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ぼくが失い、誰かが得る

思考と身体が、分離している。考えていることを、うまく行動や表現ができない自分がいる。そのギャップが、なかなかに苦しい。なかなかに、情けない。そうやって、生きる時間をどんどん費やしている、気がする。でももう、それでもいいと思っている。諦めている自分もいる。なんかかっこいい考え方とか、尊敬できる人とか、探せばいくらでもいるが、それはきっと全て、妄想なんだと思う。幻想なんだと思う。理想なんだと思う。無意識にも、他人と自分を比べている結果だと思う。じゃあ誰とも関わらず、1人で生きていきたいか、それができるのかというと、到底そんなことはできないことを、これまでの経験上痛切に感じている。自分は、あまりにも弱い。不安である。とても中途半端な位置に今自分がいて、そんな自分に対してあらゆる方向から矢が飛んでくる。こっちへ来いだの、あっちへ行けだの、こっちへ来るなだの、あっちは不正解だだの。なんかそれくらいカオスである。だからぼくは、動けない。今何も決断できないでいる。思考も、止めている。前向きになるつもりは、到底ない。こうなった途端、前向きな言葉を、周りの人々はかけてくれたりする。ただ、こうなった途端なのが気に食わない。どうしてぼくが落ちたら、周りは上がるのか。なかなかにこの理不尽さを創造主に訴えたくなる。ただ、ぼくが落ち込むことで、誰かが元気になるなら、もうそれでいいのではないか。自己犠牲によって何かを成り立たせるのも、いいのではないか?自分のこともままならないのに、他人の心配をする人のことを、ぼくは忌み嫌っていたが、もうそれも、別にいいのではないか?そう思えたのは、よかったかもしれない、よくなかったのかもしれない。わからない…。ただそうやって総量で考えた時に、反対のシチュエーションも考える。ぼくが元気な時は、だれかが元気を失っているのかもしれない、と…。

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