【SS】桃の怪
R15-Gくらいと思っています。注意して下さい。文章変だなーと思ったら後から直してしまうかも知れません。
念のため下げておきます。
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男は大和国は西海道で廻船問屋を営んでいた。初めは借金を抱え、妻も乳飲み子だった娘を背負い船頭に出るほど苦しい生活だったが、西へ東へ行き交ううちに余剰と不足を嗅ぎ分ける鋭い嗅覚を身に付け、急速に利益を上げた。
それから十年、借金を完済し大口のお得意先ができた。お陰で妻は脇息に肘掛けながらゆったりと、振袖を着た娘が箏の琴を弾いているのを聞いているような贅沢な日々を過ごせるようになった。男は西海道に店を三軒出し、三百人の漕手を抱えるほどの旦那になっても、相変わらず船に乗り込み荷を届ける傍らその土地の流行や珍品を持ち帰っては商っていた。そのうちに男はとりわけ肉食に凝るようになった。
というのも貧乏暮らしを経験した男にとって肉は大変な贅沢だったからである。
ある日男は神出鬼没なる珍品屋の店の目の前に来ていた。招牌には「珍味堂山海屋」とある。表だっては舶来の香辛料や薬種を扱っているが、裏では得意客しか饗することがない特別な料理を出しているという。これは最近温泉宿で知り合い懇意になった数寄者からの情報で、今まで海亀を煮込んだ汁や、猪の丸ごと煮、人魚の刺身、河童の卵の出汁巻き、豚の腸詰めなどなど嘘か本当か分からない料理ばかり聞かされたが、どれも美味だそうで、更に真偽のほどはどうでも良くなるくらい男の語り口が巧妙だった。
数寄者は湯治客で男より若く二十代に見えるが見た目よりも老成してずっと博識で、そのように伝えたところ人魚の刺身の効果が出たのかもと子供っぽく笑みを湛えていたのが印象的だった。
男は是非ともその珍品屋にて絶品を味わいたいと数寄者に頼みに頼み込んで紹介状をしたためさせ、それを今日懐に忍ばせていた。
店先から塀の向こうの庭に目をやると薄くれないの花が匂っている。男はもう桃の節句だなぁと思った。帰りに娘に何か土産を買おう。銀の簪が良いだろうか、柘植の櫛が良いだろうか。娘の跳び跳ねる様が目に浮かぶようだった。そんなことを考えながら暖簾をくぐり、店主に書状を手渡した。小柄で中年太りの丸々とした指で手早く書面を広げ、目を通し、心得たというように慇懃な態度で男を奥の座敷に案内した。男は奥に続く薄暗い廊下を目の前にして心が弾んだ。いよいよだ。
部屋へ通される途中、女が別の部屋へ茶を運ぶのを見た。店主によれば「少々お時間を頂」くということだった。未体験の味が待っているなら時間も金も惜しくはない。快諾して待つこと二刻、日が西に傾き東には星が輝きかけた頃、ようやくお声がかかった。
男は障子が開ききる前に居ずまいを正し、さもずっとその姿勢だったかのように取り繕った。店主自ら膳を持ち、大変お待たせ致しましたと深々礼をする。給仕の女も香の物や白米、茶を持ち後に続く。
店主が染め付けの碗の蓋を開けて、男の前に現れたのは何とも芳しい香りを放つ肉だった。出来立ての料理から立ち上がる湯気と共に、熟れた果物の甘い、甘い香りがする。男が料理に釘付けになっている間に店主と女も下がっていった。
とにかく一口食べてみよう。そう思って箸で一切れ掴む。すると薄くれないの肉汁がぽたぽたと溢れ出した。男は貴重な一滴一滴を漏れなく味わおうと慎重に口に運んだ。
その瞬間男は目を見開いた。甘い!肉汁というよりこれは果汁だ。よく熟れた豊潤な果実から溢れる果汁そのものだ。そして肉が柔らかい!数回噛むだけで口の中でほどけて消えてしまった。
嚥下したあと、男は口を閉じるのを忘れ六畳間の彼方を見つめていた。薄くれないの花が咲き誇る秘密の園で美しい少女がこちらを見たり背を向けたりして舞い踊っている。肩巾(ひれ)を上に下に蝴蝶が舞うかのような美しさがあった。堪らず追いかけ翻弄されながらも手を伸ばし、肩巾の端を捕らえ、引き寄せると腕の中の少女と目があった。
齢十余歳といったところか、小さく整った顔は化粧をしているがまだあどけなさが残る。娘と同じくらいの年頃かもう少し上くらいだ。指も腰回りも細く華奢で、精巧な磁器人形のようだ。しっとりとした白い肌からは果実のような甘さが漂う。男が少女の頬に触れたその瞬間、はっと気が付いた。
この短いほんの一時に、ほんの一切れの肉の為に、少女の柔肌に触れるような蠱惑的な、禁忌的な空想の虜となっていたのだ。呆然と空いた口から涎が滴り落ちているのに慌てて懐紙を引っ張り出して拭う。
自分ではかなり舌が肥えてきた方だと思っていたが、この世にはまだまだこんな未知の食材が、体験があったとは。
男は俄に染め付けの器を引っ掴み、飢えた犬が数ヶ月ぶりのご馳走にありついたかの如く、残りの肉を掻き込み貪った。
しばらくし、障子の向こうから男の影法師が静止しているのを認め、店主が声を掛けた。障子を開けると男は膳の前で呆けていた。近付いて膳の様子を見ると肉料理の盛り付けられていた染め付けは空になっているが、ご飯や香の物には箸が付けられた様子がない。運んで来たときのままになっている。店主が「お下げしてもよろしいでしょうか」と三回言ったところで夢から覚めて飛び起きたかのように正気に戻り、慌てて首を縦に振った。そしてもう帰りますとよろめきながら立ち上がり、ふらふらと歩き出した。
次の日、男は数寄者の元を訪ねていた。興奮醒めやらで、あの肉料理の果実のような甘さ、柔らかさ、あれこそ比類なき極上の珍味と熱気立っていた。数寄者の男は書物を片手に笑って
「甘いということは古くは味が良いということ、つまり美味ということを表し、特に果物の甘さをいったんだそうだ。あなたは原初的な体験ができた訳だねぇ。甘いということは即ち美味いということだ。」
などと云う。軽くあしらわれている気がして男は紅潮して尚も訴えた。
「真面目に聞いて下さいよ!あれはこの世の食べ物じゃない、口に入れた瞬間あんな…あんな…」
目に浮かぶ風景を言葉で表現するのが追い付かないような、そんなもどかしさで震えていた。数寄者が書物から目を離して
「仙界の食べ物ような?」
と助ける。男は目を見開き
「そう!そうそう!」
と頭突きせんばかりに顔を寄せた。数寄者はそっとのけ反り、興奮してじゃれつく犬をなだめすかすように落ち着いた肩を叩き、気に入って頂けたようで良かったと笑った。
数寄者の落ち着きぶりに若干の物足りなさを感じながらも男は居ずまいを正し、さっきから何を読んでいるのかと尋ねた。
「これは大陸の昔話を集めた書物でね、嘘か本当か分からない不思議な話が沢山載っていて面白いよ。夜寝ている間に首だけが浮遊して体を動かされてしまうと元に戻れず死んでしまう民族の話とか、丁度今読み終えた話なんか特に気に入ったね。」
男が続きを促すと数寄者は頷いて語って聞かせた。
昔、孤児や売られた赤ん坊に桃だけを食べさせて育てた遊女がいた。遊女は体臭や体液も桃のように甘く、回春の妙薬として富豪が好んだという。そして桃しか口にしないため体が弱く、初めて客を取った夜が最期の夜になった。死んだ遊女の体も妙薬として重宝され食されたということだ。
男は薄気味悪いと言いたげに眉をひそめて数寄者を見つめていた。人間を食べるなんて。数寄者は期待通りの反応が面白く、にたにた笑いながら最後にこう付け加えた。
「あなたが食べた果実のように甘い肉、それは彼女の肉だったのかも知れないね。」
男は一層眉間に険しい谷を作りその場に固まっていた。
「まさかそんな、何年も赤ん坊を桃だけで育てるなんて、桃が一年中手に入る訳もなし、無理な話だ。作り話でしょう。」
そうかも知れないと答えただけで、数寄者は読書に戻った。
男は数寄者の元を後にして、ぐるぐると考え事をしながら自分の屋敷に向かっていた。肉を口にしたとき目に浮かんだ景色、無邪気に舞う少女、寝屋で客を待つ幼い遊女。目が回る。足元がふらついてきた。
やっと我が家へ着き、帰りを待ちわびていた娘が駆け寄りすがりつく。いつものように抱き上げて可愛がろうとしたとき、自分を見上げるに娘の顔にあったのは空想の中で見た少女の顔だった。
ぞっとして悲鳴をあげて力一杯娘を振り払った。娘は突然のことに訳も分からず尻餅をついたまま泣き出した。自分でも訳が分からない様子で壁に張り付いたまま後ずさり、奥から駆けてきた妻に娘を任せてその晩は食事も取らず自室に籠った。
夜着にくるまり、目を閉じ、震えていた。そのうちに夢の世界に落ちていた。薄くれないの花が舞う中で肩巾をはためかせて踊る少女。が、突然美しく整った少女の顔が鬼に変わり、牙を剥き出し、爪を突き立て襲い掛かってくる。声を上げたつもりで、喉からは渇いたうめき声が絞り出されただけだった。夜着の中で仰向けに横たえた男の胸の上に人影がある。金縛りで体の自由が利かない男の顔をじっと覗き込んでいる。桃の甘い香りがする。その正体は夢で見た少女!しかし息を飲むそのうちに、幻が消えるように別の姿に移った。見覚えのある少年のような笑みが闇に浮かんでいる。
「どうもこんばんは。良い夢は見られたかい。」
聞き覚えのある声。それはまさしく珍品屋を紹介した数寄者だった。
「もう君は永くない。だから今のうちに命を頂いておくよ。さようなら。」
そう云うや否や男の首を掴む。男は全身をぶるぶると震わせみるみるうちに痩せ衰え骨と皮になった。魂の抜け殻となった廻船問屋の男を後に、数寄者の男は闇夜に消えた。
その後、主を失った廻船問屋は凋落の一途を辿ったという。
―完―
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一応、数寄者=『吟風弄月』のラスボスのつもりで書いたのですが私くらいしか分からないので謎の男のままで…。
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