまでの文字数を読み切った猛者たちはきっと9割9分が龍宮城を愛する同志たちだとは思いますが、「龍宮城、気になるかも……」で読んでくださった方、いますか?本当にすごいことだし何より私がめっっっっっちゃくちゃ嬉しいので、よかったら教えてください。Twitter(X)にマシュマロのリンク貼ってます。龍宮城を観てると
息がしやすくなる瞬間があります。あなたにもぜひその感覚を知ってほしいのです。
そして。
来たる2025年2月22日には龍宮城の武道館でのライヴも決定しております。
ぜひ武道館でお会いしましょう。武道館に響くBOYFRIENDはどんな感情を抱えているのか、今からとても楽しみです。
どうもありがとう。娜本(しなもと)でした。
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