ハンドメイド雑貨店「黒猫ルージュ」のはじまり(前編)
ハンドメイド雑貨店「黒猫ルージュ」運営元代表のCHAM.です.
2024年2月12日 ベルバード名古屋栄店さまにて,麻雀雑貨販売イベント「Mahjong Creators Market(以下MCM)」が開催されました.
たくさんの素敵な作品たちが並ぶ中,当店の作品もたくさんの方に手にとっていただき,大盛況の中幕を閉じることとなりました.
我々もたくさんのクリエイターさんたちと出会ったことで刺激を受け,今後の活動に熱が入っております.
クリエイターのRucianも新作開発に向けて動き出しました.
そして,MCMに参加したことで黒猫ルージュの進む方向が定まり,たくさんのことにチャレンジした黒猫ルージュの「第一章」はこの日をもって終了.
そして,これから新たな黒猫ルージュとなるべく「第二章」へと進みます.
さて,今回は黒猫ルージュの「第一章」,すなわちここまでの歩みを振り返っていくこととします.
元々はただの趣味だった
僕がRucianと出会ったのは2019年のことだった.
共通して音楽が趣味であり別々のバンドで活動していたところ,ある日同じイベントに出演することとなり,共通の知人を介して知り合った.
出会って間もなく意気投合し,それからわずか半年ほどでアパートを借り,一緒に暮らし始めることになるのだが,この時に彼女が持ち込んだものの中にレジン雑貨制作の道具があった.
聞くところによれば学生のころから趣味でやっていて,ものづくりは好きだという.
間もなくして,彼女は作品をひとつ僕にプレゼントしてくれた.
翌年僕たちは夫婦となるのだが,ちょうど入籍予定の日が決まった頃,あの未知のウイルスが現れ,世の中は混乱に陥った.
家庭内でもいろんな事情が変わり,Rucianはいつしかレジン雑貨の制作から離れてしまっていた.
そのまま約3年が過ぎ,その間に長女が誕生した.
家の購入によりアトリエを入手
2023年.
娘が1歳になると,家の中でも歩くどころか走り始め,アパートが手狭になった.
娘を気持ちよく走らせてあげたいと考えた僕たちは,家を購入することにした.
乳児の子育てを経験した僕たちは,Rucianが勤めに出なくても収入を取れる手段を持っておいたほうがよいと考えていた.
しかし,いくつかのことに挑戦はしたものの,どれも時間的な理由や体力的な理由で断念してしまっていた.
レジン雑貨の制作には相変わらず手をつけていなかったのだが,家探しの際にRucianが「制作スペースを作りたい」とリクエストしたことで,これが実現へと動くことになった.
中古物件をリフォームしたことでマイホームを手に入れた僕たちは,娘が走れるスペースだけでなく,それぞれの制作スペースを手に入れることができた.
制作スペースを作るところまでしたので,一度事業としてやってみないかと僕はRucianに提案した.
彼女は自信がなさそうな様子だったが,最初の出店の場を作ることを条件に,半ば僕が押し切る形で一緒に挑戦することになった.
こうしてRucianはレジン雑貨の制作を再開した.
初めての出店
ちょうど自宅を引っ越ししたころ,僕たちはひとつの山場を迎えていた.
僕たちが主催するセッション会型ライブイベント「カナデルカフェ」の開催が迫っていたのである.
この企画は,音楽好き約20人が曲ごとに代わる代わる即席バンドを組み,演奏するというものだ.
演奏者の友人をはじめ観客20人強の来場が見込まれ,キャパのほとんどが埋まる予定になっている.
僕は,ここに黒猫ルージュの初出店の場を作ることにした.
しかしどんなものを作れば売れるのか,経験がない.
だからまずは,そこに来る人が好きそうなものをモチーフにすることにした.音楽である.
加えて,Rucianの好きな猫をモチーフにした作品も置くことにした.
結果,数千円の売り上げが出た.
これに自信をつけたRucianは,次なる出店先を探し始めた.
だがしかし,全てが順風満帆にいくはずなどなかった.
現状を打破するべく
その方面に伝手のある方がRucianの勤務先にいたこともあり,出店先を見つけること自体は比較的早く,しかも複数見つかった.
しかし,どこのイベントに出店しても,なかなか手にとってももらえなかった.
ここで僕はRucianに一つの提案をした.
麻雀のグッズを作り,オリンピアさんの委託販売コーナーに置いてもらえないか聞いてみることである.
売り場においてもらうこと自体は,ありがたいことにオーナーさんが快諾してくれた.
しかし何を作るのがよいかが見えなかった.
僕はRucianにまた一つ,ある人物に会うことを提案した.
そして,Rucianに影響を及ぼすあの方と出会いを果たすこととなる.
(後編へ続く)