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私という存在は、他人によってつくられている
赤ちゃんが生まれて、初めて対面した瞬間、私は思った。
「ああ、自分の子ってこんな感じなんだ…?」
でも、この感覚が何なのか、すぐには説明できなかった。
「家族」はフィクション?
そんな中、ある本でこんな言葉に出会い、衝撃が走った。
「家族」は、他人どうしが「家族」として演技することで、「家族」になっている。
マジでこれだ!
私は子どもが生まれたことで「母」というポジションを与えられた。
それまで母ではなかったのに、生まれた瞬間から「母」としての役割が始まる。
でも、最初は全く実感がなかった。
「お母さん」と呼ばれても、うまく返事ができなかった。
急に与えられた役割に戸惑いながら、それでも母として授乳し、おむつを替え、世話をするうちに、いつの間にか「母親」になっていった。
関係性がポジションをつくる
よく考えてみると、すべての人間関係はフィクションかもしれない。
• 彼氏がいなければ、彼女は存在しない。
• 部下がいなければ、上司も存在しない。
• 結婚しなければ、「義母」「義父」という存在も生まれない。
どの関係も、お互いの存在があって初めて成立する。
つまり、人は 他人との関係性の中で役割を与えられ、その役割を演じることで自分を形成している ということだ。
「母」じゃなくても母になる?
極端な話、もし病院で赤ちゃんの取り違えが起こったとしても、私は気づかないかもしれない。
なぜなら、「母親」という役割を与えられた時点で、目の前の赤ちゃんを育てることが始まるからだ。
授乳し、おむつを替え、抱っこして、愛情を注ぐ。
すると、いつの間にか「母」というアイデンティティが形作られていく。
たぶん、産後うつになる人の多くは、この「母親の役割」をうまく演じられないと感じてしまうこと が原因のひとつなのかもしれない。
人は、環境や周囲の人間関係によって「役割」を与えられる。
その役割をスムーズに受け入れられないと、葛藤が生まれる。
「自分」とは何か?
人は、関係性によってポジションを与えられる。
だからこそ、「自分」とは、そもそも存在しないのではないか?
自分という存在は、他人が作り上げるものなのかもしれない。
「私はこういう人間だ」と思っていることも、実は他者との関わりの中で形成されたものに過ぎないのではないか?
仏教では「空(くう)」という概念がある。
すべてのものは、実体がなく、関係性の中で成り立っている——。
そう考えると、もしかしたら 「自分」というものに執着する必要なんて、最初からなかったのかもしれない。