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左目があんま見えないこと

メガネをなくした。

これまでの人生で、酒を飲みすぎたせいで記憶とともにいろいろなものをなくしてきてはいるが、メガネをなくしたのは初めてだと思う。生活に絶対必要なものだし。
壊したのは5回ほどだった気がする。一つ前のメガネも朝、目覚めたらもう壊れてた。交通事故にでもあったんか?と心配になるくらいの、見たことないレベルでレンズがボロボロになってた。

視力の補正がなければ本気で日常生活が送れない近視+乱視なので、ひとまずコンタクトをつけっぱなしにして凌いでいるが、いつまでもつけているわけにもいかない。これを打っている今もまじで目がしょぼしょぼする。

暗いところで本を読んだりだとか、ゲームをしすぎると視力が下がるぞ、と忠告されまくっていた世代ではあるが、視力が低下し始めたのは成長期に入った中学生の頃なので、『頭蓋骨の形が視力に影響を与えている』という説の方を信じている。頭蓋骨の形が原因ならこの視力の悪さを生活習慣ではなく、遺伝子、ひいては両親などのせいにできる。おめえらもめちゃめちゃ目悪いもんな、康之、つね子。

メガネは不便である。
視力が一気に下がり始めた時期に家にこもるようになったので、メガネつけなくても困らんでしょ、とか決めつけて、視力の下がるのを放置したまま、暗い家の中で生活した。たまに学校へ行っても黒板は見えず、クラスメートは歩き方などで判別していた。視力の下落が完全に根暗に拍車をかけていたので、一応はヤバいと感じて、変な柄のメガネを選んで買ってもらったりだとか、なんとかメガネへの嫌悪感をなくそうとはしていたが、それでもメガネを日常的につけることがなかったせいで、いつの間にか斜視になっていた。かなり近い距離で物を見る生活をしていると、両目をうまく同時に使うことができず、いわゆる "利き目" だけを使うようになるらしい。そうする内に、利き目とは反対側の目が機能しなくなる。


斜視はやっぱ怖い。なんかただただ怖い。

斜視キャラといえば烈火の炎に出てくる森光蘭が一番に思い返されて、すごくイメージが悪いんだけども、そういった前提イメージを省いて考えたとしても、やっぱ面と向かってるのに目が合わないってやばい。
日本と英語圏で使われているポピュラーな顔文字の違いから、それぞれの文化圏では人間の表情において何を重視しているか、という傾向の違いが見て取れるそうなんだけど、日本人の使う顔文字から考えるに、日本人は目元をかなり気にするらしい(^^)。最近は顔文字を見る機会ってすごく減ってるけど、だからこそいまだに顔文字を使い続けるおじさんは言わずもがな、女であっても、基本的に警戒対象にしといて損はないので覚えておこう(´・ω・`)。
この顔文字(´・ω・`)は顔文字全盛の時代にすら使ってるやつはイタい、とされてた気がするけど、いまだに生き延びてるの、ゾッとするな。こっち見てくんなよ。斜視のやつはこっち見てきてても目線合わへんけど。顔文字全盛の当時でも確か、斜視の顔文字は存在しなかったように記憶してる。AAではあったはずだけど、思い出される範囲だけでも例外なくキチガイ系キャラクターだった。やっぱり目線がしっかり合わないというのは、気味が悪いものです。

ここまで書いた文の中にすら完全に悪意が出てしまってるとおり、今は治療してしまったからといって、わたしはでかい顔して斜視の人を馬鹿にしています。わたしは歯科矯正でも苦労したので、歯並び悪い人はすぐヘラヘラしながら指摘します。

その、たいへん苦労した斜視の治療前、わたしは左目が内斜視になっていた。左目だけが常に内側を向いている、という状態である。当時の写真とかを見るとマジでどこ見てんだよってなる。お~い?(笑) 

自分が斜視であることに気づいてから、治療するまでの7年ほどは斜視を放置した状態で生活してたわけですが、決して短い期間ではないし、まじでどういうつもりだったんだよって思って、今になってみると自分の倫理観が本当に心配になる。人付き合いを円滑にこなす上で、見た目というのは本っっっっっっっっ当に大事。「外見とは人間の内面における一番外側の部分である」と言ってた人がいる。うまいこと言ってんじゃねえよ癇に障るなあ。キャッチーなフレーズで人をみだりに感銘させようとすんなよ。

軽度の斜視であればトレーニングで治療できるそうだが、わたしは斜視を放置したままの長い期間の中で、視力を部分的に失っていたようで、手術でしか斜視を治せない上に、そこまでしたとしても視力がなんら回復するわけではなく、見た目の上だけでの治療になる、と言われた。

"部分的に" という箇所の詳しい説明に対して、いまいちその場では理解できなかったが、治療後に生活する中でその意味をだんだんと、実感の上で理解するようになった。
たとえば、立体視の能力は完全に失われていた。
投げられたものを受け取るだとか、大人になってから全くできなくなっていたのは、長い引きこもり期間のうちに運動神経が鈍っていたせいかと思っていたが、斜視のせいだった。憎きロンパリ。
最近また盛り上がりを見せている3D映像や、VRも全く楽しめない。これに関してはまじで後悔した。とっとと治療してればよかった。わたしもVRのおっぱいに感動したいです。まるでそこにあるかのようなおっぱいを見たいです。こないだ公開されたTENETをMX4Dで見ようとしたり、いまだに無駄にあがいているが、一度失われたものが戻ることは当然ない。

見た目の上だけでもわたしを真人間に近づけてくれた斜視の治療手術だが、これは、目の表面を覆う強膜を剥がし、目を動かすための筋肉を露出させて、筋肉がついている位置を変えたり筋肉を一部切り取ったりして眼球にかかるテンションを細かく調整し、眼球の向きを揃える、とのことだった。手術前に複数回、絵などを用いて長々とその説明を受けたが、それよりも、手術中も視界が保たれたままなのか、そこがとにかく気になった。自分を覗き込みながらレーザーメスやピンセットを向けてくるお医者さんを想像するだけでチビりそうだった。一応何も見えないように視界を覆う、とのことだったが、一時的に失明させてくんないっすか!って懇願したかった。
関係ないけど「失明」ってなんかおしゃれな言葉だよね。「失視」とかじゃないんだよね。視力の悪い人のための仕事、っていうのが昔はあったみたいだけど、明るいか暗いかどうかの判別がつく、っていうのがそういう仕事をこなす上での線引きだったりしたのかな。
当然ながら手術の間は、視界が塞がれたとはいえ、全然何をやっているのかわかりまくる状態だった。黒目の上にガーゼか何かを乗せられただけだったので、すぐずれるし、小学校に入学したての頃ですら発揮しなかった積極性を以て手を挙げまくって痛みや恐怖を訴え続けた。

手術後、しばらくは眼帯生活をした。憧れの夏侯惇ライフである。眼帯が取れてから自分の目を見てみると、真っ赤になっている。東京喰種のカネキくんである。
手術自体も、その後の1ヶ月を超える東京喰種ライフも大変だったが、その時期を振り返るに、これからしんどいことが怒ったとしてもわたしはなんだかんだネタにして乗り越えていくんだろう、と思う。


メガネがないのはつらすぎるけど。酔って雑に扱っても壊れないめちゃめちゃ強そうなやつを選んでたのになくすとかなんなんだよ馬鹿かよ。


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