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インターネットと青年期/Siriの名前が決まったときの企画会議をYouTubeで見たい

高校生の時、狂ったようにヌーノ・ベッテンコートのアルバム『Schizophonic』を聞いていた。
まじで、通学中も寝る前にも、ふと音楽を聞きたいなと思ったときにも、ずっと聞いていた。
マイコプラズマ肺炎をこじらせて入院していた時にも、病室にこのアルバムだけを持ってくるように母に頼んだ。
5日近く熱が40度を下回ることがなく病室で錯乱したときもこのアルバムを聞いたら落ち着いた。
入院中に閉じ込められていた、窓の大きな個室でクッソ眩しい夕日を見ながらこのアルバムを聞きつつ、退院後、復学してもほぼ留年が確定してるという学校からの迅速な連絡は親切なのかなんなのか、発熱でボケた頭ではよくわからずただ途方にくれた。


楽器を弾く人間は、気に入った曲を聴き込むうちに、歌だけでなく、ギターやドラムなどの楽器も含めた細かい音色の特徴まで覚え始める。ギターを弾いてる人間がお気に入りの曲を聞きながら無意識にやってしまうギターソロの口マネは、ほんとうに、ただ醜い。幼稚園児のやる車掌さんごっこが確かなエンターテインメントに思えてくるレベル。当時のわたしは、3曲目に収録されている、『Crave』のソロで使われているワウの雰囲気すら非圧縮の.wav品質で完璧に真似しながら通学路を歩いてた。
"ワウ" という用語も ".wav品質" という比喩も恥ずかしいので詳しくは説明しません。


schizophrenia(統合失調症)と、phonic(音声的)という単語を組み合わせた造語がアルバムのタイトルとして据えられているが、むしろ、このアルバムのあらゆる音は、ヌーノ・ベッテンコートというミュージシャンひとりの手によって、統合的にまとめられている。
収録曲に使われているあらゆる楽器、ボーカルはもちろん、それらを調整し組み合わせる、ミキシング/マスタリングという最終作業の段階までほぼひとりでこなしているらしい。
真偽はともかく、その後にリリースされることになる他のソロアルバムを聞いてみても、たしかに "ヌーノっぽい音" が存在していることを確信する。
ちなみにこの "ヌーノっぽい音" 、別に "いい" 音だというわけじゃなくて、少なくとも、今や全く売れない傾向の音である。中域にピークが偏りすぎてなんかもこっとした音である。80年代にデビューしたメタル系ミュージシャンはパッツパツのレザーパンツを履き、股間をモッッッコモコに強調させることを良しとしていた。メタル好きなおじさんと音楽の話をするときは、「中域のパンチめっちゃ効いてますね〜!」とだけ適当なタイミングで言ってればいい。おじさん自身の中域をモッコモコにさせながら、喜んで勝手にベラベラ喋り始めるから楽だよ。

ヌーノが『エクストリーム』というバンドを結成したのが85年のこと。
MTVの興隆とともに、セルアウト、いわゆる "大衆ウケ" が一番イケてるとされた時代に完全に乗り散らかしたエクストリームはあっという間に売れて、2nd収録のクソねっとりフォークバラード『More than words』が、今の時代のYouTubeの上ですら余裕の億再生をぶちかますほどのエグいヒット飛ばすのが92年。ヌーノはそのとき、まだ20代前半。いつの時代もおっさんとヤンキーにウケるものは確かなお金を動かす。おじさんに『More than words』の話を振ると、みんな全く同じ内容の文化祭のライブの話をし始めるから、おじさんたちはきっとネットを介して同期してる何かしらのAI端末なんだと思う。

当時は超絶技巧派美形ギタリストとして、バンドの形で発表していた曲中では、ヌーノはたまにコーラスで出しゃばってくるくらいだったのが、ソロアルバム『Schizophonic』をリリースする97年には曲全体の管理どころか、アルバム自体のプロデュースまでサラッとこなしてるのは素直に驚く。インタビューによれば、バンド時代にもすでにプロデュース業にはかなり手を加えていたそうではある。お金持ちの一部はあるところまで稼ぐと、お金そのものはわりとどうでもよくなって、今いかに自分と周りが楽しめることできるか、みたいなとこにフォーカスし始めた結果むしろさらにめちゃめちゃ稼ぐ、みたいなことをやるよね。『schizophonic』からスタートするヌーノのソロプロジェクトは全体的にコケて、今やヌーノは過去のヒットソングをさらにこすり倒してこすり倒してなんとか小銭をせしめるおじさんになってしまってるんですけども。


ヌーノ・ベッテンコートはポルトガルはアゾレス島の音楽一家に生まれた10人兄弟の末っ子であり、兄たちとのセッションのためにまずドラムを教え込まれた。ハイスクールに入って、やっとギターをまともに触らせてもらえるようになるころにはすでに一通りの楽器がかなりのレベルで弾けたらしい。


私は神経質に育てられた長子でなおかつ臆病、典型的なだめ長男である。貧弱な体格がそれに拍車をかけた。ヌーノが楽器を次々弾きこなし、アイスホッケーの選手としても結果を残し、プロ入りも視野に入れ、音楽への探究心との間で揺れ動く頃、わたしは電車のきっぷの買い方をやっと覚えた。
一人っ子世帯を差し引いたとしてもニートの長男率は群を抜いているそうです。
まじで何でもかんでも無駄にビビって足踏みして、母親に甘えて何もしようとしなかった当時の自分を今になって思い返すと、ただ無言でしばきたくなる。何するにもごちゃごちゃうるせえんだよマジでよとりあえず学校いけよ。行かねえならバイトでもしろよ。弟のヤンキーの仁くん見習えよ。たぶん小6で童貞卒業してんぞ仁くんは。


臆病なやつっていうのは基本的に損をするようになってて、それは「人間はかつて狩猟生活を営んでいたために勇敢さこそが生存条件のプライオリティであって〜」とかいうおもんなくて雑な一般論から考えてもまあそうなってしまうし、自分が今いる場所、"枠" の範囲を知ろうともせずただ不用意に怯え続けて、手近で刹那的な安心感にすがって目つぶったまま体をかたくしてるようなやつがいかなる成長をも得ることはない。
仮に行動原理が同じように "怯え" みたいな部分にあったとしても、その点、ヤンキーは最終的にプライドやメンツを守ろうとするから、わたしはヤンキーを基本的に尊敬している。ヤンキーだいすき。あとヤンキー漫画もすき。和久井健先生、東京卍リベンジャーズ映画化おめでとうございます。
人間、多少とがってるくらいがいいんだよ。調子乗って、怪我でもしないと、どういう状況で自分は転んで、それがどう不利益になるのかってことは学べない。



こないだ、昔お世話になってたゴリゴリの元ヤン先輩のお子さん(3さい)と遊んでる時に、「酒飲めるようになったらいっしょに六本木のクラブ出禁になりまくろな」っつってそそのかしてた。
でもよく考えると、その子が合法的にお酒飲めるようになるのすら、あと17年後もかかる。子供時代ちょっと長すぎね?って驚いた。


わたしは実感の上では、いまだ、長い子供時代を送っている。モラトリアムにすら達せてない。

近代の文豪がよく、30歳前後になってからやっとのこと身を立てるボンクラキャラを作品に描いていたのを、「いや平均寿命が今より短い時代に30まで遊び人やってるとか攻めすぎやって笑笑」くらいにせせら笑ってたのが、確かに、自分がそのくらいの世代になってもまだまだ遊びたいと思ってしまう。

まあ、自分に関しては、十代の頃はずっと引きこもってたからな……とか無理矢理言い訳してはいるが、実際に自分と同じような生活をしてる人間は、いわゆる "失った青春" みたいなくっそ寒いくそおもんないものをなんとか取り返そうとしてるパターンが多い。まじおもんない。ちゃんと若い頃に遊んでた人間は、漫然として方向性のない遊びには早い段階で飽きて、もしくは満足して、まともな生活を志し始める。
元ヤン先輩もかつては、酔ったときには走り去るGクラスメルセデス相手に「気に入らん」と追いかけては喧嘩を売り、「先祖返りしてマンモスかなんかを狩ってるつもりなのかな?」と心配させてくれたほどのとがり方だったが、気づけば今やチャラい仕事・界隈とはしっかり距離をおいて、子供を二人もうけ、「昔は飛ばしてたなw」みたいな話ができるタイプの人になっていた。

責任感は良くも悪くも人を成長させる。
かつてわたしを遊びに誘ってくれた男はもういない。わたしより何歩も何十歩も先へ進んでしまった。今や、それを認めなければならない。
元ヤン先輩のお宅で出してもらったジンジャーハイを飲みながら、奥さんが作ってくれたからあげを奥歯で噛み締めた。脂の染み出す感じがまじでおいしかった。
揚げ物を上手に作れる人は間違いなく酒好きである。「これどう作らはったんですか?」とか奥さんに聞いて、レシピについてうかがってるときにふと、奥さんの奥歯が半分近く銀歯に差し替えられていることに気づいた。



ヒロインの吹き替えに起用された元アイドルの演技があまりに独特すぎて、不本意な形で話題になってしまったSF映画『TIME』の世界では、生まれてくる人間は25歳で成長が止まり、それ以降の寿命を貨幣・財産としてやり取りする。事故や病気がなければ、たとえば富豪は、永遠に若いまま生き続けられるということとなる。
実際にそういう世界になったとすると、財力さえあれば死なないことにかまけ、適当な生き方をしてきた人間が20代後半で突然首が回らなくなりバッタバッタと死んで行くはずだ。わたしは恐らく25歳の1年間すら生きながらえられない。
今の時代でも望みさえすれば、ノリにしろ見た目にしろ、50歳くらいになるまでは20代後半の雰囲気を維持できるみたいだけど、反対に、子供においては、どんどんと子供である期間が短くなっている。ネット、主にYou Tubeなどを通じて読み書きくらいは勝手に覚えてしまうらしい。成長は、望んだものに望んだ分だけ与えられる。
海外エロサイトめぐりで必死にエロボキャブラリーを充実させた記憶のある人は多いはず。


草食動物は、基本的に生まれた直後にはもう自力で立ち上がるようになる。それが出来なければ、産み落とされたその場所で肉食動物から捕食されて、死ぬ。
人間はかなり未熟な状態で生まれてくる部類の動物なのだけど、それは、人間が動物として他を出し抜き、生き残るための武器として発達させた脳のデカさが、逆に妊娠・出産のリスクとして文字通り引っかかるようになってしまったから、だそう。折衷案として、成体が協力して、未熟な乳児を死なせないための "情報" を共有して子育てをすることで、人間は繁栄した。情報のやり取りが種としての人類にとって、養分となった。その養分はネット回線を通じて、より高速かつ確かな形で、大量にやり取りされる。弱い個体はよりたくさん生き残り、強い個体はどんどんと養分を吸収し、より強くなる。



弱く、何も知らないわたしをあれだけときめかせたヌーノも、いまや凡庸なミュージシャンのひとりだ。
ヌーノが比較にならないほどの多彩さを、独学で身につけてしまったミュージシャンは全く珍しくない。


音楽好きとして、次の世代から音楽に対しもたらされるであろう『成長』を、心待ちにしてる。それをクラブで聞いて暴れて出禁になりたい。


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