1週間分くらいの日記
7月21日(木)
蝉が鳴いていた。
青草の匂いがした。
思っているよりも夏なのかもしれない、なんて。
インプットをしたらアウトプットをするといい。
当たり前かもしれないことを改めて教わって、アウトプットってちょっと手間だしどうするのがいいのかいまいちよくわからなくて、たまにnoteで書けばいいかという気持ちとそれ自体が少し苦手な気持ちがあったのだけれど、ただひとりごとでぶつぶつ言っているだけでいいらしいということがわかった。
それでアウトプットしたことになるから大丈夫だよと教えてもらって、それなら出来るじゃん!と自分でハードルを上げていたことに気づく。
ますますひとりごとが増えそうだなあ。
先週末、会ってみたかったネットの向こうの人に会いに行った。
そこに行けただけで良しとしていたので、会いに行けたことだけでも十分だと思っていたのだけれど、それ以上に長い時間を一緒に過ごして、たくさんの話が聞けて、かなりかなり面白かった。
何度でも音源を聞きたいくらい、最高に面白かった。
わたしは自分の話をするより、人の話や人から情報を、うんうんそれでそれで、と聞く方がやっぱり好きなんだなあと。
でも同時に、相手が面白い話を持っていたとしても、それを引き出すための質問する力も大事だと強く感じた。
今回はわたし以外に質問の上手な人がいて、その人たちが話を引き出す素敵な質問をしてくれたおかげでわたしも一緒に聞かせてもらうことが出来たんだと、帰り道にそのことについて考えていた。
おこぼれが、大変、非常に、凄まじく有り難かったからこそ、それが自分の出来ることではなかったことが少し歯痒かった。
行けただけで会えただけで満足していた気持ちが、ちょっとだけ欠けたような。
はじめて質問力をつけたいって、思った。
SNSで知り合ってzoomをしたことがあった人も、一方的に知っていた人も、初めましての人もいて、少人数の集まりなのもまた心地よくて、リアル対面での人との出会いが久しぶりだったから、それはそれですごく充実していたなと、あの余韻を愛おしく思う。
その日のランチ会で出た、食後の紅茶が美味しくて、もう一度ティーカップで紅茶を飲みたいという欲求を満たすために、珍しくお茶をするためだけに外に出てみた。
何かのついでにカフェに寄ることはあったけれど、紅茶を飲むためだけに外に出ることって実はしたことなかったかもと思った。
隣の席のスーツ姿のおじさまが、苺のショートケーキを食べていて、可愛くて、思わずにやっとしてしまった。
自分のためだけにお茶をしに行く時間っていいかもっていう経験をしてきた。
読んでみたかった絵本を借りた。
隣の隣の隣の隣の町あたりからはるばるやってきてくれていたみたい。
こういう内容のものを読むと、こどもたち(といっても大人と子どもと、というふうな分け方があまり好きではないのだけれど)、所謂こどもと呼ばれる年齢の人たちの方が大人よりもなんでも知っていて、大人よりも精神性が高いのでは?と感じて、そのたびにこどもの友達欲しいなって思う。
ひと回り以上下の人と友達になる機会はないかしら。
なんていう1週間だったかな。
もう7月が20日以上過ぎていることにびっくりしている。
もう少し、時間の経過を意識しながら生活した方がいいのかな。
今日も、ありがとうございました。
まるすけ
ぽかぽかします。