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郷愁ともつかぬものたち

音もなく春が近づいてきて、頭の隅にもひかりが射すのか、日常のふとしたときに昔を思い出すことが増えた。

例えば幼いころ、保育園の帰りに、母に手を引かれて何度となく通ったパン屋のにおい。焼き立てじゃないけれど、ずっとその空間に染みついて離れない、やさしくあまい小麦粉のにおい。わたしが食べるのはいつもあんバターサンドと決まっていて、母はよくハムチーズサンドを食べていた。わたしは買ったパンを持ちたがるけど、スーパーに寄ってお菓子を選ぶときにかんたんにそれを母に返して、いつも最後まで持たなかった。家に帰ってから、さわさわとした手触りの緑色の紙包みにつつまれたふかふかのパンのにおいをかいで、それからそっと取り出すのがとてもすきだった。

そのパン屋ではいろんな色や模様をしたかわいい飴も売っていて、わたしは一度母にねだり、棒付きの魚のかたちの飴細工を買ってもらったことを覚えている。飴は長く透明なプラスチックの棒に刺さっていて、帰り道を歩きながら端をつかんでみょんみょんと揺らして遊んだ。つくり自体はそう精巧なものではなかったけれど、青や黄やピンクや緑の色がはいった小さな魚の飴は、とても綺麗で可憐だった。そういえばわたしがひとりでずっと遊んでいたシルバニアファミリーの小物のなかにも、「にじいろの魚」という題の紙芝居セットがあって、幼いわたしはちいちゃなそれを指先でつまんで、何度も何度も繰り返し読んだ。記憶と記憶のふしぎなつながりを思う。


例えば論文の資料あつめのため、寺山修司記念館を訪れたときのこと。季節は夏。コンクリート造りの建物一面に、寺山修司を表すあらゆるモチーフが貼り付けられた、ふしぎな建物。よく晴れた綺麗な日だったし、周りが自然に満ちてて、見晴らしが良かった。なかに入って最初に見た常設展の展示のしかたが、とても寺山的だった。寺山修司の歩んだ人生が、つくりあげた作品の軌跡が、木製の机の抽斗の中に隠されている。それはまるで一匹の蛍のように。来場者は、自由にその抽斗を開けてもよい。手を伸ばして抽斗を開けたところに、寺山修司がいる。逆にいえば、わたしたちが彼を探して抽斗を開けなければ、彼には永遠に出会うことができない。いくつも並べられた机の前に立ち、本当に開けてもよいのだろうかと逡巡しながら、わたしは何度も寺山修司を探した。たくさんの資料を見て、著書を読んで、何度も映像を見て、彼の言葉を理解した。けれど論文を書き終えてずいぶん経つ今でも、寺山修司というひとを、見つけることができたというような気はしない。

わたしが故郷を思うとき、いつも寺山修司の姿が瞼をよぎる。記念館を出ると、空をたくさんのシオカラトンボが飛んでいて、一緒にいた父が両手を広げて、こいこい、と言っていたのがよく印象に残っている。


例えば母の部屋のレースのカーテンにくるまってかいだ埃のにおい。例えばヤゴがトンボに羽化する瞬間の、無垢な翅のふるえ。例えば温泉地の硫黄のにおい。例えば祖母の家の窓から見た火星のいろ。例えば砂糖のかかった揚げたてドーナツの味。例えば冬の朝の新雪が降り積もった木立の群れ。例えば列車から見た菜の花。例えば百貨店のレストランで食べたお子様ランチ。ひとつ言葉にすればまたひとつ、泉の水のように湧き出しては、二枚の瞼にあわく浮かび上がってくる。


わたしにとって拾い上げて何度も慈しみたい記憶は、いつもあわいひかりとにおいを纏っている。

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