2020.07.24

2020.7.24 日和くんのお誕生日に寄せたファンレターのような、感情の吐露です。


※一部にストーリーのネタバレ等含みます


わたしが巴日和くんに出会ったのは、彼がこの世界にやってきたのとほとんど同時だった。つまり、2017年7月7日、7が3つ並ぶ縁起の良い日に突如現れたあなたという太陽をわたしはリアルタイムで目撃し、ついにきた!と思ったのだった。

わたしはそれまでずっと惰性であんさんぶるスターズをプレイしていた。正直そこまで刺さるキャラもおらず、みんなかわいいし絵もきれいだけど、ハマりきらんなあ、という感じで、いつ辞めようかと考えていた。ちょうどその頃はアイドルマスターシンデレラガールズもプレイしていたし、アイドルものはそれだけでいいような気もしていた。

けれどあんすたにはあなたが現れた。『陽光の貴公子』、巴日和。ひと目見て確信した、わたしがずっとあんすたを続けていたのは、あなたに出会うためなのだ…!と。本気で。まず、見た目が完全に好みだった。それは今も変わらない。ゆるやかなブライトグリーンのブロンドヘアー、切れ長で深いヴァイオレットの瞳、自信に満ちた眉、柔和だが油断のない笑み、簡単に触れることなど叶わない圧倒的な存在感。あなたの姿かたちのすべては最初から完璧だった。では性格はどうなのだろう。そう思ってキャラクターストーリーを読んだ。すごい。もう完全にだいすき。どう考えても好きすぎる。初期の日和くんは今よりだいぶ露骨に尖った様子で描かれていて、「ぼくは意見されるのが嫌い。かわいい女の子だろうと顔面の皮を剥ぎたくなる」などと仰るのだがそれがすごくよかった。これといった前提エピソードがあるわけでもなく日和くんの本質に近いところを短い文章の中でえがくには、たぶんそれくらい露骨な表現になる。わたしはうつくしくて自我が強くて徹底的に自分のすべてを自分で決定する意思のある、おそろしいほどに誇り高いひとがだいすきなのだ。日和くんはまさにそういうひとだ。どんぴしゃにわたしのすきな、心から尊敬するタイプのひとだ。日和くんははじめから、他者の意見など容易には聞き入れなかった。自分が良いとするものが何よりも素晴らしいものだという、いやむしろ、自分自身の手で触れられるものをこのうえなく素晴らしいものへと転換させていく。そうして生きてきたひとなのだ。

あんすたをまともにプレイしていなかったわたしは、日和くんのはじめての星5カードを是が非でも手に入れたく、無我夢中でサマーライブを駆け抜けた。日和くんのアイドルとしての天性の才能、愛を根幹にする揺るがぬ信念。自己プロデュース力が高いだけでなく後輩への指導も完璧で、どこにいても何をしていても眩しい。他の誰が同じステージにいようとも、もはやあなたしか見えない。ひかりが強すぎて、きっと目で追いきれない。思い返せばサマーライブの期間には、日和くんのお誕生日も含まれていたのですね。日和くんがあんすたに登場してはじめてのお誕生日を、彼のライブに参加するというかたちで祝うことができていたのかもしれないと思うと、とても嬉しくなる。

サマーライブを終えたあと、他校生は夢ノ咲生とは扱いが異なるのだということを徐々に理解し、わたしはまたすこしあんすたから離れていく。そしてまたオータムライブで出戻って♡乱凪砂くん♡の星5カードを獲得するし、SSもリアルタイムで走った。Sagaとワンダーゲームだけは、ちょうど別ジャンルの活動があって長々とあんすたから距離を置いていた時期だったので後追いで把握したけれど、Edenの曲だけは本当にかっこよくてだいすきだったので、毎日のように聴いていた。こうして振り返るとわたしが日和くんをすきでいる期間はおもったより長い。空白期間を除いても2年近いことは確か。そして本格的に日和くんと凪砂くんのことを愛しはじめる運命的な瞬間は2019年11月に突然訪れるのだが、そのことは今回は割愛する。

時は現在に戻り、2020.05.31〜のイベント・軋轢◇内なるコンクエスト。そのストーリーの中では、わたしが必死で考え悩み思いを寄せ練って凝らせてなんとか言葉にしてきた日和くんの「本質」がかなり明確に描き出され、わたしは自分自身の見てきたものの解像度の高さに驚いていた。日和くんはわたしがおもい描いていたようなひとそのものだったし、日和くんと凪砂くんの関係性はやはりわたしの理想そのものだった。しかし巴日和というひとの輪郭を掴んだ確信をもったと同時に、見えていなかったものにも気付かされた。ワガママなお姫様、お気楽な貴族さまというふうに揶揄される日和くんの態度は彼自身が選び取った仮面であったし、それは紛れもなく「最終的に何を選ぶかはこのぼくだ」という日和くんの信念に基づく。しかしそこに痛みが伴わないとは限らない。何かを選ぶということは何かを捨てるということと同義で、迷いなくそれをできる日和くんが、傷ついているはずなどないのだと思ってはいけなかった。わたしはそういう当たり前のことを、あなたを超然とした存在だと思うことによってすこし、見過ごしてしまっていた。もちろん、旧fine時代を主とする過去の話を読んでいるから、日和くんの魂が傷つき穢れてしまったことの経緯もよく知っている。それでも、それを乗り越えた先の現在の日和くんが、一度アイドルを通して魂の純潔を貶めることになり、それでもアイドルを続けることを選択した日和くんが、これ以上傷つくことなどあってはいけないし、ありえないと強く強くおもっていた。

わたしは日和くんをまさに神のように高く高く見上げ続けていて、両手を伸ばしてその輪郭に触れかけたけど、本当にほんとうの、人間としての日和くんの素顔はファンに見せるための外側へと表出されることなどない。ほんとうの日和くんが眠る場所まで泳いでいって彼を抱きしめ、ほんとうの彼と真から愛し合うことができるのは凪砂くんただ一人だけなのだということが、コンクエストのストーリーでは明確に提示された。凪砂くんのもの静かな口から語られる日和くんの姿こそ、他の誰もが知り得ない真の日和くんだ。幼く遊びたい盛りでいながら、凪砂くんに手を差し伸べ世界の美しさや言葉や感情の機微を教え、家族として受け入れ心から愛した、お家では紳士としての教育を受け、充分すぎる才能がありながら親愛なる兄と家族のために己れを殺して道化となることを選んだ、そうして誰にもほんとうの自分を見せず、唯一アイドルとして活動しているときだけ心の底からおもうがままやりたいことをやれる、すきなように生きられる…。凪砂くんがあのきれいな瞳であますことなく見つめてきたほんとうの日和くんの姿が語られて、わたしは幼い日和くんが、凪砂くんへ物を教えるのがままならずに彼に対して「出ていけ!」と怒鳴りつけたなどということを、想像する余地もなかったことにきづく。うまくいかないこと、思い通りにいかないことが日和くんにもあること、日和くんが大切な片割れを怒鳴りつけるほど感情的になるなどということ、それらは当たり前の人間の心の動きであるのに、彼を神のように愛するがゆえに思いもよらなかった。

そういう、ほかの誰も手を触れることが叶わない場所で、些末なようで重大で、当たり前だけど大切な、二人以外の誰にもみせることなどない、ひとつも欠かしてはならない愛やたくさんの感情に満ちた記憶のたくさんを、今もふたりはふたりの両腕できちんと抱えて舞台に立っている。ステージの上で浴びることのできる愛とひかりで自分たちのすべてを満たすために、これからもきっとアイドルを続けてくれる。ふたりにしか理解し合えないものを内包し、ふたりは「ふたりでアイドルをする」ことを選択していまそこに存在してくれている。わたしやたぶんわたし以外のおたくたち、そして作中の他のキャラクターも含めてその誰もがおもっていたよりも遥かに日和くんと凪砂くんは深く結びついていて、愛すら凌駕したふたりの名をつけるべき感情さえあって、もはや誰の理解もそこに到達することができない。それが、わたしは本当に何よりも嬉しくてならない。

わたしはこれからもたぶん、飽くことなく必死で日和くんのことを考える。日和くんの言葉の真意を知りたいし、どんなことを考えているのか、ファンに対してどんなふうに振る舞うのか、どんなふうに仕事をこなすのか、なにより凪砂くんとの関係性の変化し得ない部分と変容していく部分をずっと見つめていたいから。だけどそれは、日和くんのことをすべて余さず理解したいということには繋がらず、むしろ逆で、何があっても理解しきれない存在でいてほしい。理解できない、近づけもしない、なのにあなたから放たれるひかりはときに鋭くときに柔らかく、わたしやわたし以外のあなたを求めるすべての人々を包み込む。ずっとずっとそうであってほしい。

完璧なアイドルとしての巴日和、そして凪砂くんだけが知る、完璧ではない、綻びさえもいとおしい、本当の「ひよりくん」である巴日和について、あなたにまつわるあらゆることを考え、かたちにするのがいまのわたしの生きる喜びです。どうかどうか、いつまでも、手の届かぬ場所でまばゆく光り輝く至高のアイドルでいてください…。

Cher mon soleil.

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