冬がはじまるよ
贈り物をするのが好き。
誕生日に、クリスマスやバレンタイン、季節の贈り物、母の日・父の日、お土産、なんでもない日のプチギフト。
お手紙も好き。
年賀状、クリスマスカード、書類に添える一筆箋、プレゼントに付ける小さなカード。
こんなに好きなのはどうしてかな。
たくさんの贈り物を受け取ってきたからかも。
子供のころ、お誕生日には両親からのプレゼントと祖父母からのプレゼントが用意されていた。
クリスマスには、サンタさんからのプレゼントに、祖父母からのプレゼント、そしてママサンタからのプレゼントがあった。
さらに、祖父母からはお菓子がいっぱい入ったクリスマスブーツを貰っていたし、我が家の年末恒例行事(?)のおやつすごろくというイベントの存在。
(私と妹とですごろくを作り、止まったマスに応じておかしが貰えるシステム。冬休み期間中に食べるおかしはこれで獲得する。
おかしはママが用意してくれていて、おかしの他にちょっとしたプレゼントもある。うまくマスに止まれなくても最終的にもらえる。)
おまけに、私は双子だったので、プレゼントはそれぞれもらえたのだけど、別々のゲームソフトなどを貰って両方遊ぶことができたので、プレゼントの量は倍だった。
大人になってからも、おばあちゃんが数か月に一度、一緒にお買い物と食事に連れて行ってくれて、服やアクセサリーやバッグなどを買ってくれる。
お手紙に関しては、家にあったお手紙ポストが思い出される。
ママと妹と、お手紙交換をするポストがあり、日々他愛ないお手紙交換を繰り広げていた。
上述したプレゼントを貰う際にも、いつもおじいちゃんやママからお手紙が付けられていた。
おじいちゃんは達筆で手紙が好きな人だったので、なんでもない時にもよく手紙を送ってくれた。
ママがお返事を出す用のレターセットを用意していて、私もいつもお手紙を書いていた。
きらきらのペンやシールでカラフルにデコるのが楽しかった。
女の子は友達とお手紙交換は誰もが通る道だろうけど、家族とお手紙のやりとりをたくさんしていた人は結構いるんだろうか。
こういう環境で育ったせいか、お手紙は楽しいもので、貰ったら返すものという認識がある。
お手紙ではないけど、昔デコメというのがあって、日頃からかわいい絵文字や画像を集めて、誕生日やイベントなどのときにとっておきのデコメをみんなに送信していたこともある。
新年になった瞬間などは、連絡先を知るすべての人にデコメを送りまくっていた。
大人になるにつれ、私ほどプレゼントやお手紙を好きな人はあまりいないのかもしれない、と気づきはじめる。
私は友達のお誕生日にはプレゼントを用意し、お手紙も付けてあげていたのだけど、ふと気が付くと、いつも自分からだな、と思ったり。
まあ私の誕生日が後だっただけで、気にしていなかったけど。
でも、周りを見ても誕生日にプレゼントをあげている子って案外いなかった。
私の周りでは、誕生日にプレゼントをあげる文化を私が始めていたみたいだった。
プレゼントは貰うほうもあげるほうも絶対に嬉しいものと信じていた。
大人になって、SNSでいろんな意見を目にする機会が増え、プレゼントって必ずしもありがたいものではないということに気づく。
クリスマス時期に毎度話題になる某ジュエリーブランドのネックレス。
高級ブランドのコットン。
バレンタインのお返しなどなど。
プレゼントをする側はセンスを問われ、プレゼントによって評価を受ける。
プレゼントを貰った側は、お返ししなくてはいけないというプレッシャーを抱えることとなる。
お返しする側の負担も考慮に入れなければならない。
そんな価値観があることを知り、自分のように手放しでプレゼントをすること・受け取ることを喜ぶ人は少数なのかもしれないことを意識してしまったら、今までのようにはいられなくなった。
私がプレゼントを好きなのは、たくさんのプレゼントを受け取ってきたからで、自分からリクエストしたものを貰えるのも、自分が思ってもみなかったものを選んでもらうのも、どちらも嬉しかったから。
そして、自分が誰かにプレゼントをするときは、相手のことを考えてあれこれ悩む時間、ラッピングやお手紙をかわいく飾る時間、実際に渡してこれを選んだ経緯や理由などを相手に伝える時間のすべてが好き。
いつもあげたいものがたくさんあって、予算は絶対オーバーしそうになってしまう。
適当なものや無難なものではなくて、最終的に渡すものは絶対に喜んでもらえるという確信めいた気持ちがある。
だからお返しなんてなくても気にしたことはなかった。
そんな私が一番悲しい気持ちになったのは、私の友人の一人にプレゼントをしたとき、「申し訳ない」と言われたこと。
私が渡したのは、相手を申し訳ない気持ちにさせてしまうものだったんだ。
よく考えると、私がプレゼントを渡す相手は、一般的な基準からすると緩く、“プレゼントをやりとりし合うほどの間柄ではない”関係性の人にも渡してしまっていたんだと思う。
相手はそのことに戸惑って、嬉しいとかよりなにより、プレッシャーを感じたのかもしれない。
「申し訳ない」と言わせてしまった友達は男の子だったので、男なのに女の子からプレゼントをされるなんて、というプライドもあったのかも。その友達は奢り魔(?)でもあって、女の子や年下には何が何でもお金を出させない。
付き合いが長くなってきたらそういう人ということに気が付いたので、奢ってもらった方が相手にとって良いんだろうな、と今では任せるようにしているけど、その時は本当にショックだった。
そういうこともあって、本当に喜んでくれるとは限らない人にはプレゼントをしなくなった。
お祝いの連絡なども。
(お祝いメッセージに関しては、近年日付感覚が薄く、ふつうに忘れてしまうようになったのもある。。)
そんな「プレゼント魔」の私に昨年、気兼ねなくプレゼントを送れる相手・恋人ができた。
お付き合い開始の日は私の誕生日の数日前だったので、私の誕生日にはお祝いの電話をしてほしいとお願いした。彼の誕生日は過ぎてしまっていた。
次のプレゼントチャンスは必然的にクリスマスになった。
恋人へのクリスマスプレゼントってどのくらいの値段のものをあげるんだろう?
そもそもクリスマスプレゼントってみんなするものなのか…すべてが未知だった。
遠距離恋愛なのでクリスマス当日は会えないけど、前の週に一緒に旅行してイルミネーションを見に行くことになっていたため、いろいろ考えた末、張り切ってプレゼントを用意した。
本当はお揃いのものが欲しかったけど、おねだりする勇気もなかったので、私が自分の分と彼の分、お揃いのお財布を買った。
勿論クリスマスカードも付けた。
旅行の日、彼にプレゼントを用意していることは内緒のまま、私は一足先にお揃いのお財布をおろして使っていた。
彼が私のお財布を見て、「いい財布だね。こういう小さくて良いのが俺も欲しいんだよね~」と言ってきたのを聞いて、絶対に喜んでもらえる確信が溢れてすごく嬉しくなった。
イルミネーションも見に行って、宿に帰ってお風呂なども済ませてのんびりしている時に、おもむろにプレゼントを渡した。
「これ今日使ってるの見ていいなって思ってたから俺のも用意されてるなんて思わなかった」と言ってくれたけれど、なんとなく彼の表情が曇っているような気がした。
翌日、立ち寄ったショッピングモールで彼が何かお返しがしたいと言ってくれて、欲しいものを聞かれたのだけど、彼がいくらくらいのものを想定しているのかわからなくて、遠慮してしまった。
欲しいと思うものがなかったのもある。
けれど、彼はどうにかしてすぐにお返しをしたい様子だった。
せっかく好きな人から貰うなら、彼が選んだものか本当に欲しいものを貰いたくて、結局欲しいものができた時でいいよ、と伝えて何も貰わなかった。
この先、きっとまた彼が何かプレゼントしてくれる機会があるだろうから。
もしかすると、彼にとっては私にプレゼントしたいという気持ちじゃなくて、貰ったから返さなくてはいけないというプレッシャーが強かったのかな、もしかしたら嬉しくなかったのかな、なんて思った。
そのあと、バレンタインがあって、私は物を渡すのはなんだか負担になるかもしれないし、ということで彼が家に来てくれたので、お菓子を作ってデザートプレートのようにしてご馳走した。
その後、彼には会えていなくて、その日会ったきりとなっている。
いろいろとあったのだけど、喧嘩をしたわけではないし、何か目に見えるトラブルがあったわけでもない。
何度か会う約束もしたけど、そのたびに結局会えなくて。
今年の彼のお誕生日も、お祝いの連絡はしたけど、私のお誕生日は連絡がなかった。
ホワイトデーも、誕生日も、そしてもうすぐやってくる今年のクリスマスも、何もなかったな。
彼と旅行に行った時、彼の運転する車の中で、好きな曲をお互いに流し合っていて、彼がどこかで聴いた曲で気になる曲があったって話していた曲。
ELTがカバーしている槇原敬之の「冬がはじまるよ」
この曲を聴いて私のことを思い出したってちょっと恥ずかしそうに言ってくれた彼、
そんな彼が私のことを想ってくれていなかったとは思えなくて、どうして今こうなったのかな、と考えると苦しくなるけど…
私は8月生まれで、よく泣くし、一緒に行きたい場所がたくさんある話したり、貸してもらったのはセーターじゃなくてマフラーだけど、
とにかくこの曲を聴いて私のこと思い出してくれたんだな、彼にとってこの時の私はこの曲の彼女みたいな存在だったんだな、ということが彼のどんな態度や言葉よりお守りみたいになっていて、心をなんとか支えてくれている。
プレゼントやお返しなんて貰えなくても全然よかったけど、でもやっぱり何か貰っておけばよかったかな。
寂しいときや、彼がいなくなってしまったときに側に置いておけるものがあってほしかった。
いまわたしの心を支えているのは、彼との思い出と、一緒に行った場所のチケットとか、家に来た時に貸したものとか、そういうものたち。
それと、唯一彼が私を思って選んでくれた、付き合う前に彼からもらったちいさなちいさな猫ちゃんの箸置き。
いまは彼に連絡できないけれど、彼がわたしのあげたお財布を大事に使ってくれていたらいいな。
ちいさくて、良い素材のお財布を選んだのは、季節も関係なく、いつもずっと持ち歩いて使いたいし、使ってほしかったから。
2023/12/06